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第五頁「それは舟屋の美学(1/3)」

”同舟相救う”

 



 ――05――



 少し、昔の話になる。まだ葬儀屋が屋号会を発足させたばかりの頃の話だ。

 そのころの葬儀屋はまだ大学生で、一緒に田舎から上京してきた坂口とともに貧乏生活を送っていた。新宿の隣、中野区。中野駅から徒歩二〇分ほど歩いたところにあるコーポ恋吾荘こわれそうの二階の角部屋二〇三号。そこで二人で生活していた。トイレ共同の風呂なし。六畳ばかりの畳の部屋は小難しい本やら漫画やら小説やら様々な書物に囲まれている。本棚がぎちぎちに詰まっていて畳が軋んでいる気もする。扉を開けて眼に入る申し訳程度にある年季の入ったガスコンロとシンクにはいつ買ったか覚えていない半額のシールが貼られた惣菜弁当の残骸が無造作に置いてあった。


 屋号会を発足させる前はお互いにアルバイトをしていたので今より少し生活はどうにかなっていたが、屋号会の仕事を始めたことによって徐々に生活費を稼ぐ時間が減っていった。その分を屋号会で稼げるならよかったのだが、始めたばかりの二人に稼ぐことはなかなかできず、そのせいで二人はいつも空腹で仕方なかった。しかし屋号会の仕事をおろそかにするわけにはいかず、どうにかこうにか生きていた。しかしながら二人は幼いころから殺しをやっていたわけでも特別な才能があったわけでもない。そのため、入ってくる仕事も即座に終わらせることもできず、その入ってくる仕事自体が裏周りの仕事だったので、なおのこと手間がかかっていた。


 大学二年生の春。新入生たちがきゃぴきゃぴとはしゃいでいるのを尻目にふらふらと図書館で休んでいたある日、教授が倒れたという理由で二限が休講になり、そのまま学食へ向かう葬儀屋の携帯に非通知から連絡が入った。


「殺しを頼みたい」


 電話先の何者かはこちらの言い分などもとより聞く気はなさそうで、矢継ぎ早に情報を提供してくる。


「今日、東京湾でブツの取引が行われる。そこに兼信会けんしんかい新元会しんげんかいの連中が現れる。その兼信会の幹部の一人をやってもらいたい。そいつの名は赤川藤三郎あかがわとうざぶろう。聞いた話によると君たちは遺体の処理までしてくれるそうじゃないか」

「ええ、まあそういうこともしますけども――」

「赤川は怪力で有名だが、君たちはどんな手を使ってでも標的を仕留めるのだろう。接近戦になれば分は悪いだろうが、近寄らなければ問題はないだろう。爆殺でもなんでもいい。ほかの連中もまとめて消してくれたってかまわない。依頼が達成されたら報酬金は五〇〇〇出そう」

「五、五〇〇〇!? あんた一体何者だ!?」


 思わず葬儀屋の声が上ずる。しまったと周りを見やると近くを通っていた数人の学生が訝しんで葬儀屋を見ていた。しかしやはり電話先の男はそんなことも気にせず自分の話を続ける。


「それは知るだけ無駄だ。私はお前たちを知っている。今貧困にあえいでいることもな。五〇〇〇もあれば当分は食うに困らず、何より、お前のいう”屋号会”とやらの名もあがるだろう。なんにせよ、悪い話ではないと思うがな。それに。受けないならばこの話を聞いた時点でお前たちの命はない」

「そりゃむちゃくちゃだ!」

「どうする? 死ぬか? 殺すか?」

「ああもう、わかったよ。時間は」

「今夜二二時。場所は芝浦ふ頭。詳しい場所はふ頭に行けば私の部下が案内する。では、せいぜい死なないようにな」


 ぶつり、と電話が切れた。

 やっちまったと葬儀屋は頭を抱えた。自分たちに腕があるわけじゃないのにどうして引き受けてしまったのか。話を聞いた時点でやるかやられるかの状況になってしまった自分のうかつさに腹が立つ。悩んでいても仕方ないと、とりあえず食堂に向かう。食堂の隅の席に座り坂口を待つ。そこに坂口がやってきて、今あった依頼について話した。すると坂口はその三白眼の目尻を下げて困った顔をした。


「出来るのか」


 葬儀屋はそれに答えられなかった。坂口はそれもわかっていたようで、一息吐く。


「やるしかないんだな」

「ああ、やるしかないんだ。とにかく、今日の夜、芝浦に行こう。そこに行けば案内役がいるらしい」

「ってことは」


 坂口と葬儀屋は顔を見合し、それぞれ財布を取り出して中身を見る。


「いくらある?」


 と坂口は葬儀屋を尋ねる。


「二、二〇〇円」


 ぼそりと葬儀屋は答えた。俺は、と坂口は財布を左手で持って逆さにして、自分の右手に小銭を落とす。


「二三〇円だ」


 葬儀屋は力なく肩を落とす。二人は小銭を握りしめる。


「こりゃ飯抜きか……」

「そうだな。しかたない」

「しかたないって、お前、こないだ飯食ったのいつだよ……」

「六日前だ」


 そうだ、と葬儀屋は思いついて坂口に提案する。


「飯食ってさ、徒歩で行かね? 学食だったら二百円もあればそれなりに食えるだろ」

「それは名案だと思うが、待て。見てみろ、あの人の数」


 人の数がなんだよ、と葬儀屋が坂口に言われて後ろを見ると、学食にはもう結構な人がいて、ぞろぞろと並んでいる。うえっと葬儀屋が坂口を見直すと、坂口が今度は顎でレジ横の看板を指す。そこには「限定三〇食! スペシャルランチ二〇〇円!」と書かれていて、葬儀屋がその看板から視線をずらして並んでいる人数を数える。その人数はもう三〇人を超えていた。葬儀屋は他にもあるとメニューを見るが、軒並み三〇〇円を超えている。


「マジかよ……学食は学生に優しいんじゃないのかよ……」

「ぐだぐだ言っていても仕方ない。行くぞ」

「お前は腹減らねえのかよ! バケモンか! モンスターか! 怪物かよ!」


 人目もはばからずに悪態をつく。並んでいた学生たちから変なものを見るような視線が刺さる。そんな葬儀屋を引っ張って坂口はとっとと食堂を後にした。引っ張られながら葬儀屋は悪態をつき続ける。たまらなくなったのか、坂口は葬儀屋の後頭部にどすっと手刀を入れて静かにさせた。そのまま流れるように肩に背負って一度帰路についた。

 葬儀屋が目覚めるとそこにはよく見慣れた天井があった。ぐううと腹の虫が鳴く。


「だあああ、腹減ったあああ……」


 葬儀屋が生気のない声でいう。叫ぶ気力はなかった。そんな葬儀屋を横目に坂口は黙々と刃渡り三〇センチほどの短刀を磨いている。寝転がった状態で葬儀屋が顔だけ坂口に向ける。その横顔を赤くなった夕日が照らす。


「はあ、お前はほんとすごいやつだな」

「何がだ」

「六日も飯食わねえでどうしてそんなに動けるんだ?」


 黙々と短刀を磨く。そのまま坂口が静かに話す。


「山籠もりをしたとき、覚えてるか?」

「ああ、高校二年のころだっけか。三か月くらいずっとこもってたっけ。ありゃ辛かったなあ」

「お前とこの爺さんにいろいろ教わったんだ」

「じいちゃんに?」

「ああ、もうこっちにいるし、お互い大人になったから爺さんも怒らないと思うんだが」


 短刀を磨くのをやめて、坂口は葬儀屋の顔を見た。その眼はまっすぐで、心をすっと射抜くようだった。


「な、なんだよ」


 葬儀屋が少しびくついた。所在無げに伸ばした手がぐしゃぐしゃに吸い殻が盛られた灰皿に当たる。その手で短くなった吸い殻をもって、それについた灰を払ってから口にくわえる。近くにあったジッポライターをとって火をつけた。ちりちりとくしゃくしゃになった吸い殻から煙が上がる。


「お前の爺さん天狗なんだ」


 葬儀屋は盛大にむせた。がはごほとずっと咳込んでいる。咳込んだ勢いで葬儀屋は起き上がりその吸い殻の火を消した。深呼吸を一度して呼吸を整える。


「何言ってんだよ」

「本当のことだ」

「お前、冗談言うんだな」

「本当のことだ。さて、時間だな。行くぞ」


 坂口が窓枠の横の柱にかけられた時計を見て言った。その時計の針は五時ちょうどを差していた。短刀を鞘に納めてそそくさと支度を終えて玄関へ向かう。待て待てとその後ろを葬儀屋が着いていった。


「ちゃんと話せよ!」


 靴を履きながら葬儀屋は坂口に言う。坂口はドアノブに手をかけると、


「仕事が終わったらな」


 と返してそのドアを開けた。




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