その四
「眠い?」
ロンファーの手が優しく頭を撫でる。
「だ、だいじょうぶ、です……」
目をこすりつつも、声には覇気がなかった。
こんな時間帯に何事だ、と主頭三補佐官たちに怒られながらも、なんとか説明をすることができた。
その安堵からか、溜まった疲れが心地よい睡魔となってシュリンを襲った。
けれど、眠ってなんかいられない。
気を抜けば、瞼が閉じそうになるのを懸命に堪える。
「少し、眠りなさい」
「いいえ……っ」
「頑張るのもいいけれど、それで体を壊したらどうするの? 気がはやるのはわかるけれど、なにも働いているのはおまえだけじゃないんだから」
「あにぎみ、さま……」
「任せなさい。おまえが度肝を抜くほど、素晴らしいものをみせてあげるから」
「は、ぃ……」
ロンファーの声は、まるで子守歌のようだった。
ふわふわとした声が、シュリンを深い闇の底へと誘う。
寝入ってしまったシュリンを抱え上げたロンファーは、額に口づけを落とした。
「よい夢を」
シュリンが目を覚ましたのは、夜が明けきった頃であった。
ロンファーが寝床まで運んでくれたのか、いつの間にか寝具にくるまって眠っていた。
「おはようございます、姫様」
「おはよう……」
シュリンが起きるのを待ちかまえていたように、女官が挨拶の言葉を口にする。
女官が差し出してくる壷から水をすくい、顔を洗うと、別の女官が優しく顔を拭ってくれた。
「寝過ごしてしまった?」
いつもなら、「お目覚めのお時間でございます」と女官が声をかけてくれるというのに。
「五の君様が、お起こしにならないようにと」
「兄君様が……」
「さ、姫様。お召し替えを」
女官の手で着せ替えられたシュリンは、遅めの朝食を摂った。
寝過ぎて、頭がぼんやりとしていたシュリンは、並べられた豪華な食事を少しずつ口にする。黒塗りの漆器の膳には、色とりどりの料理が可愛らしく小皿に盛りつけられていた。健康を考えられたそれは、野菜が中心で、味付けも薄い。水分が多めな粥を半分ほど食べたところで、ようやく頭に血の気が戻ってくる。
「……ぁ」
「姫様、いかがなさいました?」
シュリンが漏らした小さな声を聞き拾った女官が、訝しげに問いかけてくる。
「フェイは……?」
そうだ、すっかり忘れていた。
この部屋に、犯罪者を匿っていたことを。
さぁっと顔から血の気を引かせていると、シュリンの髪を丁寧に梳いていた女官が答えた。
「ずっと奥の部屋にいらっしゃいますわ。朝食をお持ちしようとしたのですが、断られてしまい……。だれもあそこへ近づけませんの」
「もう、食事はいいわ。ありがとう。あとは大丈夫だから下がってちょうだい」
箸を置き、そう命令すると、戸惑った顔のまま女官たちが一礼して去っていった。
ほっと胸をなで下ろしたシュリンは、長い布がかかった奥の小部屋へと急いだ。
「フェイ!」
「ようやく、おいでですか」
どこか棘のある言い方に、シュリンは素直に謝った。
「五の兄君様と……?」
「貴女以外の気配が近づいてくると思って、慌ててこちらに移したので鉢合わせはしていませんよ」
「よかった……。わたしが眠っちゃったのがいけなかったのよね。反省しているわ。本当にごめんなさい」
「あぁ、顔色はよさそうですね」
すっと近づいたフェイが、シュリンの顔に手を伸ばし、目の下に触れた。
「ええ。頭がすっきりしているわ。フェイは夜を徹して、看病をしていたの?」
「まさか。適度な睡眠はとりましたよ」
「彼の具合は?」
「安静にしていれば、大丈夫とのことです」
「そう……よかった。あ、朝食はまだなんでしょ? わたしが看ているから、フェイは……」
「一食くらい抜いても死にはしませんよ。それより、お三方の反応はどうでした?」
「サイハ導太師は、もう一度調べてみるとおっしゃって下さったけれど、スギョク宰太師とキリョム征太師は、聞く耳を持って下さらなかったの。寝ているところを起こされて、苛々されていたのね。不機嫌な顔で、それはもう悪鬼のようだったわ」
手振りを交えながら語ったシュリンは、とても恐ろしかったと身震いをした。
先に、伝令兵をやっておけばよかったのかもしれない。
「でも、五の兄君様が取りなして下さったおかげで、スギョク宰太師とキリョム征太師のお二人は、すぐに行動に移して下さったの」
「では、じきに真の犯人が見つかりますね」
「そうね……」
眉宇を曇らせたシュリンは、小さく相づちを返した。
「この宮中に心ない者がいるのは、悲しい事ね」
「シュリン様……」
シュリンの心中を察して、フェイは口を閉ざしたのだった。




