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その三

「様子は、どう?」


 宴の準備の合間を縫って自室を訪れたシュリンは、不機嫌そうな顔をしているフェイに声をかけた。


「命に別状はありません。そのうち目を覚ますでしょう」


 どこか素っ気ないフェイに、シュリンの眉が弱々しく下がる。


「まだ、怒っている?」


 おずおずと近づくシュリンを冷めた目で見下ろしたフェイは、当然でしょうと言った。


「なにを拾ってきたと思えば……。二の君もほだされたのかは知りませんが、貴女の甘言にやすやすと乗るとは」

「二の兄君様は悪くないのよ。わたしがお願いをしてしまったから……。だって、罪を犯していないのに捕らわれるのは変よ」

「それは、サイハ導太師が判断すべき事柄です。たとえ、殺人は犯していなかったとしても、放火の件はどうなさいます? 言い逃れはできないでしょう。重ねた罪は、人を殺すことと同じくらい重いと思いますが」

「ぁ……」


 シュリンは項垂れた。

 フェイは正しい。

 ファン・リー・ツェイに命じられて、火を放ったことは事実なのだ。シュリンは今、犯罪者を匿っていることになる。

 主頭三補佐官に知れたら大変なことになるだろう。


(父上もわたしを軽蔑なさるかしら……)


 一瞬、シュリンの瞳が辛そうに揺れるが、すぐに力強い光を称えた。


(でも、このまま放っておくことなんてできない)


 と、そのとき。

 絹の寝具に包まれ眠っていた従僕が、微かに身じろぎをした。

 駆け寄ろうとしたシュリンをとっさに背に隠したフェイが、腰に差した柄に手を置いた。


「近づいてはなりません」


 シュリンは、フェイの背からそっと顔を突き出すと、従僕の様子を窺い見た。


「ぅ……」


 呻き声を漏らした従僕の目がゆっくりと開かれる。

 赤茶の双眸が、ぼんやりと天井をさまよった次の瞬間、ハッと大きく目を見開くと、勢いよく半身を起こした。しかしすぐに傷口が響いてか、うずくまってしまう。


「……っ、…ぅ」

「フェイ、お医者様を!」

「案ずることはありません。あの程度で死にはしないでしょう」


 シュリンが不安そうに声を上げるが、フェイはいたって冷静であった。

 声に気づいたのか、従僕が荒い息を整えると鋭い視線を投げつけてきた。漆黒の髪に、夕焼けのような落ち着いた色の双眸が、フェイからシュリンへと移る。


「あなたは……」


 犯罪者というよりは、近衛師隊に属していてもおかしくない端正な容貌の持ち主であった。彼は、その整った顔を驚愕に染めると、ようやく己の置かれた状態を悟ったようだった。


「――なぜ、助けたのですか? 俺を武官に突き出せば、この騒ぎも収まるというのに」

「あなたは、わたしに救いを求めたでしょう? たとえ罪を犯した者だとしても、いわれのない罪まで背負うことはない。わたしは、水の守精の姫として、あなたを庇護下に置きます」

「……ッ」


 信じられないとばかりに目を見開く従僕。


「現状を鑑みると気が立った法官に公平を求めることはとても難しいけれど、わたしは水の領と火の領の間で禍根を残したくないの。ファン・リー・ツェイ姫の悲しむ顔をこれ以上見たくないわ」

「!」

「だから、話して。あなたの知っていることをすべて。わたしがあなたの力になるから」


 シュリンの力強い眼差しを受け、従僕の唇が微かに震えた。


「……あぁ、<印無し>の子がすべて無能というのは偽りですね。力はなくとも、貴女は強い。身の内から輝いているようだ。逆境の中にあっても、決して腐らない精神は、日陰で暮らすしかない俺には少し眩しい」


 従僕は、自嘲するように口元を歪めた。


「貴女を傷つけようとした俺を匿い、あまつさえ手を差し伸べるなど、火の領の者だったらあり得ない行為。けれど俺は、貴女の優しさに一縷の望みを託していたのかもしれない。貴女ならば俺の言葉を信じてくれるのではないかと」


 従僕は、ゆっくりと話し始めた。

 ファン・リー・ツェイに命じられ、空き家に火を放った事から、今までどこに潜んでいたかもすべて。

 感情的ではなく、淡々とした喋りであったが、それが逆に真実味を増すようだった。

 語り終えた従僕は、緊張の糸が切れたのか、そのまま意識を失ってしまった。深い眠りに就く彼を一瞥したシュリンは、険しい顔をしているフェイに向き直った。


「わたしはこれから主頭三補佐官に事の経緯を報告してきます。フェイは彼の看病をお願い」

「あの頭の堅い三人が、簡単に信じるとお思いですか? 証拠もないのですよ」 

「わからないわ……。けれどこのままくすぶっていても事態は好転しないでしょ? わたしには、彼が真実を述べているように感じたわ。……本当はね、信じたくない気持ちもあるの」


 シュリンの双眸が辛そうに翳った。


「シュリン様……」

「わたし、駄目ね……。両領の平穏のためにって言ってるくせに、いざ真実が明るみに出ようとすると、目を背けたくなってしまうの。忌まわしい出来事が平然と行われていたなんてね」

「もっと強く、在りなさい」

「フェイ……?」

「耐えることを知る貴女の心は、だれよりも強いでしょう。けれど貴女はまだ闇を知らない。権謀術数とは無縁の中で生きてきた貴女にはきっと、妬みもそしりも、裏切りでさえ、その心を砕くには十分な凶器になってしまう。他人を思いやり、信じようとする貴女の優しさは美点ですが、それだけでは人は成長しません」

「……っ」

「貴女の肩には、すでに貴女にお仕えする者たちの命運が託されているのですよ? 貴女が揺らぎ、迷えば、彼女らも路頭をさまようことになる。認められたいのであれば、もっと強くおなりなさい。兄君方は、それは芯の強いお方ばかり。まさに守精としてなるべく生まれ出たといっても過言ではないでしょう。その資質を水王主が見抜いたからこそ、今の彼らがあるのです」


 フェイは、不安そうにしているシュリンに近づくと片膝をついた。


「貴女も、ですよ。シュリン様」

「え?」

「守精として相応しいから水王主は貴女をお選びになられた。胸を張りなさい。いつまで<印無し>であることを気にかけることがあります。姫君としての力が必要ならば、私を使いなさい。私は貴女の手となり、足となり力を尽くしましょう。――貴女は、私が唯一身と心を捧げた主なのですから」

「フェイ……」


 こんな状況だというのに、シュリンの胸が熱くなった。

 脳裏に鮮やかに浮かぶのは、フェイとの二度目の邂逅のときだ。

 部屋にこもりがちなシュリンを案じて、ホウレンが教育係としてフェイを連れてきたのだ。倒れていたときは気づかなかったが、冷たく整った容貌はだれの目も惹いた。もちろんシュリンも例外ではなく、見惚れてしまった。

 シュリンが恩人だと知ったフェイは、ホウレンの元を訪れたのだという。

 あの頃のフェイは、感情を一切捨て去ってしまったような顔をしていた。

 兄たちは、そんなフェイに不審を抱き解雇しようと騒いでいたけれど、シュリンはそんなこと微塵も思わなかった。

 多分、フェイが<印無し>のシュリンを見ても態度を変えなかったからだろう。


 これまでの教師は、シュリンを煩わしく思っているか、父や兄たちの前だけいい顔をしている者たちばかりであった。

 だから、冷たいながらもちゃんとシュリン自身を見てくれるフェイに好感を抱いたのだ。

 ずっとはいれられない父や兄とは違い、フェイは一日中シュリンの傍にいてくれた。それが不思議で、珍しくて、暇さえあればフェイにくっついているシュリンを見て、女官たちは「まるで母犬にじゃれつく子犬のようですね」と微笑ましそうにしていたものだ。

 懐くシュリンに、フェイも態度を徐々に軟化させて、今では笑みを浮かべているほうが多くなった。


「ありがとう。やっぱり不思議ね。フェイの言葉はわたしに力をくれる。――ちゃんと曇りのない目ですべてを見ないと駄目ね。正しさを見失ってしまったら、真実も闇に紛れてしまう」


 そう呟くシュリンの手をフェイがそっと包み込んだ。


「私はこちらで貴女のお帰りをお待ちしております」


 深く頭を垂れるフェイを黙って見つめたシュリンは、力がわいてくるのを感じていた。

 この先が正念場だ。

 気合いを入れたシュリンは、フェイから離れると部屋を後にした。

 夜も更けたこんな時分に、果たして主頭三補佐官に会うことは叶うのだろうかと不安がよぎる。

 もしかしたら屋敷に帰っているかもしれない。

 彼らの執務室を訪れたシュリンは、明かりが消え、しんと静まり返った室内に気づいて眉を寄せた。ちょうど側を通りかかった侍女に話を聞くと、三人ともすでに辞したあとだったことが判明した。


「どうしたら……」


 朝まで待てば彼らが出仕するのはわかっていたが、今は時間が惜しかった。

 ただでさえ、シュリンが言い出した宴のせいで宮中は落ち着かないのだ。両領の平穏ために心力を注ぐシュリンにとって、そちらの指導も重要であった。


「シュリン……? こんなところでなにをしているの? 床へ就く時間帯だと言っただろう。大舞台を前に緊張して眠れなかったのかな」

「五の兄君様……!」


 怪訝そうな顔のロンファーが、積み重ねた本を片手で持ちながら立っていた。


「その本は……?」

「おまえの役に少しでも立ちたくてね。火の領について調べていたのさ」


 そう言うロンファーはとても嬉しそうであった。

 シュリンが手を貸して欲しいと頼んだら、目を輝かせて了承してくれた。

 以前のよそよそしさが嘘のようだった。きっとあのときは、機嫌が悪かったのだろうとシュリンは決めつけていた。

 こうして話せることのほうがなによりも大事で、嬉しいのだから。


「わたしのために……?」

「僕だけじゃないよ。上の兄たちもおまえのためになにができるだろうと首を捻っているよ。まあ、僕が一番役立つだろうけどね」

「兄君様ったら」


 くすりと笑みを零したシュリンは、ロンファーにお願いをした。


「五の兄君様、至急、主頭三補佐官様にお会いしたいのですが、早馬をお借りしても?」

「馬を? おまえは一人で馬に乗れないだろ。落馬してしまったら大変だ」

「ぁ、だれか一緒に乗ってくれる者を……」

「なら僕が」


 にっこり微笑むロンファー。


「そんな! 兄君様はお忙しく……」

「おまえのためならば公務だって放り出すよ。それに、主頭三補佐官に会いたいなどよほどのワケがあるんだろ? 馬よりももっと早く着く方法がある」


 ロンファーは、夜警に当たっていた武官を呼び寄せると、本を部屋に運ぶよう指示を出した。


「さ、おいで」


 シュリンを軽々と横抱きにしたロンファーは、わずかに手を動かすと見事な氷の鳥を創り上げた。

 二人を乗せた氷の鳥は、優雅に羽を広げると空へと舞い上がった。


「寒くはない?」

「だ、大丈夫です」


 ロンファーの首に手を回し、ぎゅぅっと抱きついていたシュリンは、目に映る景色に夢中になった。

 夜空に瞬く星が近くに感じられる。

 そのまま氷の鳥は、目的地まで飛んでいった。



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