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第一章 十五の祝い日

「兄君様~、御起き下さいませっ」


 愛らしい声を弾ませたシュリンは、一番年の近い兄の部屋に遠慮なく入っていった。


「……ぅ、なんだ、ずいぶん早起きだな」


 毛皮にくるまって安らかな眠りを享受していたロンファーは、顔を盛大にしかめながらゆっくりと半身を起こした。まだ寝足りなさそうに欠伸をひとつ零すと、ぼさぼさの頭を掻いた。

 いつもは女官たちが丁寧に梳いて美しさを保っている艶やかな髪が、ぐちゃぐちゃに絡み合って残念なことになっていた。


 背まで届く青みがかった黒髪を邪魔そうに払ったロンファーは、少し頭が冴えてきたのか、ゆっくりと瞬くと、輝くばかりの笑みを浮かべている妹に目をやった。

 不機嫌そうだった眼差しが、少しばかり和らぐ。


「だって、今日はシュリンの十五の祝い日です! ようやく兄君様方と同じ公務のお仕事をさせてもらえるのに、じっとなんかしてられません」

「仕事なんか、退屈なことばっかりだぞ」


 ん~と背筋を伸ばしたロンファーは、扉口に佇む長身の青年へと視線をやった。


「フェイ、僕の可愛いお転婆姫が、未だに礼装に身を包んでいないようだけど? この晴れやかな日に、普段着のこざっぱりした服装では、かわいそうだ」


 気が利かないとばかりに青年に文句を言うのをシュリンが慌てたように遮った。


「違うの! 五の兄君様、気がせいでしまったわたしが、フェイの制止も聞かずに兄君様を起こしに来てしまったのです。だって、五の兄君様に起床を知らせるのは、わたしのお仕事だもの。だから、叱らないで。十五の祝い日は、いつもと違うのを忘れていたのです」

「ああ、可愛いシュリン。おまえは、卑しい従者にも心を砕く優しい子だね。さ、僕から一番に贈り物をあげよう」


 嬉しいだろ? とにっこりと微笑むロンファーに、シュリンは申し訳なさそうに項垂れた。


「……ごめんなさい、五の兄君様。シュリンはすでに祝い日の贈り物をいただきました」


 いつの間にか枕元に置いてあった大小の箱は、それこそ部屋を埋め尽くしてしまうほどだった。きっとシュリンが寝入っている間に、驚かそうと思って運んで来たのだろう。父をはじめ、ほかの兄たちからの愛情のこもった手紙がつけられた贈り物の数々は、十五という節目の祝い日だけあってこれまで以上に豪華であった。

 シュリンに起床の時間を告げに来た女官が、これでは箱を開けるだけでも日が暮れてしまいますと嘆いたほどだ。


「そうか……。出遅れてしまったな。一番でないのは悔しいけれど、おまえがとびきりの笑顔を見せてくれるなら満足だよ」


 毛皮の上に敷いていた絹の衣を部屋着の上に羽織ると、絹の靴に足をひっかけ、奥の部屋から大きな包みを持ってきた。


「年頃の娘の欲しがりそうなものをいろいろ考えてみたけど、おまえは変わっているからね。装飾具より、よほど本や武具のほうが好みらしい。それで、山奥にいらっしゃる水仙を訪ねたところ、古代語で書かれた本を見繕ってくださった」

「ぇ……」


 シュリンは、目をぱちくりとさせた。

 水仙といえば、もう何百年も生きているという不老不死の仙人である。

 その叡知は計り知れなく、水王主も助言を求めるときには、必ず彼の意見を尊重していた。

 また水仙は収集家でもあり、山の中には彼のお宝である秘蔵の蔵書が眠っているといわれている。それこそ、この八の領のはじまりを記したものから現在に至るまでの歴史書はもちろん、旅人が謳った詩集など、種別を問わず、ありとあらゆる書物を所有しているのだ。


「古代語といえば、神々が八の領を創造なさった頃の貴重な書物ではございませんか! それをわたしなんかが……」


 シュリンは、困惑したように瞳を揺らした。

 神の御代と呼ばれる時代の書物ならば、全財産を投げ打ってでも欲しいと豪語する輩はいくらでもいるだろう。どんなに金銀財宝を積まれようと、水仙は所有している本を売ろうとしなかったから、市場に出回っている古書はほとんどない。

 愛好家たちは、目を血走らせて、数少ない古書を得ようと躍起になっているという。

 そんな稀少な本を自分が譲り受けていいものかと不安になった。


「バカだね、シュリン。おまえはこの水の守精の大切な姫だ。おまえさえ望めば、欲しいものはなんでも手に入るんだよ」

「兄君様……」

「それとも、おまえは喜んでくれないの? 僕はおまえの輝くような笑顔が見たくて、水仙の元まで足を運んだというのに」

「そ、そんな! とても嬉しいです。ただ、夢のようなお話しで……。ああ、どうしよう。古代語を勉強しないと」


 シュリンの真珠のような肌が、うっすらと色づき、薄い水色の大きな瞳がきらきらと輝いた。

 喜びを隠しきれない様子に、ロンファーも満足げに笑みを浮かべた。

 しかし、それもつかの間。

 気配を殺して、空気のように佇んでいた美しい青年――フェイを視界に入れると、眉を潜めた。


「卑しい従者殿、なにをぼさっと突っ立ってるんだい。まさか、この荷を可愛いシュリンの細腕に持たすつもりではないよね?」

「……」


 口元に薄い笑みを引いたフェイは、一礼すると部屋へ足を踏み入れた。

 隙のない動きに、一瞬目を細めたロンファーは、面白くなさそうに眉を寄せた。

 フェイへ生誕祝いの品を預けたロンファーは、シュリンと目線を合わせるように腰を屈めると、絹糸のような銀の髪を優しく撫でた。


「さ、もう支度をおし。主役が祝いの席に遅れたら大変だ」

「はい、五の兄君様。貴重なものをありがとう。わたし、大切にしますね」


 シュリンが水の印が刻まれたロンファーの額に口づけを落とすと、ロンファーもシュリンの飾りのついた額へと唇を寄せた。


「今日もおまえに水のご加護がありますように」


 ロンファーに背を向けたシュリンは、もう一度だけ振り返ると、彼に向かってとびきりの笑みを浮かべた。


「また、あとでね!」

「ああ」


 パタンッと、扉を閉めると、フェイの顔から笑みが消えた。


「ふふ、疲れた?」

「五の君のタチの悪さはご健在でなにより」

「五の兄君様は、フェイに剣術で負けたことを快く思っていらっしゃらないのよ」


 陽射しの注ぐ明るい回廊を歩きながら、シュリンはフェイが持っている荷物に興味津々であった。


「今日は、お時間がございません」

「わかっているわ」

「くれぐれも粗相のないように。今日、ご列席の皆様は、水の領でも有力者ばかり。貴女の恥は、水の守精一族全体の恥ですからね」

「ぅ~、フェイは意地悪だわ。わたしだって、ちゃんとお淑やかにできるもの。本当よ?」

「ちゃんとして下さなければ、これまでの苦労が水の泡です。私は教育係としての職を失うでしょうね」


 フェイがそう軽口を叩いたとき、角から数人の女官が現れた。


「まあ! こんなところに……っ」

「お急ぎ下さいませ、姫様。お支度に時間がかかると何度も申し上げたでしょうに」


 煌びやかな衣をまとった女官たちは、あれよあれよという間にシュリンを連れ去ってしまう。

 湯殿で丁寧に体を磨かれ、甘やかな花の香料を全身にこすりつけられる。

 それが終われば、裾のほうにたっぷりと襞のついた真っ白な衣をまとった。その上に、無地の薄い水色を乗せる。次に青、藍と濃淡をつけながら重ねていくと、最後に金や銀の見事な刺繍が入った、美しい(ほう)に袖を通した。腰には、飾り帯を巻き、その上に青玉のついた綾を回す。

 柔らかな革靴に足を通し、ゆったりとくつろげた首元や耳、腕に華やかな装飾具をつけていく。


(お、重い……)


 女官たちのなすがままだったシュリンだったが、普段自分が好んで着ている軽装とは違い、石を全身にぶら下げているような重みに、思わず頬が引きつった。

 けれどシュリンの心情を気づきもしない女官たちは、慌ただしくシュリンの身支度を整えていく。

 今日は、大事な祝い事が行われる日だけに、女官たちも殺気立っているようだった。

 豊かな銀の髪を、頭上で編み上げ、飾り紐や髪飾りで美しく装う。その手つきは素早く、まるで練習を積んだかのような正確さであった。


 髪が終われば、あとは化粧だけであった。

 まだ艶やかな真珠色の肌を持つシュリンに、厚手の化粧は必要なく、女官たちはシュリンの愛らしさを引き立てるように頬や唇にうっすらと薄紅をさし、眦に青い線を引いた。 

 とたん、感嘆としたため息が周囲から漏れた。


「じっとなさっていれば、なんと可愛らしいこと」

「皆様方の視線をさらうことは間違いないですわ」


 口々に褒め称えた女官たちは、一斉にその場に平伏すると言った。


「本日は、誠におめでとうございます。今日を境に、シュリン姫様は一人前の女におなり遊ばします。誇り高き守精一族の一員として、一日も早く公務を果たされることをお祈り申し上げます」

「みんな……」


 思わず、シュリンの目に、涙が浮かびそうになった。

 彼女たちは、赤子だったシュリンの養育係として選りすぐられた者たちばかりだった。これまで苦楽を共にし、それゆえに、シュリンが今日という日をどんな思いで迎えたのかよくわかっているのだろう。


(ありがとう……こんなわたしについてきてくれて)


 主人が<印無し>というだけで嗤われ、日頃、肩身の狭い思いをしている女官たち。

 それでも愚痴ひとつ零さず、これまで親身になって世話をしてくれたのだ。

 感謝してもしたりないだろう。

 そんな彼女たちのために……彼女たちが、シュリン付きであることを誇れるように、シュリンはこれから頑張らないといけないのだ。

 シュリンは、なんの印もない額に触れた。水の民の印である文様を模した飾りの冷たい感触だけが指先に伝わる。


 これは、まがい物だ。

 印の無いシュリンを慮って作られた飾り。

 けれど、とシュリンは顔を引き締めた。


(印が無くても、わたしは、守精の姫だから……)




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