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第八章 宴

 武官殺しの真犯人が特定されたのは、それから間もなくのことであった。

 意見の相違によって腹を立てた同僚が、怒りに駆られて刺し殺したのだという。そこへちょうど出くわしたのが、あの従僕だったのだ。

 同僚を殺した武官は、不審な格好をしている彼が意図的に火事を引き起こしている犯人だと一目で悟ったらしい。ばらされたくなければ、宮中に火を放てと脅した武官は、自分の罪を隠匿するために死体を火の中に放り込んだのだという。


 明るみにでれば、ファン・リー・ツェイもただではすまないだろう。主人を守ろうとした従僕は、武官の言葉を呑んでしまったのだ。まさか、罪をなすりつけられるとは思ってもいなかったらしいが、そのことでファン・リー・ツェイとも口論になり、迷惑をかける前に姿を消したのだ。しかし、武官に見つかり、口封じのために殺されそうになったところを命からがら逃げ出したのだという。

 物陰に潜み、真実を白日の下にさらす機会を窺っていたのだ。


 双方が包み隠さず自白すると、その噂は瞬く間に広がり、宮中を揺るがす事態となった。

 中でも、武官をまとめるべき立場であったキリョム征太師の衝撃は計り知れなかった。あれほど火の種族が殺害したのだと訴えていたこともあり、気まずげな様子だった。しかも、部下同士の諍いが原因なのだから。管理能力を問われるだろう。


「一の姫様」


 宴の準備のため中庭へ向かっていたシュリンは、ふと足を止めて振り返った。


「内務官長様……?」

「少し、よろしいですかな」


 硬い表情の内務官長が、シュリンを空いている部屋へと促した。


「宴を執り行う案は、姫様が考えられたとか」

「ええ、そうです」

「なぜ、そのような真似を?」

「え……?」


 シュリンは目を見開いた。

 そのときようやく、内務官長の瞳が濁っていることに気づいた。暗い闇を宿した目が、シュリンを呑み込むかのようだった。

 知らず、後じさりするシュリンを追い詰めるように、内務官長も足を進めた。


「<印無し>らしく、大人しくなさっていればよいものを!」

「なにを……」

「わたしは認めないっ。あなたは、守精の一族に相応しくない!」

「……っ」


 ガンッとなにかが頭に当たった。

 ゆっくりと体が傾ぐ。

 薄れゆく意識の中、内務官長が嗤った気がした。


 だ、め……。


 まだ、やることがあるのだ。

 しかし、無情にも目の前は真っ暗になっていった。

 それからどのくらいの時間が経っただろう。


「――……ま、……さまっ」

「……ん」


 肩を揺すられ、混濁していた意識がゆっくりと浮上する。

 睫を震わせながら開けると、目の前にフェイの整った顔があった。


「ああっ、よかった……」


 安堵の笑みを浮かべたフェイは、そっとシュリンの体を抱き起こした。


「痛むところはありませんか?」

「頭が少し……」


 シュリンは、ずきずきと痛む側頭部を押さえた。

 やはり、こぶになっている。

 きっと鈍器かなにかで殴られ、気を失ったのだろう。


「貴女の姿が見えないので、総出で捜していたのですよ。いったい、なにが遭ったのです? こんな人気のない部屋で……」

「そんなことより、」


 フェイの言葉を遮ったシュリンは、顔色を変えた。

 室内は、灯りを点さないといけないほど暗かったのだ。


「宴は……っ」

「すでに定刻の時間は過ぎております」

「そ、んな……」


 シュリンは呆然とした。

 フェイが見つけてくれなければ、宴は終わっていたかもしれない。内務官長は、それを狙っていたのだろうか。

 シュリンが失敗したほうが、彼には都合がいいのだろう。


「行かな……ぅっ」

「無理をなさいますな」


 傾いだシュリンの体をとっさにフェイが支えた。


「いいえ。これが失敗したら、すべてが水の泡と帰すのよ。わたしは、なんとしてでもやり遂げなければならないの。水の領の……いえ、両領の未来のために」

「……強くおなりになりましたね」


 シュリンの発言に目を見張ったフェイが、感嘆としたため息を吐いた。






 宴の場は、おおいに荒れていた。

 一部の者たちが一向に現れないシュリンに苛立ち、野次を飛ばしていたのだ。同時に、貴賓席にいる火の領の姫君たちに対しても、抑えつけてきた感情をぶつけるように罵声を浴びせていた。いくら武官殺しが火の種族によるものではなかったとはいえ、炎をまき散らすよう命じたのは彼女なのだ。とうてい許し難かった。

 その憎悪を肌で感じてか、ファン・リー・ツェイの護衛たちもぴりぴりとした空気をまとい、いつでも戦闘できる態勢を整えていた。

 双方の負の感情はこれ以上ないほど膨れあがり、場を収めようとする主頭三補佐官の声も届かないようだった。


 駆けつけたシュリンは、最悪な状況を見て取って呆然とその場に立ちすくんだ。

 焚きつけ、あおっているのは、内務官長であった。よほど、この宴をぶち壊したいらしい。狂気を宿した双眸に、だれも気づかないようだった。

 水王主が不気味な沈黙を守っているせいか、騒ぎはますます過熱する一方である。


「フェイ」

「はい」

「すべての火を消してちょうだい」

「段取りを変更なさるおつもりですか?」

「兄君様方ももう少ししたら到着されるそうだから、そのときに」

「仰せのままに」


 フェイがすっと右手を斜めに動かすと、次の瞬間、赤々と燃え上がっていた炎がシュッと音を立てて消えてしまった。

 驚き、慌てる彼らに、シュリンが声を張り上げた。


「静粛になさいませ」


 透き通った可憐な声が、喧噪の間を駆け抜けていく。


「火の領の一の姫ファン・リー・ツェイと水王主の御前ですよ」


 シュリンに気づいた官吏の間から小さなざわめきが広がり、一の姫だと驚きの声が上がる。


「大事な宴の場に遅れてしまい、申し訳ありません。少し、準備に時間がかかったもので」


 星々と銀色に輝く月が夜空に広がっている。

 漆黒の天鵞絨に、宝石を閉じこめたような美しさだった。

 今日という日に、相応しい天候だ。


「シュリン様、すべて整いました」


 フェイがシュリンの耳元でそう囁いた。

 顔を引き締めたシュリンは、心を静めるように深く深呼吸をした。

 静まり返ったとはいえ、刺々しい空気が消えたわけではない。逆に、抑え込まれている分、いつ爆発してもいい雰囲気であった。

 周りを照らしていた灯りが消えてしまうと、月明かりだけが頼りだ。

 けれど、その月も分厚い雲に覆われ、本当の闇が訪れた。


 ひっと短い悲鳴をあげたのはだれだったろう。

 木々の密やかなざわめき。

 風のうなり声。

 獣の遠吠え。

 その自然が発する物音が、闇の中にいる恐ろしさに拍車をかけるようだった。

 自分の手すら見えない中、互いの息づかいだけが荒々しく響く。


 みっともないほどうろたえている彼らに、シュリンは思わず笑ってしまった。

 鈴を転がしたような可憐な声が、緊張感漂う空気を和らげていく。


「――その昔、大いなる創造主様は、まず命を育む水をこの大陸に創られました。そして、大地と風と光と闇を次々と生み出したのです。大いなる創造主様は、最後に、火を与えて下さいました。闇に恐怖するわ

たくしたちのために……」


 シュリンが、大陸創世記の一部をそらんじると何人かが動揺をあらわにした。

 シュリンの言いたいことを察したのだろう。


「あれだけ燃え上がる炎を煙たがっていたというのに……ご覧なさい。灯りが消えただけで、こんなにも落ち着かなくなってしまう。生きるために、水はもちろん必要です。けれど、わたくしたちには、火も重要なのです。煮炊きをするのに、火を使いますよね? 物を創るのにも、火は重要な役目を果たします。火を恐れ、忌むのは、水の民の宿命かもしれない。それでも、わたくしたちはどこかで恋い焦がれているのではありませんか? 猛々しく燃えさかる炎を。そして、それを自在に操ることのできる火の民を……」


 淡々と語るシュリンの声は、そう大きくないというのに、隅々まで広がっていくようだった。

 そこへ、反論する声が割って入った。シュリンに手を挙げた内務官長だった。


「水の民にとって、なによりも憎らしい火に焦がれるなど……っ。守精一族の姫とはとうてい思えない御言葉ですな! お忘れですか? 火の民の者に、水の民が傷つけられたことを。なんの罪もない民家に火を放つなど……。正気の沙汰とは思えません」

「これ、やめないか、内務官長」


 スギョク宰太師が慌てたように声を上げるが、この暗闇では思うように動けないようだった。


「もちろん、その罪はあがなうべきでしょう。けれど、内務官長様こそお忘れではありませんか? その者に殺人という罪を被せようとした者が、同胞であったことを」

「ぐ……っ」

「火の民であろうと水の民であろうと、罪を犯す者はいます。もし、水の民の者が火の領で罪を犯したとしても、内務官長様はかばい立てをするのですか?」

「そのようなことは……」

「火の民だからとか、水の民だからとか……それは些細な違いではありませんか? きっと、そう思うのはわたくしが<印無し>だからだと皆様はお思いでしょう。けれど、天地を創造された大いなる主が創りだしたのは、種族は違えど同じ人間です。いがみ合うことは、主を愚弄すること」


 シュリンは、歌うように言った。


「水は、生けるものの命。火は、生けるものの糧。きっとどちらが欠けても生活は成り立たないのです。火が世界から消えてしまったら、わたしたちは夜に恐怖しか抱けなかった。炎が生み出す暖かさを知ることはなかった」


 そのとき、悲鳴があちこちからあがった。

 突然、夜空に炎の鳥が現れたのだ。

 大きな翼を優雅に広げながら、旋回する。長い三本の尾が、残像となって円を描いていく。


 ――鳳凰だ。


 正確には、鳳凰を模したものだが。

 火の種族の手を借りて、創りだしてもらったのだ。

 目映く輝く鳳凰が、驚き固まる人々を照らす。


「なんだアレは!」

「一体、だれが……」


 ざわめきが大きくなる。

 ゆっくりと降下した鳳凰は、彼らの頭上を悠々と飛び回ると、急上昇した。

 そして、だれもが息を呑んで見守る中、ひときわ大きく膨れ上がり、夜空に大輪の花を咲かせると、パァンと破裂した。

 火の粉が金粉のように舞い落ちる。

 だれもが顔を背け、降り注ぐ火の粉から身を守ろうとしたそのとき、小さな炎の欠片が氷に包まれた。


  ひらり


     ひらり


 木の葉のように落ちていく氷の結晶の中に、炎が燦然と輝いていた。

 暗闇ならではの幻想的な光景に、だれもが目を離せないでいた。

 本来ならば相容れぬ水と火の見事な共演であった。


「綺麗ね……」


 掌に結晶を乗せたシュリンは、満足げな笑みを浮かべた。

 結晶の中には、花を象った炎が艶やかに浮かび上がっていた。


「ええ、本当に……」


 さすがのフェイも目を奪われているようだった。

 いたるところから歓声が上がるのを心地よく聞いていたシュリンは、呆然としている内務官長を見つめた。

 彼は、声も出ないようで、ただ夜空から舞い降りてくる結晶を凝視していた。

 氷の結晶が暗闇に包まれていた席を淡く照らしていく。


「さあ、第二の幕が上がるわ」


 シュリンは、愉しげに呟いた。

 この演出で、彼らの心は掴んだ。あとは、火と水を使った素晴らしい舞台を見せるだけだ。

 その光景を思い描くだけで、シュリンの胸は高鳴った。

 どこまで完璧に仕上がったかシュリンも知らないのだ。


「貴女の発想力には毎回驚かされますよ。こんなに見事なものを見せられて、火の民を批判できる者はいないでしょう」

「ファン・リー・ツェイ姫のところでは、もっと過激だそうよ。でも、それを水の領で見せたら、みんな腰を抜かしてしまうもの。火の領の力強さと水の領のたおやかさが融合すれば、とても素敵な見せ物になるわ」


 シュリンの顔が誇らしげに輝いた。




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