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その三

 別の宮殿へと続く吹き抜けの回廊をとぼとぼと歩いていたシュリンは、突き刺さる視線を四方から感じて、小さくため息を零した。


(なんで、こんなことになるのかしら……)


 面と向かって非難する者はいないが、証拠もなしにファン・リー・ツェイを表立って庇うシュリンに向けられる視線は冷ややかだ。


(こんなときにフェイがいてくれたら……)


 どんなに心強かっただろう。

 シュリン一人で抱えるにはあまりにも重く、目に見えない重圧に潰されそうになる。もしフェイが傍にいてくれたら、悩みを打ち明け、心がすっと軽くなるかもしれないのに……。

 四六時中、気を張っている状況に、シュリンもさすがに疲れが出ていた。食が細くなり、胃がじくりと痛む。

 守警備隊や現場にいた者たちに話を聞いても、不審な者は見なかったという。なにか手がかりとなる痕跡はないかと守警備隊に調べてもらっている最中だが、すべてが燃えて煤となってしまっている以上、新たな発見はないだろうと言っていた。

 怨恨や愉快犯によるものではないかとの見方もあったが、どんな理由にせよ目撃情報がないため、犯人の目星すらつかなかった。まさに八方塞がりだ。


 進まない現状に腹を立てたファン・リー・ツェイは、シュリンを詰って以来、部屋から一歩も出てきていない。この件が片付くまで閉じこもっているつもりらしい。

 ファン・リー・ツェイが楽しく過ごせるよう計画を立てていたというのに、すべてが水の泡と帰した。楽隊による演奏会や庭園でのお茶会、舟に乗っての遊覧など、水の領のよさを知ってもらうために工夫を凝らしていたというのに。


 この調子では、今後の予定をすべて白紙に戻すしかないだろう。

 足がずっしりと重くなるようだった。

 暗澹たる気持ちとは裏腹に、空はどこまでも澄んでいた。


(青……)


 どんな『蒼』でも、聖色に変わりはない。

 濁ることのない澄んだ輝きが、シュリンの両目に映る。聖色を眺めているだけで、心が落ち着くのはなぜだろう。

 雲一つない青空を眺めていると、下仕えたちが次々と平伏していくのに気づいて顔を向けた。そこには、どこか俯き加減に回廊を渡るロンファーの姿があった。


「……ぁ、五の兄君様!」


 思いがけない邂逅に、シュリンはパッと顔を輝かせた。

 しかし彼は、シュリンに気づくと気まずそうに顔を背けた。


「? 五の兄君様……?」

「……不甲斐ない兄を許しておくれ」


 ロンファーはシュリンに近づくのを恐れるように身を翻すと、足早に去っていった。

 残されたシュリンは、呆然と彼が奥へと消えていくのを見つめていた。


 いったい、どうしたというのだろうか。

 いつもだったら、優しく声をかけてくれるというのに。

 ロンファーに対してなにかしてしまっただろうかと、不安が胸の内に広がる。


「まあ、はやり……」

「とうとう五の君も愛想を尽かされて……」

「あの噂は、本当だったのかしら」


 くすくすと愉しげに交わされる声。

 噂……?

 シュリンは、眉を寄せた。

 バッと声が聞こえた方を見るが、話しかけられてはまずいと思ったのか、視線が合わさる前に一礼してからそそくさと仕事場へ戻っていった。

 とても守精の姫に対するとは思えない軽い態度であったが、シュリン付きの女官以外はシュリンのことを軽んじていた。ロンファーに対しては、床に額をこすりつける勢いで伏していたというのに、シュリンには一礼に留めているのがいい証拠だろう。


 だが、<印無し>であることにどこか負い目を感じているシュリンは、そんな無礼な態度にも腹を立てることができなかった。

 ぎゅっと拳を握ったシュリンは、人気の無くなった回廊から目の前に広がる庭園を眺めた。

 五つに分かれた池からは、飛び上がった水が優雅な孤を描いて、隣の池へと吸い込まれていった。それが順繰りに繰り返される。まるで追いかけっこをしているようだ。決して交わることのない水の架け橋は、光りに当たってきらきらと輝きながら水面へとぶつかって弾け飛ぶ。

 途切れることなく続く水芸は、風に乗って涼を運んでくるかのようだった。


 ふわりと銀糸のような髪が風にあおられて、舞う。それを片手で整えたシュリンは、昔を思い出して、小さく笑んだ。


(わたしは駄々をこねて、五の兄君様を困らせていたわ)


 なぜ自分だけ水が操れないのか不思議で、簡単に水を出してみせる兄たちが羨ましくてしょ

うがなかった。自分も、兄君様のようにぴゅーって水を出したいって、せがんでいた。

 そんなときロンファーは決まって、この池の水を使ってシュリンに美しい水芸を披露してくれたものだ。


 もちろん、聖湖の水を引き込み作り上げた池の水を、たとえ守精であろうと許可なく触れるのは禁じられていた。

 だがロンファーは、シュリンを楽しませたい一心で、その禁をたびたび破っていたのだ。それがばれると、みんなにこっぴどく怒られていたが、どんなに叱られようとロンファーは、止めようとはしなかった。

 いたずらっ子のように瞳をきらめかしては、怒られるのを覚悟で、シュリンを慰めるように見せてくれた。


 優しいのだ。

 とても。

 自分のことなど二の次で、シュリンを可愛がってくれる。

 なのに――。


「……五の兄君様」


 先ほどの兄のよそよそしい態度を思い出したシュリンは、胸がもやもやとして、そっと手を置いた。

 もしかして、自分のことを嫌いになってしまったのだろうか?

 ずきん、と胸が痛んだ。

 小さな棘が刺さったようだった。

 そんなことあり得ないと頭ではわかっていても、ここ数日の失態を思い返せば、呆れられても仕方ない。


「……~~~っ」


 じんわりと涙が浮かびそうになったシュリンは、両頬をぱんっと思い切り叩いた。


「うじうじしちゃ、駄目っ」


 よしっと気合いを入れたシュリンが身を翻した刹那、どんっとなにかに当たった。反動で、後ろによろけたシュリンは、思い切り尻餅をついてしまった。

 ずきずきとお尻が痛む。

 思わず顔をしかめると、白く、細長い手が差し出された。


「おやおや、これはとんだ失礼を。お怪我はありませんか?」


 その手を辿って、顔を上げたシュリンは、目を丸くした。

 若かりし頃は、さぞ美男子だったのだろうと思わせる風貌は、年を重ねても色あせていなかった。細く、がっしりとした体躯に、いつも穏やかな表情を称えている顔が、掴み所のないどこか飄々とした印象を与えていた。


「サイハ導太師! は、はい、大丈夫です」


 彼の手を掴むと、力強く引っ張り起こされた。


「――近頃、物騒な世の中になりましたねぇ」


 シュリンを見下ろしたサイハ導太師が、ふいにそう呟いた。


「え……?」


 不審火のことを指しているのだろうか。

 果たして、裁く立場にある彼は、今回の件をどう思っているのだろう。

 感情の読めない笑みを浮かべるサイハ導太師からはなにも読み取れない。


「今のところ犠牲者がいないのが救いでしょうが」

「……っ」

「一の姫、わたしから一つ忠告を」

「忠告、でございますか?」

「これ以上、立ち入ることはお止めなさい。貴女が果たすべき責務は、両領が友好的な関係となるよう導くこと。事件の全貌の解明など危険なことは守警護隊に任せ、大人しくファン・リー・ツェイ姫のお相手でもしていなさい」

「け、けれどっ」

「一の姫――貴女の身になにかあったとき、責任を問われるのはわたしたちですよ」

「!」


 サイハ導太師の冷たい眼差しに気づいたシュリンは、びくりと体を震わせた。

 と、そのとき、サイハ導太師を呼ぶ声が聞こえてきた。


「ああ、いけない。これから重要な評決がはじまるのでした。では、わたしはこれにて失礼いたします」


 軽く頭を下げたサイハ導太師は、すっとシュリンの横を通り過ぎていった。

 呆然とその場に立ちつくしたシュリンは、先ほどまでの勇ましさがみるみるしぼんでいくように感じた。


(わたしが、間違っているの……?)


 出過ぎた真似をしているのは重々承知だ。

 本来ならキリョム征太師が陣頭指揮をとり、領民の安全を守る守警護隊統括隊長に犯人の捕獲を命じるのが筋。

 シュリンが自ら動いて犯人を捜すことはない。

 それでも、――。


(ファン・リー・ツェイ姫の信頼を得るには、じっと待っていてもはじまらない)


 彼女は、シュリンにその任を託したのだから。

 無謀とそしられようと、シュリンにその命に従う以外の術はなかった。




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