人生は成り行きまかせ、、、、人生の究極の処方箋とは?
そもそも、、
人生なんて成り行きまかせでも、いいんですよ。
というか人生は成り行き任せそのものなんですよ。
そうして運命の出会いもないし、運命の人なんてのもいないんですよ、
というか、、たまたま出会っただけでしょ。
成り行きで出会って、それをこじつけて?
運命の出会いなんて言ってお茶を濁してるだけでしょ?
え?
人生は成り行きまかせだって?運命の人なんていないって?
ま、、、、平たく言えば、、、
そういうことです。
人生なんてそういうすべてがこじつけ?の総集編?見たいなものでしょう?
そこの、
あなただってこれまで、どれくらい生きてきたか知りませんが、今までのあなたの人生を振り返ってみて
そうじゃなかった?ですか?
運命の人なんていましたか?いなかったでしょう?
いくら待っても、婚活に何十回行ってみても?
そんな人いなかった、それが悲しい?現実ですよね?
それどころか、要領のいい人は、そこらの適当な?人材?を選んでさっさと結婚にゴールインですよ。
理想と条件に厳しいあなたは?反対にいくら待ってもどんなに、探し回ってみても?
そんなタイプの人がいないという厳しい現実。
気が付けばもう30歳はとっくに超えているという実態、
まあこれは、はっきり言って成り行きに任せなかった?あなたが悪いのです。
成り行きでテキトーに?選んでさっさと結婚しちゃえばよかったんですよ?
ヨーク考えてください。
まずそもそもあなたはどれほどの素晴らしい人材?でしょうか?
美と才能が兼備でしかも話し上手?
家柄も申し分なくて、某有名大学卒?
まあそんなお方なら、とっくに結婚してるでしょうね?
とはいえ、、
あまりにも素晴らしすぎて誰もが遠慮して近づかず、いまだ独身というケースも、まあ、あるでしょうが、、。
反対にこれと言って才能もなくて美貌もなくても、独特のキャラが好感度ナンバーワンで
モテモテというケースもないわけではないですよね。
こればっかりは一概に言い切れないのです。
「蓼食う虫も好き好き」、、、ですからね。まあここが人生のフカシギなところですよね。
さてここからはすこし?大きな?お話しになります。
そもそも人生とは、、その人の努力でしょうか?
それとも、その人の運命でしょうか?
「努力は必ず報われる」という格言もありますが、
まあ私も長年にわたって「人間稼業」やってきましたが、、
せこせこと、努力ばかりしても一向に報われない人がいかに多いかという事実をいくつも見てきましたよ。
汗水たらして、、奮励努力、でも、なぜか誰も認めない?一向に目が出ないんですね。
そんな人がいかに多いことか、私はそんな人々をたくさん見てきましたね。
反対に、これと言って何も努力もしないのに、あれよあれよと大出世?という
ケースだってないわけじゃないですよね?
ほんと、人生って不可解の極みですね。
善人のかたまり?みたいな、いい人が、貧乏でしかも病気ばっかりで、だれにも認めてもらえずに、
野垂れ死に、
反対に小ずるくて、立ち回りばかりがうまくて、無能な小悪党が大出世で我が世の春、、。
ほんと、人生は不条理の極みですよね。
大仰に言うなら「神よ、こんなことでいいんですか」と叫びたいくらいですよね。
まあ、あなたが(わたしが)いくら叫んでみても、神様は、なあんにも、答えてくれはしないでしょうけどね。
さて、では人生とはほんとに、ただただ、もうもう、不公平で、不条理で、
どうしようもないものなんでしょうか?
ここからは、、そんなお悩みのあなたのための?人生処方箋?になります。
まず人生とは、そんなに「大げさに考えすぎてはいけない」、という大原則というか
奥義?法則?原則?があると、私は思っています。
つまり人生をあまりにも深刻に悩みすぎてはだめです。
絶望したり、自暴自棄になったり、果ては自殺したり、一家心中したり、
いずれもダメな人生処方箋?でしょうね。
というのは、
所詮、人生とは、魂の見ている(見させられている)夢幻劇?にすぎません。
その人生夢劇場は、やがてあまりにもあっけなく終わるのです。
夢見に対して、深刻に苦悩しすぎるのは愚の骨頂でしょう?
さめれば、おしまいなんですからね、夢なんですからね。
では、なぜ私たちはこんな夢劇場を見させられているのでしょうか?
それは、まあ、言ってみれば神の仕掛けられた、カラクリ?とでも申しておきましょう。
必要があって、あなたは人生という夢芝居を演じさせられている?
まあ、そういうことでしょう。
どんな必要が?
それはあなたという悠久の魂の、時空の旅において、それが、必要な体験だったのでしょうね。
いずれにしましても、人生は夢そのものです。
人生は確かなものでもないし、実態のあるものでもないし、
まあ。例えるなら、カゲロウのようなもの、そのものです。
あなたは命じて、あなたの髪の毛一本すら、白くまた黒く変われ、ということさえできませんね。
まして、あなたの人生の行く先を、たかが些少なあなたの努力くらいで、どうすることもできないのが人生の、真相なんですよ、。
じゃあ、人生の真相とはいったい何でしょうか。
それは、、神の仕組んだ、筋書き通り、、ということなのです。
あなたは知らず、神の脚本通りに、そう、
まるで操り人形みたいに、ただ、演じさせられているだけ、
これが、悲しい人間の実相なのですよ。
「冗談じゃないよ。
自由意志で、俺は、俺の自己決定権で生きてるよ」、という、そこのあなた、
あなたは知らずに、神の脚本を無意識に、選ばされてそのように、演じさせられているだけです。
まあ「知らぬが仏」ということわざのそのままですね。
知ったら、びっくりですものね。
とはいえ、あなたの人生の大きな絵は、脚本があらかじめ決められていますが、
小さな絵は、あなたの自由意志の範囲なのですね。
ただ、その大きな絵、についても、強制的な、無理矢理に、というような筋書きでもない、、という
神の柔軟さ?があるのです。
面白いといえば面白いですが、事は、人生ですから、面白がってばかりもいられませんがね。
神の道筋、
というか、あなたの人生のあらすじは。
大まかな、、「成り行き」、、としてそこにあらかじめ、あるということです。
よく言いませんか。
「いやあ、成り行きでこうなっちゃいまして、、」
それが実は神の、あらすじだったのです。
あなたは全く気が付きませんが、・、、、、
ですから、
神の道筋通り生きたい?
と、思うなら、人生の選択をすべて成り行きに任せることでしょうね。
もちろんそれで、安全無難な人生が保証されるわけではありません。
行く先には困難も、苦悩も待ち構えているでしょう。
でも、それが神の与えたあなたの人生絵図だったのです。
あなたはそれを受け入れたのです。
だからあなたはこう、言うしかないでしょう。
「神よ。これがあなたの筋書きなのですね、だったら私は何の不満もありません。すべて受け入れます」と。
いずれにしましても、人生はやがて終わります。
振り返れば困難ばかりな人生だったなあ、
あるいは。こんな順風満帆すぎる人生でよかったんだろうか?
まあ、いろんな筋書きを用意されている神のことです。
いろんな人生絵図があるでしょうね。
でも、それももう終わりですよ。あなたの人生劇場はもう終わりですよ。
魂よ目覚めるのです。そして玲瑯なるまなざしで来し方を振り返るのです。
あんなこともあった、こんなこともあった、でも今、すべてが終わった。
悩みも苦しみもあった。恋もした、出世もした。豪邸も立てた、外車にも乗った。
でも、それもすべてが終わった。
そう、、あなたは死んだのですから。
すべては無に帰したのです。お金も恋ももう何の意味もありません。
死人のあなたにはもう、何の関係もないからです。
このように人生のすべてが実は、どうでもいいことなのです、死んでしまったらね。
ですから生きてる時にも、
あまりにも深刻すぎて悩み苦しすぎて、生きていてはだめですよ。
どんなときにも、余裕を持ちなさい。
人生を真剣に生きるのは構いませんが。人生を深刻に悩みすぎてはだめです。
あのイエスキリストはゴルゴタにひかれてゆくとき微笑んでいたではないですか。
苦しい時に笑いなさい、、とまでは、、言いませんが、苦しい時にも余裕を持つことを忘れてはいけません。
さてここまで長々と書いてきて、
人生のおそらく正しい生き方とは。なりゆきに任せるということでしょう。
成り行きに任せるというと一見、何だそんなふざけた生き方?って思われますが。
先ほども述べたように、成り行きには深ーい、真実があるってことですよ。
ですからあなたが人生の岐路に立たされて、どちらかを選択しなければならない時には
運と勘を信じて?「成り行き」でどちらか決めなさい。
それが実は最高のチョイスなんですからね。
そうして、、そういう、
大きな舵を切ったらあとは、細かいことは、おまかせするっていうのも人生を生きる上では大事なことですよ。
「神が与えたもうたことだ、私には何の不満もない、ただ平常心で私はそれを受け入れるだけ」
まあ、私が知る限りは、
これが究極のたぶん?人生処方箋でしょうね。
じゃあ
今日の私のお話はここまでです。