第三頁「それは花屋の美学(2/2)」
静かになったところで、ゆりは一人アイリスの花に水をやる。そこに葬儀屋がやってきた。
「お、今日は静かだな」
「葬儀屋さん」
「やあ、ちょっといいか」
「なんですか?」
きょとんとしたゆりに一枚の顔写真のコピーされた書類を渡す。標的がそこに書いてあった。
「この方は?」
「一、二か月前に靖国通りでひき逃げ事故があったの覚えてるか?」
「はい、確か目撃者がいなくて犯人が見つからないって」
「そう、その見つからなかった犯人だ。詳しく言えば、親の金にもの言わせて物的証拠をすべてもみ消したんだ」
「車の損傷した部品だとか見つからなかったんですか?」
「見つかったらしい。けれどもなにしろ、車本体は裏のルートで海外に送っちまったみたいだしオーナーデータは消去されちまったしで結局証拠不十分な状態なんだ」
「それはひどい……」
ゆりは本当にものすごく悲しい顔をした。葬儀屋はそのゆりの肩に手を置き、
「だからお前の出番ってわけだ。あとはよろしく頼む」
「わかりました。それで、その被害に遭われた方は……?」
「一命は取り留めたそうだ。だが、まだ眠ってるらしい。ICUでな」
「そうですか……」
車で待ってる、と手をあげて葬儀屋は去っていった。少し早いがゆりは店じまいを始める。二〇分ほどすると完璧に片づけが終わって、ゆりはエプロンと三角巾を脱いだ。
代わりに白百合のようなワンピースを着て、上にカーディガンを羽織る。すたすたと葬儀屋のもとへ向かう。黒のフィアットで煙草をくゆらせながら葬儀屋は待っていた。
お待たせしましたとゆりが乗り込むと、法定速度をほどよく守って目的地へと車を走らせる。車内で目的地にいる他の標的たちの顔写真を渡す。
目的地は六本木にある違法賭博場。標的たちはそこで湯水のように金を使って遊んでいるらしい。
「見張りは眠らせといた。そんじゃ、終わったら教えてくれ」
「はい、それでは少し失礼します」
ゆりはすたすたと違法賭博場に入っていく。扉を開けるとけたたましい金属音や機械音が鼓膜に刺さった。けれどもゆりの表情は無そのものでまるでその音が聞こえていないようだった。中には二〇を超える人たちがいて、ガヤガヤと騒々しかったのだが、部外者が現れたことで少し静かになった。扉近くにいた二人組の長身の男たちがゆりに絡んできた。
「おいおい嬢ちゃん、ここはおまえみたいなガキが来るところじゃねえぞ」
「外のやつは何やってんだよ、勝手に休憩行きやがったのか?」
ゆりはその男たちには目もくれず、一直線に標的のもとに向かう。
「このクソガキ!」
二人組の片割れがゆりを止めようと右手を伸ばすと、その懐に潜りこんでその男の心臓に鋭い刃物が突き刺さった。刺された男は突然のことで何が起きたのかまったく理解できていない。ゆりは駆け出して跳躍し、ポーカーゲームをしているテーブルに着地した。ゆりの右手には血の滴るナイフがある。ぽたぽたとトランプに血がついていく。眼の前には標的――万年塚良英がいた。その時、刺された男がどさりと倒れ、その隣にいた男が発狂した。素っ頓狂な顔をしているほかの連中も異常事態に気づいたようで逃げ出そうと扉へ走るが、その扉は固く閉ざされたままだった。扉の向こうでは葬儀屋がどこからか仕入れてきた杭を扉の取っ手に突っ込んで開かないようにしていたのである。その開かずの扉に背中をもたれさせて葬儀屋は煙草に火をつけた。
中では今まで狂ったように笑いながら遊んでいた連中が、今度は阿鼻叫喚の地獄絵図さながらに狂ったように泣きながらドアをたたき割ろうとしている。この部屋はあくまで違法賭博場。室内の情報をもらさないために、手の届くところに逃げ道になるような窓はない。
「あなたたち全員、ここで死にます」
ゆりは誰にともなくそういった。その声は誰の耳も聞き取ることができなかった。誰もが自身に突然降りかかった予想だにしない恐怖から逃れようと必死だった。
ゆりが跳躍して腰の抜けた標的の目の前にやってくる。万年塚はガタガタと震えながら命乞いを始めた。
「な、なんなんだよお前、頼むよ、かんべんしてくれよ。金か? 金がほしいのか? ならいくらでも払うよ!」
恐怖で自由の利かなくなっているその手で財布を取り出して札束をゆりに投げつける。ゆりは一瞥もせず、ずっと万年塚の眼を冷たく見ていた。
「わ、わかった! カードやるよ! ほら、ブラックカードだ! なんだって買える! ほしいものはなんだって手に入る! だから命だけは助けて!」
万年塚はそのカードを左手で差し出して、右手を背中へもっていった。隠し持つナイフを取り出すために。ゆりはゆっくりと万年塚に近づく。ナイフが届く距離までゆりが近づいたのを見計らって万年塚は右手をゆりの心臓目掛けて勢いよくのばした。
「死ねえええええええ!!!!」
しかしそのナイフは心臓はおろかゆりに当たることもなく、気付けば万年塚の右太ももに突き刺さっていた。強烈な痛みが万年塚を襲う。万年塚はのたうち回る。その姿を見てさらに悲鳴は大きくなった。その中でも実力を勘違いした数人が束になってゆりに襲い掛かろうとする。ゆりは全員を瞬殺した。全員の心臓を一突きで止めていく。
気付けば生きているのは元いた半分ほどしかいなかった。
「お、おおお俺にこんなことして許されると思ってるのか!? 俺は万年塚コーポレーションの息子だぞ!?」
万年塚が叫ぶ。が、ゆりは何も聞かない。
「私はあなたを裁きません。私はあなたを殺すだけです」
一突き。ずぷりと肉を割いて心臓を貫いたそのナイフは高い窓から差してくる陽の光を浴びててらてらと妖しく光る。
そのまま流れるようにほかに生きていた標的たちの息の根を止めていった。そして残り一人。
「あなたは……」
ゆりの目の前にはがたがたと震える少女がいた。
いつのまにか扉は開いていて、ゆりの隣に葬儀屋がいる。
「この子はまた別の標的だ」
「ではこの子も?」
「いや、救助対象だ」
「そうですか、安心しました」
「ああ、あとは任せろ」
「はい、よろしくお願いします。それでは」
ゆりはそこらじゅうに雑魚寝している遺体の心臓に花を挿していく。それぞれの心臓にオレンジとイエローのマリーゴールドが咲く。そしてゆりはその場を後にした。
翌日。ゆりの姿はアイリスにあった。いつものように花に水をやっている。そこに昨日の花束を買っていった大学生がやってきた。
「昨日はありがとうございました」
「ああ、こんにちは! 喜んでいただけましたか?」
「ええ、喜んでくれました。だからどうしてもお礼を言いたくて」
「そんな、いいんですよ。私はお花屋さんですから!」
「本当にありがとうございました!」
それだけ言うと男は帰っていった。再びゆりは店先の花々に水をやる。鼻歌を歌いながら水をやるその姿は上機嫌そうだった。
今日もアイリスにはたくさんの花が咲いている。
――『花屋』――
体力性★★★★☆
筋力性★★★☆☆
俊敏性★★★★☆
知性 ★★★☆☆
魅力性★★★★★
本名『夢野ゆり』
刺殺専門の殺し屋。標的の心臓を貫き仕留めることを美学とする。よく使うのはナイフだが、基本的に刃物であればなんでも凶器に出来る。身長一六〇センチに満たないその小さな体躯で軽やかに動くさまはウサギのような愛らしさとフェレットのような獰猛さを兼ね備えている。彼女は標的を始末すると、必ずその遺体の刺し口に花が一輪生ける。それが彼女なりの手向けであった。肩まで伸びた栗色の髪先をふんわりとカールさせ、いつも三角巾で後ろにまとめている。くりっとした大きな瞳と小さなその口は笑うと緩み、その顔はまるで少女のよう。店のエプロンをつけており私服といえば店の制服であるが、殺し屋の仕事のときは白いワンピースを着ることにしている。とにかく花が大好きで、「死ぬなら花に囲まれて死にたい」というのが彼女の持論。