愛と青春の夢物語
思い出すとつらい。思い出したくない。でも思い出してしまう。私の青春の日々が、今、鮮やかによみがえってくる…
第一章 小学校時代~初恋~
「美香子―!教室まで走ろうよ。最初に教室に着いた方が勝ちね。」
「いいよ、花子。じゃあよーいドンね!」
私たちは笑いながらお互いに邪魔しあいながら教室へ走った。
「加藤さん、山本さん、廊下を走っちゃダメー」
「先生、おはようございます!」
「勝った!」
「違うよ、私の方が先よ!」
「京子ちゃん見てたでしょ?どっちが先だった?」
「え、知らなーい。」
キーンコーンカーンコーン。チャイムが鳴った。
「では皆さん、授業を始めますので着席してください。」
「先生、今日も晴れてるから外で授業したいです!」
「ダメダメ、あれは初回だけ。」
「先生、宿題忘れました。」
「またかね、大橋君。君はいつになったら学習するんだい?」
私は学校が大好きだった。後ろには親友の花子が、前には片思いの光一君が座っている。もうそれだけで幸せだった。いつも授業中はおしゃべりばっかり。
「昨日さ、うちのお母さんがフライパンこがしちゃってさ、新しいの買わなきゃいけなくなって。」
「うちも鍋の取っ手が外れたから新しいの買わなきゃなんだ。一緒に買いに行こうよ。」
「どこが安いんだろうねー。」
「ちょっと君たち、ちゃんと授業聞いてるのかね?」
「聞いてまーす♪」
楽しいことってささいなことの中にあると思う。友達との会話。日々の出来事。私はずっと楽しくて明るい子でいたかった。大人になったら、光一君と結婚したかった。そんな光一君は授業中私の前ですやすやと寝ていた…
「馬鹿ちゃんゲームしようよ。べろべろベーのバー!」
「ぶぇっへっへ、ぎゃおー!」
お前ら何歳だよ、ってぐらい一緒に馬鹿ばっかりしてる私と花子。
シャベルで穴を掘ったり、木の上によじ登ったり。
周りではだれだれさんとだれだれくんが付き合ってるとかなんのかんのってうわさがあるけど…そんなのどうでもいいって感じ。
今さえ楽しければそれでよし。今さえ幸せならそれでよし。
いつまでもそう単純でいられたらよかったのに。
学芸会がやってきた。私は主役を希望してオーディションを受けたが、あえなく落ちた。花子はいたずらっ子のウサギ役。私は、花子にぴょんぴょん飛び方を教えるウサギのお医者さん役。キャラにも合わないのに、そんな役になってしまった。
「ねぇ私何で美香子に飛び方教えてもらう役になったんだろう。私たちほとんど同類だよね?」
「うん、何でだろうね。私もお医者さん役なんてやりたくなかったよ…」
花子と私はすごい似てる。けど、花子の方が私より上手に生きることができている気がする。自分のなりたい役になれるところが。っていつから私は自分を人と比べるようになったんだろう。ましてや花子なんかと…
学芸会が終わると、次はディベートの季節。
私の小学校では、テーマは、「ある手品師がいます。その手品師は病気を持った男の子と友達になりました。今日はその男の子のお誕生日ですが、その男の子は家から出られません。手品師は前から男の子にお誕生日の日に手品をしてあげることを約束していました。一方、手品師は、今日たくさんの人の前で手品を披露しなければいけない大事な日です。手品師は大勢の前で手品をするべきでしょうか。それともその病気の男の子1人のために手品をするべきでしょうか。」
私と花子はマイノリティ派でありながらも、病気の男の子1人のために手品を披露するべきだと熱弁した。
「ね、絶対そうだよね。あの男の子との約束の方が大事よね。」
「私もそう思う。その子は誕生日に手品してもらえたらどれだけ喜ぶことか…」
私は花子が大好きだ。いつも味方でいてくれる。
「ねぇ、いつになったら光一君に告白するの?美香子、違う中学校に行っちゃうんでしょ?」
私は驚いて花子を見た。花子、いつからこんな大人な会話をするようになったの?
「うーん…」
私は言葉に詰まった。
「花子!美香子!聞いた?光一君に彼女ができたらしいよ。」
「え?」
「ほら!」恵美は私たちに写真を見せた。そこには光一君とかわいい女の子が浴衣姿で写っていた。
…それが私の初めての恋の終わりだった。
第二章 中学時代~環境の移り変わり~
私はしばらくの間立ち直れなかった。中学に入ってからは、花子も光一君もいない。友達はできたことはできたけど。
「昨日のニュース見た?あの政治家実は賄賂してたらしいわよ。」
「やっぱりそうだったのね。逮捕されてこれから事実を突き止めるらしいね。」
いつの間にこんな難しい話ばかりする友達ができたのだろう。私は馬鹿ちゃんゲームが恋しくなってきた。
学校で遊ぶ友達がいない分、私は隣の家に住むいとこの健太郎とよく遊んでた。
「私、劇の脚本つくったんだー。じゃーん。」
劇のタイトルは「タコタニック」。もちろん、タイタニックのパロディでギャグ満載。ねずみが氷山をかじってしまったため、たこたちの乗っている船が沈んでしまう話。たこ2匹が主人公。
どこかで自分らしくいないとやってられなかった。
部活はバスケ部に入ったが、ボールが怖い。パスをもらいにいくというよりは逃げていた。
私はこの頃から音楽がちょっと好きになってきた。カラオケに行ったり、ボーカルスクールに行ったりした。
「オリジナルソングを弾き語りするときは、いかにピアノに声をのせるかが大切です。」とボーカルスクールの先生は教えてくれた。
私はとにかく歌うのが好きで、いろんな歌を作ってみた。でも、この頃はまだ恋愛とかよくわからなくて、『ぼくらがみんなくまだったら』とかそういう歌しか思いつかなかった。
第三章 高校時代~どうして私!?~
だんだんバスケがうまくなってきて、友達もできて学校生活が安定してきたのが、高校の頃だった。
ある時、圭介という男の子と真由子という女の子と3人で学校から帰っていた日があった。真由子は最近できた仲のいい友達の一人だった。
「池上先生の授業って面白いよねー。いつも犬の話ばかりで。よっぽど好きなんだねー。」
「私は長谷川先生のドラえもんの話が面白かったー。ジャイアンが妹思いだって話とか。」
「俺は水谷先生の音楽の授業が好きだな。あの先生超美人。」
最近は友達ともちゃんと話せるようになってきた。この3人でこのまま仲よくやっていけたらいいなと思っていた。
それなのに、なぜか、その晩圭介にメールで告白された。
どうして私…?なんて返せばいいの?
お姉ちゃんに相談したら、「まだ美香子には恋愛は早いんじゃない?」って言われた。
確かにお姉ちゃんとお姉ちゃんの彼氏みたいな成熟した恋愛はできなそう。それに圭介はいろんな人が好きで、浮気とかされたら嫌だし…
結局私はメールで圭介からの告白を断ってしまった。
真由子に言ったら、「えー、もったいない。」って言われた。
みんな言うことバラバラだなと思った。
真由子は圭介のことが好きらしい。
「なんかあの眉毛の凛々しさといい、適当なところといい、好きなのよねー。」
「じゃあ真由子が圭介と付き合ったら?」
言った途端後悔した。なんか自分の仲のいい男の子と女の子がくっついたら自分の居場所はどうなるんだろう、みたいな。
「うん、そうしてみるかも。ありがとう、美香子!」
私が何も言えないうちに、真由子は走っていってしまった。私は廊下で一人溜息をついた。恋愛も友達関係も難しいな、とこの時初めて思った。
第四章 大学時代~華の大学生~
大学に入り、結局真由子と圭介は付き合い始めた。急に二人が仲良くなって、幸せそうにしていたので嬉しかったが、それと同時にちょっとつまらなかった。ほかに友達はあんまりいないし、二人はいちゃいちゃしてるしで。
「ねぇ、あの二人また授業中手つないで遊んでたよ。やばくない?」
そんな噂もちらほら聞いた。でも友達をかばう勇気がなかった。
私、このままどうなるんだろう。いつか結婚できるのかな?というかまずは彼氏を作らないと…
真由子からある夜電話がきた。「美香子、あのね、私圭介と別れたの。彼、浮気したの。」
『やっぱりそうだったか。』と思うと同時に真由子がとてもかわいそうに思えた。
「そうなの…大丈夫?真由子の家行こうか。」
「うん、来て。」
私たちはお泊りで夜じゅう男というものについて語り合った。ろくでもないよねーとか、一人で平気だよねーとか。
真由子が強がっているのはわかっていた。私としては、友達としてサポートしてあげたいと思うと同時に友達がやっと私に帰ってきてくれたような気分で内心少し嬉しかった。
でも、そこに友美が現れて、私たちの友情はまた引き離されていった。
「真由子ちゃんってかわいいよねー。私、真由子ちゃんとメールアドレス交換したいなー。」
私はどうも友美があんまり好きじゃなかった。私には意地悪で、真由子に対してやたら媚びているところが。
私が「次教室どこだっけ?」と聞いたら、「自分で探せばいいじゃん。」とあっさり言い、「真由子ちゃーん、お昼ごはん食べに行こう♪」と言って真由子の腕に抱きつく。
真由子が困っているのは明らかだった。
それから私は毎日昼ごはんを一人で食べていた。時に泣きたくなった。でも、涙はこらえた。泣くのはカッコ悪いから。
すると、洋平という男の子が私のところに来て、一緒にご飯を食べてくれたりした。
洋平は背が高くて、アメフトをやっていて、頭も良かった。
「今度映画見に行かない?」と彼に誘われた。
私は、これはキタ!と思い、思い切ってその時、「あの、洋平君、ちょっと言いたいことがあるんだけど…」とためらいながら言った。
「ん、何?」
「あの…私…洋平君のことが好きになっちゃった。私と付き合って。」
ストレートに言ってしまった。どうしよう。
洋平はにっこり笑って、「いいよ。」と言ってくれた。
大学に入ってようやく初めての彼氏ができた。これで私はさびしく不安な自分とさよならできた。
二人でいろんなところに行った。渋谷、六本木、桜木町…最初のうちは幸せだった。
「将来、結婚して子供ができたら、海の見える家に住みたいね。」
「ね!私、海大好き!」
心の中では『そんなこと言ってくれる洋平が大好き!』と思ったけど、そんなこと恥ずかしくて言えなかった。
でも、だんだんいつか彼を失ってしまうのではないかという不安がつきまとってきた。
「ごめん、今日俺、バイトがあってさー、会えなくなっちゃった。ごめんな。」
「ううん、大丈夫だよ。バイトがんばって。」
怒れない自分が嫌だった。でも、こういう性格だったのです。
やがて、彼の方から別れを告げてきた。
「本当に勝手で悪いんだけど、俺、本当に愛されてるのかな、って自信なくなっちゃってさ。悪い。」
そんな彼の言葉が、彼の申し訳なさそうな優しい言葉がぐさっと心に突き刺さった。
「うん、ごめん。」
私はそんなような返事しかできなかった。心の中では言いたいことがいっぱいあったのに。
愛していれば愛しているほど、別れるとつらいものです。1週間ぐらい学校に行けなかった。真由子に言うと、「今は悲しいだろうけど、きっとそのうち元に戻るよ。」と言ってくれた。
こういう時に友達がいるってありがたいことだなと思った。
でも、真由子は友美に取られたし…新しい友達を探しに、私は一人でアメリカに行き、そこでスターになることを決めた。
大学を中退し、アメリカのスター育成スクールに編入した。
どちらかというと、歌手よりも女優になりたかった。さらに欲を言えばモデルにもなりたかった。
もちろん、英語でだけど、アメリカでの面接はこんな感じだった。
「So why did you want to become a star? (あなたはなぜ女優を希望したのですか。)」
「I can become famous and I thought it was just right for me. (有名になれますし、自分に向いていると思ったからです。)」
「Why did you think so? (どのように向いていると思うのですか。)」
「I’m good at expressing my feelings. (感情を表すのが得意なんです。)」
「Then can you show it? (じゃあちょっとやってみてください。)」
「Um…(えっと…)」
何も準備していなかったから、笑ってごまかすことしかできなかった。もちろん、その芸能事務所には入れてもらえなかった。
世の中働いている人ってえらいな、って思うようになった。それと同時に自分は本当にちっぽけな人間だなと思った。
夢をあきらめてしょげて日本に帰ってきた私。
また大学からやり直さなきゃ。
うつの波はもう信じられないほど大きく高くなっていた。
「俺は美香子がスターになれると信じてるよ。」
そう言ってくれる人が現れた。出会ったのは、予備校。私たちは大学受験をする仲間同士だった。もちろん彼の方が年下ではあったけど、とてもしっかりしていて頼りがいがあった。
「うん、なれるといいな。」
「海に向かって大声で叫ぶといいよ。『絶対スターになるぞ!』って。」
私とその亮という男の子は海へ行った。
水着姿に冷たい水しぶき。最初はばちゃばちゃ遊んでいたが、こんなに人がいる前で、叫ぶことなどできない。
そこで、私たちは少し歩いて、秘境の地のようなプライベートな場所を見つけた。
「叫んでごらん。」
「え、いやだよ、そんなの。恥ずかしい。」
「俺もそのあと叫ぶからよ。」
私は仕方なく、海に向かって走っていき、「絶対スターになってやるぅぅ!あぁぁぁ!」と叫んだ。振り返ると、亮は少し笑っていた。
「はい、亮の番だよ。」
「わかったよ。」
亮も海に向かって走っていき、「俺は医者になって、美香子を幸せにするぞー!」と叫びながら、結構海の沖の方まで走って行った。
「亮!わかったからもういいよ!」と私が大声で叫ぶと、亮は笑いながら戻ってきた。
私たちは笑いながら砂浜に寝そべった。こんなに一緒にいて楽しくて居心地のいい人は初めて。
やがて二人は隣合わせに座り、夕焼けを見つめていた。
「そっか、亮は医者になりたいんだね。大変だと思うけど、がんばってね。」
私たちは手をつないだ。彼の手は暖かかった。
「美香子、俺はお前にプレッシャーをかけるつもりなどない。自分の好きなものになりな。」
そう言ってくれて、私は人生で一番幸せなときめきを感じた。
それから、私はあちこちでライブをしたり、モデルをしたりして、ちょくちょくお金を稼げるようになった。
亮が私を強くしてくれた。
でも、一番なりたかった女優にだけはなれそうになかった。
小さい頃は声が大きくて、わあわあ騒いだり怒ったり激しく感情を出したりできたが、今の私は声が小さい方で、恥じらいを知ったせいかオーバーに感情を出したり怒ったり演技したりなんてことができなくなってしまった。
お母さんに相談すると、「自分を捨てることが大切。」というなんだかちょっと漠然としたアドバイスをもらった。
今さらだけど、無難に先生とかになればよかったと思う。
亮はこんな私をずっと好きでいてくれるだろうか。それとも洋平みたいに私から離れていくのだろうか。
ある時、私は公園に行ったら、池の前でペットの犬を連れて立っている友美とたまたま会った。帰ろうかとも思ったけど、そーっと近づいて、「友美。」と声をかけた。
友美はびっくりした目でこっちを見た。
「どうしたの?」
「…昔、ここでおぼれて死んじゃった私の犬のことを思い出していたのよ。ラッキーっていうんだけど、ラッキーとここにいるヴィッキーが氷がかっていた池の上で遊んでいたら、突然ラッキーの下の氷が割れて。泳げなかったラッキーは死んじゃったのよ。」
友美は悲しそうに言った。
私は言葉を失った。いつも嫌いだった友美に対して、同情の気持ちがわいてきて、とまどっていたのだ。
「美香子はどうしていつもみんなに対してそう優しいの?」
「どうしてって…」
「私、性格のいい人がうらやましいの。みんなに好かれるから。私は絶対そうはなれない。」
「みんなに好かれる…?」
「本来美香子は私に話す必要なんてまったくないはずじゃない。私がこうやって池の前で立っているのを見て。でも、美香子は近寄ってきてくれた。話を聞いてくれた。美香子…今までごめんね。」
友美は泣いていた。
「本当にごめん…」
私は友美の腕に手をあて、「いいのよ、気にしなくて。」と言ったが、たちまちこれでは進歩がないことに気づき、「確かに今まで友美に冷たくされてつらかった。でも、友美にはきっと友美の事情があったんだよね。だからこれからは友達になろう。」と言った。
友美はますます泣いて、うなずいた。
「今日真由子と桜木町にショッピングに行くんだけど、一緒に来る?」
「喜んで。」
これで私と友美は仲直りができた。
亮は結局医学部に合格し、勉強に励みながらも私と付き合ってくれた。こんな優しさぐらいしか取り柄のない私と…
そんな中、お姉ちゃんの結婚式が近づいていた。お姉ちゃんとお姉ちゃんの旦那さんはもうすでに二人とも自立していて、素敵な夫婦だった。私もそうなれるといいなと思った。
結局先を心配しないで、前だけを見て歩くのが大事なのかなと私は思った。
20代はさんざん遊んでしまったけど。
24歳になった今、いまだに無職の自分を恥ずかしく思う。早く亮と結婚して楽になりたいと思う自分を恥ずかしく思う。でも亮はまだ学生だし…
「大丈夫、亮君ならきっと美香子を大事にしてくれるから。」真由子が言ってくれた。真由子ももうすぐ結婚するそうだ。
「結婚する時、呼んでね。」と友美は言った。「応援してるから。」
私は友美を完全に許せたわけではなかった。また、ずっと私とじゃなく友美といた真由子に対しても少し恨めしい気持ちがあった。でも、それが口から出てこなくて、私はまたしても笑顔で自分の中にある感情を隠してしまった。
前へ進むとはどういうことだろう。友達とは何だろう。待つことの意味って何だろう。
いろんなことを考えながら、私はバイトや料理教室に通いながら気ままに生き続けた。
友達不信になってしまったともいえるかもしれない。私に残されたのは亮だけ。だから亮を大事にしたい。
「ねぇ、亮。亮って私のどういうところが好きなの?」
「俺は美香子のすべてが好きだよ。」
なぜかその答えで満足してしまった。どれだけ待たされてもいいと思ってしまった。
小さい頃から問題児の私。私、どこかで生き方間違えたかな。全般的に間違えたかな。
でも、お母さんの言うように、「日々できることを一生懸命やるだけだよ。」という言葉を信じる。
また、私の無駄な学費のために一生懸命働いてくれた父にも感謝していた。
亮が私のお父さんと似たおおらかな性格をしていて良かったとつくづく思う。
第五章 大人になってから
そしてついについに、私は亮と結婚した。亮が卒業して研修医を一年間やってからプロポーズしてくれた。
でも、私は甘えないように、自分で仕事を見つけながら稼いでいた。
問題は子供だった。私は子育てをうまくできる自信などまったくなかった。根っから不器用で、遠慮がちでおとなしい割にはしっかりしていない私に。子育てなんて。
亮に言うと、「大丈夫だよ。」と言ってくれる。
でも何が大丈夫なのか訳がわからない。
なんで亮はいつもあんなしっかりしていて、私はこんなダメダメなんだろう。もっとしっかりしなきゃ…
でも、絶えず背伸びしているのは人間にとってつらいものです。幸せというのは自然と訪れるものだから、そんな背伸びする必要なんてない。
私と亮の間に初めて子供ができた。男の子で、健という名前をつけた。
不安だったが、実際に生まれてみるともうかわいくて仕方がない。
「健君、健君」と言いながらほっぺたを触ったり足の裏をくすぐったり。
また、美和子さんという新しい友達ができた。美和子さんはマンションの隣部屋に住んでいて、私と同じように子供ができたばかり。洋子という女の子だが、健ととても仲がいい。
「将来二人が結婚したりして。」なんて私たちは冗談を言う。
新しい家庭ができれば、過去のことなんて関係ない。それこそ、今に忙しくて、今が幸せで、今を一生懸命生きるのみだ。
でも、やはり過去を背負っていることは確かで、時折思い出したりする。甘酸っぱい青春の思い出を。
健が大人になったら、亮みたいになってほしい。
健が大人になったら、あの海に連れて行って、ここでお父さんがお母さんに告白したんだよ、って伝えたい。
二人で並んで座ったあの海は今も静かに動いていることでしょう。時がたつのは早いものです。
ちょっと前の話になるけど、結婚式には花子も来てくれた。20年ぶりの再会だったけど、元気そうで良かった。あれから花子とも連絡をとるようになった。
真由子と友美は結婚式に呼べなかった。
「どうして?」と亮に聞かれたけど…
そこのとこの私の気持ちはさすがに亮にはわからない。私にしかわからない。私でもよくわからない。
亮は毎晩帰ってくるのが遅い。でも、亮は家族との時間も大切にできる人だ。
私と違って完璧な人なんです。私も見習わなきゃと思う。でも亮はいつも、「美香子はそのままの美香子でいいんだよ」と言ってくれる。そのままの美香子って…
もっと自分を好きになりたいな。もっと強かになりたいな。いつもこんなことを言っている私に、亮はよく愛想が尽きないなと思う。
でも健君はすくすくといい子に育ってくれてよかった。
これで私も生まれてきた甲斐はあったかな。
思えばいろんなことがあった。失恋がどれだけ悲しいかということ、友達の中にもずっと友達でいられる人とそうじゃない人がいること、そしていつまでも愛してくれるすてきな夫が私にはいることを知った。
亮、本当にありがとう。いろんな気持ちが一つの言葉にまとめられてしまう。すてきな言葉だよね。愛してくれてありがとう。そして私も愛してるってことをちゃんと絶えず伝えたい。
実は、私、最近病院に通い始めた。すべてがうまくいってるようではあったけど、ちょっと不安になって自分から病院に足を運んでみた。今は薬を出してもらっている。精神安定剤みたいな。
人それぞれいろいろな悩みがありますよね。私はもうとにかく無理をしないで、ゆっくり頑張っていこうと思う。亮がいてくれるし。きっと大丈夫。でも、やっぱり不安。
ちょうど、その時、映画に出演しませんか?というオファーが来た。30代のお母さんである私に女優などできるのだろうか。迷ったあげく断ってしまった。無難な生き方しか選べなくなってしまった。昔の怖いもの知らずの私はどこへ行ったのだろう。
要は私は夢より愛を選びたかったのです。
「You'll regret it if you don't give it a try. (こんなチャンス二度と来ないですよ)」と言われても、仕方がなかった。
子供から大人に変わるといろんなことがわかってくる。
亮は「そんなすぐに断らなくてもよかったんじゃない?」と言った。
亮までそんなことを…一人で夜じゅう泣き崩れた。初めて亮と意見が一致しなかった。
でも、私は亮を信じる。だから、翌日断ったことを謝り、もう一度やらせてください、と事務所に頼んだ。
役は、恋愛ものの映画の主人公の女性役だった。
第六章 夢に向かって再び
遠距離恋愛は自分もしている立場だったから想像に難しくなかった。亮と健は日本にいて、私はアメリカにいる。
そんなわけで一作目の遠距離恋愛がテーマの映画は結構うまく演じられた。
何よりも自分の名前が、映画の最後に流れるのが嬉しくてたまらなかった。
ハリウッドでセレブっぽく買い物したり、散歩したりするのももちろん楽しかった。でも亮がいたらもっと楽しいだろうなとは思った。
続いてコメディ系の映画に出たり、アクション映画にも手を出したりもした。
友達ははじめはいなかったけど、アメリカ人の友達の二コールと一緒に買い物に行ったりごはんを食べたりするようになった。
この前、健から手紙で、「お母さんの出てる映画見たよ」と書いてあった。
私は嬉しかったけど、本当はもっと健のそばにいてあげたかった。
「ねぇ、私そろそろ日本に帰ってもいいかな?」
「お前はそれでいいのか。」
亮、そんなこと言ったら迷っちゃうじゃない…
私はその日、一人で海へ行き、海の向こうの夕日を見ながら、「夕日のバカ野郎!」と叫んでみた。
亮は私を必要としていないのか。もう私を愛していないのか。
お姉ちゃんに電話してみた。お姉ちゃんは優しくて、「じゃあうちに帰ってきてもいいよ。」と言ってくれた。
というわけで、私は少し休みをもらって一時帰国した。
亮には秘密で帰国していたが、何も連絡をとらなかった。少し怒っていたのかもしれない。
「美香子は昔から男選びのセンスがないからねー。」とお姉ちゃんに言われた。
「どうしたら自分を愛してくれる人って見つかるの?」
「そうね…目を見たらわからない?」
「わからない。」
「あら、そう。」
第七章 世界一を目指して
二コールがある日電話をくれた。「What’s the matter? There’s a new movie coming up, aren’t you going to star in it? (どうしたの?今、新しい映画の企画があるけど、出演しないの?)」
「Nicole, I’m not as strong as I used to think I was. I can’t be a big star. (二コール、私、自分が思っていたほど強くないことに気づいたの。大物のスターになんかなれないわ。)」
「You don’t need to be strong to become a star. All you need is love and support. C’mon Mikako, you can do it. (スターになるために強くなければならないなんてことはないわ。愛とサポートがあればできる。美香子にはきっとできるはずよ。)」
私は再びアメリカへ行った。もう何度目になるだろう。何度打ち負かされても立ちあがってきたことだろう。
二コールの言ってた映画は離婚してしまう夫婦の映画だった。離婚するが、再婚するというハッピーエンディング。なんか自分の今の状況を連想してしまい、少し苦しかったが、無事役をもらい、頑張って演技した。
そして、亮にアメリカから1カ月ぶりぐらいに電話した。
亮は怒ってた。「なんで俺にだまって帰国してたんだよ?」
すると、私も怒りが込み上げてきた。「あなたが帰ってくるなっていうからでしょ。」涙が出てきた。「私のこと好きじゃないの?一緒に結婚して子供まで育ててきたじゃない?それなのにどうして…」
「すまない。俺が悪かった。許してくれ。」
その一言で、私は心の中が大きく動揺しているのを感じた。ここが離婚するか結婚し続けるかの境目になりそうだったから。
正直に、「わからない。」と答えた。
「今の映画が終わったら、日本に帰国して、一緒に時間を過ごそう。また一からやり直そう。俺はお前を愛している。絶対に幸せにしてあげるから。頼む。」
「…じゃあどうして最初っからそうしてくれなかったの?」
「それはな、美香子にも少し社会というものを体験してほしかったからだ。でももう十分体験しただろ?だからそろそろ帰国してもいいかなって。」
「それってずいぶん上から目線ね。」
こんな感じの会話だったが、私は今の映画が終わったら、亮とやり直すために帰国することを決めた。
「美香子、夢はでかく持った方がいいぞ。」
ベッドの中で亮は言った。
「私、なんか怖くて不安なの、いろいろと。」
「そういう時はいつでも電話すればいい。俺はいつでも応援してる。」
『応援してるだけじゃなくてそばにいてほしいのに』そんな私の心の声は亮には伝わらなかった。
二人目の子供ができた。女の子で、凛という名前をつけた。私と違って凛々しい子に育ってほしいと思ったから。
しかし、凛は優しくおっとりした子で、小学校の時から友達にからかわれたり、いじめられたりした。すると、中学生のお兄ちゃんの健が飛んでくる、そんな感じだった。
私は心配で、もう仕事どころじゃなかった。
ところが、ある時から凛はしっかりしてきた。自分からボーカルスクールに行ったり、積極的に友達を家に呼んで遊んだりして。頭も良かった。
凛は医学部に進み、健は外資系の会社に勤めるようになった。
そこで、私は再度決心した。アメリカに行って、大物のスターになろうと。
普通の恋愛映画やコメディ映画では、若い人たちに負けてしまう。ここは鍛えてしなやかなアクション女優になるしかないと思った。
亮はもちろん大賛成だった。「子供たちは俺に任せて、美香子は自分の夢を追うことに専念していいよ。」って言ってくれて、キスしてくれた。
私は強くなるためにジムに行ったり、ケビンという空手三段のアメリカ人に格闘技を教えてもらったりした。
強いママになるために、ただひたすら走ったり戦ったりし、けがをしても泣かずに頑張った。私は医者でもなく、作家でもなく、この道を選んだんだ。絶対に強くなる。
大会にも出たりした。負けて悔しい思いをして帰ってきたり、勝って自信がついたりの繰り返しだったが、ようやく空手初段がとれた。
しかし、ケビンは、「You have to be a lot stronger to become an action movie star. (アクション女優になるためには、もっと強くなきゃだめだ。)」と言った。私に大会で優勝してくるように指導した。
それから何年も、私は空手ジムに通い続けた。ケビンはとても教え方が上手で、いい人だった。自分に空手の才能がないのを痛感しながらも、がむしゃらに盲目的に頑張った。
日本では、健が結婚したり、凛が卒業したりと色々あった。10年間で、日本に帰ったのはその2回だけであった。
私ももうすぐ50歳。人生の半分は生きた。早く大会で優勝したいな…
「Do you ever wonder why we have to try so hard to live? (人生何でこんなに生きるのに一生懸命にならなきゃいけないんだろう…?)」
「To succeed, of course. Don’t I always tell you so? (成功するためさ。いつもそう言うだろう。)」
「But why? I sometimes think the task is too hard.(でもどうして?時々その試練が重すぎて…)」
ケビンは考え込んでいるようだった。「Well, maybe to live a good afterlife. (いい後世を過ごすためかな。)」
「What do you want to become after you die?(死後は何になりたいの?)」
「A frog. I want to just jump from leaf to leaf on a pond.(カエル。湖の上でただ葉っぱから葉っぱに飛び移りたい。)」
私は思わず笑いそうになった。「A frog? (カエル?)」
「Yeah. What about you? (そうだ。君は?)」
「Uh… maybe a wind. I’d like to blow about freely in the air.(うーん…風かな。自由に空気中を動き回りたい。)」
健の結婚式も泣けたけど、凛の医学部の卒業式はさらに感動的だった。
凛の医学部の主席の友達がスピーチをした。
「若い時の10年と年をとってからの10年ではどちらが長いだろう。普通の人なら10代の方が長く感じるだろう。それは時間の密度が濃いからだと思う。その密度の濃い時間を『青春』と呼ぶなら、僕はどんなに年をとっても青春することは可能だと思う。」
私はこの若者の言葉にどれほど励まされたことだろう。
凛が、「お母さん、私も病気だけど頑張るから、お母さんも病気でも頑張ってね!」と笑顔で言ってくれた。
「凛…あなた、医者になるのね。」私は泣きながら言った。亮は私の肩を抱いていた。
「凛は俺の後を継いでくれるみたいだ。」亮も嬉しそうだった。
「お医者さんになったらね、きっと病気の人の気持ちがよくわかるわよ。これからも夢を追い続けてね。」私は半分自分に言い聞かせるように凛に言った。
「うん、ありがとう、お母さん。」その時の凛は世界一きれいなお医者さんに私には見えた。
10年がかりで鍛え上げた体を、フルに使って、ついにカリフォニア州の大会で優勝した。しかし、ケビンは口酸っぱく「Try harder. (もっと上を狙え。)」と言った。
そこで私はついに世界大会に出場した。
もちろん相手は女性。格闘技の世界大会の女性の部で優勝するようにというのがケビンの要求だった。私はもうそれに応えるために必死だった。それ以外に何も目的はない。
家族のため、自分のため、など難しいことは考えず、ただひたすらケビンの言う通りに頑張った。
そして、52歳の時についに世界大会優勝の夢を果たした。
その時は新聞に載り、インタビューにも答えた。
「Who’s your favorite fighter? (好きな格闘家は誰ですか。)」
「Jackie Chan. He’s cool and he has a very warm personality. (ジャッキー・チェン。カッコいいし、人としての温もりがすごく感じられるから。)」
ケビンと目が合い、彼は私にウィンクしてくれた。
夢を叶えることはこんなに素晴らしいことなんだ。
その後、私みたいに格闘家を目指した自信のないマザー役を頼まれて、また映画に出演するようになった。お得意のポーズはウィンクしながらのガッツポーズ。それから出演した映画の最後ではほぼ必ずやるようにした。
第八章 お帰り、美香子!
私は60歳を機に映画業界から引退した。老後は亮と二人で日本に住むことにした。
ウェルカム・ホーム・パーティはすごかった。映画関係の人も含めると百人ぐらい来てくれたが、中でも嬉しかったのはやはり家族と友達の花子、美和子さん、二コール、そして師匠のケビンだった。
パーティの途中で、大きなケーキが私の前に運ばれてきた。
「美和子さんと私で作ったのよ。」と花子は得意気に言った。
「ありがとう!」私は思わず涙ぐんだ。こういう時に涙もろいのは困ったものだ。
ピンクと白のケーキの上にはちゃんと大きいろうそくが6本立っていて、「お帰り、美香子!」とかわいい赤い字で書かれていた。
「はい、写真!」
集合写真。私はもちろん、亮の隣でウィンクしながら、ガッツポーズ。
二枚目。私が、亮の頬にキスしてる写真。
三枚目。ケビンがケーキを鼻につけて笑ってる写真。
四枚目。私と花子と美和子さんと二コール。みんな大好き!
五枚目。健と凛。大きくなったねぇ。
こんな感じで、延々と私の帰国を祝ってもらった。
これは門出だと感じた。亮とともに老後を過ごす門出であるとともに、もっとずっと先にある天国を目指して歩いて行く旅の門出だと感じた。そこでは、ケビンはカエルかもしれないし、私は風かもしれない。それぞれ各々自分の好きなものになれば良い。それまで、私たちずっと一つで…いられますように、と神様に祈った。
なんとなく神様が、「それでいいんですよ。」と言ってくれているような気がした。笑ってくれているような気がした。
すると、亮が私の手をとり、外へ連れ出した。
空には星が輝いていた。「こんなにたくさんある星の中で、美香子というたった一人の星に出会えてよかったよ。」
「私も。」と私は囁いた。
「お前、すごいやつだな。感心した。」亮は笑いながら私を抱き寄せた。
「あなたこそ。」私も笑った。
二人はずっと笑っていた。二人きり、見事に素敵な三日月の下で。




