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四角四面の未亡人

作者: 透明人間りんね。

 兄が死んだ。

 昔からの生活態度が祟って、病気になったからだ。33歳だった。毎日毎日朝早く起きて、毎日毎日夜遅くまで起きている。寝ている時間は仕事の昼休憩。家に帰ってきてもご飯だけ食べて、部屋に閉じ籠る。そんな生活を何年も続けていた。

 だからと言って、話さないわけではなかった。なんだかんだいって可愛がってくれていたし、一般的な兄妹よりは仲が良かった。

 専門学校をでてすぐ働きに出た兄は、私の学費の幾らかを出していたことだろう。それくらいには、私を溺愛していた。

 優しく、慈愛があり、時に私を叱ってくれた。

 まるで完璧な兄。

 非の打ち所のない男。




 ただ彼は、重度のオタクだった。




 三度の飯より二次元と豪語するほどだった。携帯の中にはゲームアプリだらけ。友達との写真は見受けられず、フォルダの中はスクリーンショットだらけ。本当に友達がいるのかと家族で不安になったことさえある。さらには、毎週月、水、金曜日は欠かさず有名漫画雑誌を買っていた。曰く、紙だからこそ良いらしい。

 テレビの録画画面は、兄のアニメで埋め尽くされている。部屋の本棚は、原作や好きな本ばかりがおいてあった。

 楽しみはゲーム、アニメ、聖地巡礼。休みの日はこの三つか、映画や舞台に出かけ、カラオケに出かけた。おかけでアニメソングには詳しくなった自信がある。こんなだから、彼女ができないんだと言ってみたところ、俺の彼女は画面の向こうにいる。むしろ嫁がいる、とかえされたこともあった。

 長らく足を踏み入れていないが、部屋もかなりのグッズに溢れていることだろう。

 物を作ることに長けていた兄は、求めているグッズが無かった場合、自ら作り上げていた。たまに、部屋から材料がはみ出ていたこともあった。布、ペン、何かの木材。今さらだが、木は一体何に使えるのだろうか。

 そんな趣味に生きた兄だが、ある日ぽっくり死んだ。直前まで、なんとかというアニメの最終回が来るまで死ねないなどと喚いていたが、結局最終回の三日前に呼吸をやめた。

 ――知ってるか、お兄ちゃん。最終回でな、お兄ちゃんの押しキャラは死んだぞ。お揃いだな。

 葬式の日に、冷たくなった兄に言ってやった。あと三日くらい生きてくれれば良かったのに。妹が寂しがる姿が想像できないのだろうか、あの兄は。

 兄の骨は望み通りに、少しだけ海へ流した。好きなキャラの一人が海軍に所属していたらしい。

 残りの一部を私が貰って、今も加工して大事に持っている。大切なお守りだ。

 あとの残りはちゃんと墓に入れた。

 ここまでして全然時間が過ぎていないことに、驚きを隠せなかった。母に言うと、少し涙を滲ませながら、本当ねと笑った。父は、静かに頷いた。



 「ねえ、お兄ちゃんの部屋を掃除しておいてくれない?」

 ある日母はそう言った。

 兄の部屋は、あの日以来全く手をつけていない。

 「断捨離をしろってこと?」

 「違うわ。まだそこまで整理がつかないもの。いい加減ホコリがたまってるだろうから、掃除してきて。」

 眉を潜めた私の頭を軽くはたいてから、母は苦笑いをした。まだ部屋に入るのは嫌なのかもしれない。もしくはあのオタク部屋を直視したくないのかも。

 「わかった。ほうき、どこにしまったっけ?」

 「二階の納戸にあるわ。」

 それだけ聞くと、私は納戸に向かった。暗い部屋の中には、確かにほうきが立て掛けてあった。昔から、かくれんぼをすると兄が必ず隠れた場所だな、だなんてぼんやりと思い出した。

 なんとなく、いつも兄が隠れていた物陰を覗いてみた。

 当たり前だけれど、誰もそこにはしゃがみこんでいなかった。

 手に入れたほうきを握りしめ、兄の部屋へと向かう。私の部屋の隣にあるそこは、あの日のままであった。

 すぱんっ、と勢いよく扉を引く。カーテンを締め切っているおかげで、部屋の中は真っ暗だ。

 「失礼しまーす。」

 なにも言わないで入るのは気が引けたので、小さく呟いてから、足を踏み入れた。

 「電気、どこだ。」

 あまりに暗すぎるので、明かりをつけたいのだが、いまいち場所がわからない。私の部屋とだいたい同じところにあるのか。

 わからないなりに歩を進め、手を壁につける。

 その瞬間、照明がついて、ようやく部屋が一望できた。

 予想していた通り、本棚埋め尽くす漫画やライトノベル。サイズの合わない本や雑誌は、床に積み上げてある。

 カラーボックスの中には、ガンプラやフィギュア、グッズがたくさん入っている。

 足の踏み場がないと言うわけではないが、なんて物に溢れていることだろう。兄が確かに生活していたんだな、と実感できる。

 その中でも特に目を引くのが、等身大サイズであろう女の子のキャラのマネキンだ。

 私と同じくらいだから、160センチくらいの、黒髪の女の子。これが、兄の「嫁」というやつか。ちゃんと話を聞いていなかったから、名前はわからない。聞き流さなければ良かったと、今更後悔する。

 ただ、木製であろう彼女が、兄によって作り出されたことだけはわかった。こんなに大きいサイズの物をもって帰ってきたことも、ネットで注文したことも無かった筈だ。

 「仮にくろちゃんとしよう。」

 名前がわからないので、仮の名前をつけてみた。安直なものだが、特に問題はないはずだ。

 「くろちゃんや、なぜ君はウエディングドレスを着ているのかね」

 唯一の疑問だった。

 純白のドレスに身を包んだくろちゃんは優しい顔をして、こちらに微笑みかけている。よくよく見ると、部屋のあちこちに白い端切れが落ちている。兄が製作したのかもしれない。

 「…え、これ全部つくったの。お兄ちゃん、どんな神経してんだ。」

 えらく精密なそれは、ぱっと見、プロが作ったようだ。

 「なにかイベントの衣装だったのかな」

 兄がやっていたゲームのイベントにウエディング関係があった気がする。全然わからないが、それなのだろうか。

 「…とりあえず掃除するか。」

 考えても仕方ないので、手を動かそう。

 ほうきをはたきのように使って、棚の上に溜まったほこりを落としていく。くろちゃんの上についたほこりは、ほうきじゃなくて手で払った。

 机の上に溜まったほこりは、紙とかに溜まっていたので、ほうきを乱雑に動かしながら綺麗にしていく。

 「カレンダーだ。」

 机の端にぽつねんとおいてある卓上カレンダーが、指先にちょんと当たった。普段家からでない兄に、どんな用事があったのだろう。

 むくむくと興味が湧いてくる。もしかしたら、友達の名前とかがかいてあるかも。

 結局我慢ができなくなって、パラパラと紙をめくる。一月には家族で出かける予定のみ。二月は真っ白。三月は旅行の予定。

 「嘘だろ…。お兄ちゃん、真っ白過ぎる…。」

 どこを見ても、なにも書いていない。強いて言えば、家族関係のみ。

 更に何枚かページを進めると、22日に大きく赤ペンで丸がつけてあった。

 「今日じゃん。」

 なにか予定が入っていたのだろうか。これだけ大きいのだから、デートの予定か、または友達の結婚式か。少なくとも、家族での予定は入っていなかった。

 検討もつかず、首をかしげていると、目の端に質感の違う紙があることに気づいた。少し高そうだ。兄ならすぐに名前が出てくるだろうに、私じゃわからない。

 「なんだろう。」

 紙の間に挟まっていたので、勢いをつけて一気に引き抜く。そこには、几帳面な字で、招待状と書いてあった。

 「お兄ちゃんの字だ。私宛かー。」

 なにに招待しようとしたのだろう。兄の誕生日はまだまだ先だし、なにか祝うようなこともなかった。もしかしたら私が知らないだけで、なにかパーティーを行うほど大きな出来事があったのだろうか。

 「…うだうだ悩んでも仕方ないよね。中見よう。」

 パサつく指を使って、二つ折りのそれを開ける。それにしても十一月に入って、指先がカサカサでしょうがない。ハンドクリームを買うにしても、兄がいつも買っていたからどこで買っていたのかもわからない。そのまま放置している。

 「私たちは、結婚することにいたしました…。それを記念しまして、ささやかながらパーティーを開くことにいたしましたので、是非ご参加下さい…。」

 やはり兄の字で、一字一字丁寧に書かれている。

 「…結婚!?」

 少しの間、事態が飲み込めず、差出人のところを何度も読み返してしまった。やはり兄の名前と女性の名前が、並んで書かれている。だが、いくら読んでも女性の名前を知らない。彼女がいたことさえ知らない。

 「十一月二十二日。開催場所は、お兄ちゃんの部屋…。」

 ここまで目を通して、頭の中に電流が走った。

 下を向いていた顔を、急いで後ろへ回す。

 そこには、「純白のウエディングドレス」を着た「兄の推しキャラ」のマネキンがいる。

 「もしかしなくても、お兄ちゃんのお嫁さん…?」

 兄の嫁なら大変だ。

 結婚披露宴は、予定なら今日のはず。兄が死んだことも知らず、ずっとここで待っていたのか。あまりに寂しすぎる。兄も、このままじゃ死にきれないだろう。

 「お化粧も、着飾ってもいないけど、参列させてね。」

 マネキンに一声かける。端から見たら、頭のいかれた女になることはさすがにわかっている。だけど、兄が決めた生涯一人のお嫁さんだ。失礼になってはいけない。

 「お兄ちゃんはいつも大切なものを、引き出しに入れていたはず。」

 机の上から二段目の引き出しを引っ張る。そこには、黒い小さな箱が、ちょこんと置いてあった。

 「やっぱり。私、お兄ちゃん専門の探偵になれるかもしれない。」

 丁寧に丁寧に箱を取り出して、お嫁さん、私の義姉になる人のところへいく。本当は母や父を呼ぶべきなんだろうけれど、招待状の名前が私だけだったから、私だけで見守る。

 ――神父兼保証人兼参列者だ。

 「健やかなる時も、病めるときも、常に愛し合うことを誓いますか。」

 朧気で、あってるかもわからない常套句を口に出す。

 お嫁さんは口を開かない。ただ、頷いた気がした。奥から、聞き慣れた威勢の良い返事が、聞こえたような気がした。気がした、だけだ。

 順番もなにもかも適当になってしまう。

 指輪を、兄の代わりにお嫁さんにはめる。やはりぴったりだった。

 「お兄ちゃんは、死んじゃったんだ。代わりにはめさせてもらうね。」

 前を見据えたままのお嫁さんに言う。目線を合わせてみる。可動式の腕を動かして、左手を掬う。

 「お兄ちゃんの分は、あなたが持っていてあげて。」

 既にはまっている指輪の上に、兄の指輪をはめる。ブカブカだ。こうしてみると、兄の手は大きかったんだとわかる。

 「…結婚おめでとう。お兄ちゃん、お義姉ちゃん。」

 それだけ言って、義姉の手を上に向かせる。指輪を見せびらかすように、落とさないように。

 一歩、二歩と離れて、改めて義姉の姿を見つめる。

 ぐちゃっとした部屋の中で、圧倒的な存在感。なんだか神々しくて、幸せそうで、本物の新婦そのものだった。

 「おめでとう。」

 もう一回、口に出してみる。

 目頭が異様に熱くなる。喉の奥が渇いて、突っ張っていく。段々視界がぼんやりして、義姉の輪郭が曖昧になっていく。しまいには、白いなにかがあるくらいにしかわからない。

 もう、枯れたと思っていた。

 あの空に消えた、兄との別れの日にすべて流しきったと、そう思っていた。

 まだ、私の中になにかがあったんだな、なんてぼんやり思った。

 ――私はおいていかれたんだな。

 目の前で微笑んでいるだろう義姉に、笑いかける。

 「あなたも、おいてかれちゃったね。」

 そっと目をつむる。

 目蓋の裏に、ステンドグラスに照らされた二人の、幸せそうに笑う姿が浮かんだ。



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