表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/22

第三頁「それは花屋の美学(1/2)」

”立てば芍薬座れば牡丹歩く姿は百合の花”

 



 ――03――




 東京都、神保町。数多くの大学が隣接しており、学生街としての顔ももつこの町の一角に花屋「アイリス」はある。可憐な少女が一人で切り盛りしているこの花屋はその店の規模の割に取り扱っている花の種類は数多く、様々な客のニーズに応えていた。そのため客足は多く、さらには店主である夢野ゆめのゆりが大変かわいらしい子であるため、花に興味のないような男どもも彼女を一目見るために足繁く通っており、これまた繁盛に拍車をかけていた。


 六月末、長かった梅雨前線から解放されて今日も天気がいい。相変わらずアイリスにはたくさんの客がいた。高級そうな服に身を包んだ奥様方から保育園や幼稚園へ子供を送った帰りであろう、チャイルドシートがカスタマイズされた自転車を押しながら店先を見ている奥様方、一限と二限はさぼること前提で来たのであろう若い男たちもいて、大繁盛しているといっても過言ではない。その店先には夏の訪れを感じさせる花々が咲いて客人を出迎えている。


 ゆりはニコニコとお客に声をかけるでもなく、みんなの様子を眺めていた。栗色の肩ほどまで伸びた髪先をふんわりとカールさせて、それを白の三角巾で後ろへまとめている。その三角巾には店名でもあるアイリスの刺繍がなされており品があった。くりっとしたおおきな瞳を輝かせて、花選びをしているお客を見ている。全体的にふんわりとした雰囲気があって、小動物のようでもあったし、ゆりという名前であるが、まるで牡丹のような柔らかい印象があった。

 ずっとそうやって眺めていたゆりに声がかかる。


「あの、す、すみません」


 チェック柄のネルシャツにジーンズとスニーカーといういで立ちの男子大学生の一人が申し訳なさそうにしている。


「なんでしょうか!」


 屈託のない笑顔でゆりは彼を見る。するとその男はゆりの笑顔のまぶしさにうっ、と言葉に詰まって眼を逸らした。ゆりは彼にむかってどうしましたか、と尋ねる。と、男は意を決して話し始めた。


「あの、僕、実は好きな人がいて、それでその、僕はその人のことが好きなんですけれど、その人は最近元気がなくて、その、あの、急に花とかプレゼントしたら気持ち悪がられませんかね!?!?」


 音量の調節を間違えたようで最後の方は彼の声がそこらじゅうに暴れて響いていた。なので当然店先にいた各年代の奥様方もその話は聞こえており、それぞれに若いっていいわね、だとか、青春だわぁ、だとか、うちの旦那に爪の垢煎じて飲ませたいだとか、いろいろな声が聞こえてきた。

 その男は顔を沸騰したように真っ赤にして、今にもその顔から湯気が出るのではないかと思うくらいだった。


「きっと喜んでくださると思いますよ? だって、心のこもった贈り物ですから。それに花には花言葉というものがあります。だから、あなたの思いを届けるにはぴったりの贈り物です。私でよければお手伝いさせてください」


 ゆりがにっこりと笑ってそういうと、その男は涙を目じりでとどまらせながら、ありがとうございますと頭をさげた。頭を上げてくださいとゆりが言う頃には店先にいた各年代の奥様方がスクラムを組まんばかりに団結して応援団と化していた。

 ゆりは男に思い人はどんな方なんですか、と尋ねた。


「すごくかわいいんです。幼馴染なんですけど、小さいころから気が強くて男勝りで、でも、料理とか裁縫とか得意で。小さいころは僕より背が高くて――今でも僕より少し高いんですけど――よく、いじめっ子から守ってくれてたんです。眼が切れ長でしゅっとしてるから怖いって思われがちだけど、実は可愛いものとか大好きで、子猫拾って来たり、ぬいぐるみとか大好きでよく持ってるし、だから花とかも気に入ってくれるかなって――あ、す、す、すみません……」


 男はとても流暢に話した。そしてそれからまたしてもあっという間に顔が紅潮していき、今度は爆発でもするのではないかと思うくらいだった。そのまわりにいる奥様方はなおのこと彼に味方して、なんら根拠のない「大丈夫、きっとうまくいく」という言葉のシャワーを浴びせている。


「その方のこと、とっても大切に思ってらっしゃるんですね。素敵です!」


 ゆりはそう言って店の数多い花の中からいくつかをピックアップして男に見せる。彼女の手にはたくさんの花があった。ゆりはそれらをテーブルにおく。


「まずこれがプルメリアといいます」


 そういってゆりはそのたくさんの花の中から数輪を男の前に差し出す。


「いくつか種類がありまして、これはみんなプルメリアなんですけれど、色が全部違うけれど、どれも素敵でしょう? 寒さに弱いのであまり出回らないんですけれど、今年はとても温暖なのでこんなに元気に咲いています」


 はあ、と男は頭をかく。けれどもその花々を見る目は真剣そのものだ。今男の眼の前にあるのは白い花弁が五方向に伸びた花だった。しかしそれぞれがすこしずつ違っていて、一輪は楕円の花弁にその根元からうっすらと淡い黄色が差さっている。もう一輪は細長く白い花弁が伸びていた。そしてもう一輪は淡い赤みがかかった色をしている。


 続いてはこれです、と言ってゆりが差し出した一株の花は、ペンステモンという花だった。薄桃色をした小さな花々がたくさん咲いている。


「とっても愛らしい花ですよね、これはペンステモンと言います。見てるだけで可愛くて癒されること間違いなしです!」


 そして最後にゆりが差し出したのは夏の風物詩ともいえる花だった。


「ひまわり、ですか?」


 男がきょとんとゆりに尋ねる。


「はい、ひまわりです! これも素敵な花なんですよ! ひまわり、って漢字で書くとどう書くかご存知ですか?」

「ええ、向こうに、日に、葵、ですよね」

「はい! これは、ずっと太陽のことを見続ける花なんです! ずっとですよ! すごくないですか!」

「そ、そうなんですか」


 あまりのゆりの圧力に男は思わず負けてしまった。少し後ずさると、それをみたゆりがすぐにすみませんと頭を下げた。


「私ったらごめんなさい! つい興奮してしまって」

「いえ、いいんです。嬉しいです、そこまで考えてくださって」

「何を言ってるんですか、お手伝いしますって言ったじゃないですか!」


 えへへ、とゆりは笑う。それを遠巻きに見ていた男たちがつられてにへらと笑う。奥様方は私だったらこれが嬉しいとかああだこうだと世代を超えた井戸端会議を繰り広げていた。


「あの、これにも全部花言葉ってありますか? どれもみんな綺麗だから、一番花言葉が似合うものにしたいなって思って……すみません」

「なにも謝ることないですよ! えっとですね、プルメリア、これは『陽だまり』です。そしてこちら、ペンステモンは『あなたに見とれています』です。そしてひまわりは――『私はあなただけを見つめる』です! 参考になりましたか……?」

「はい、ありがとうございました。ちょっと考えさせてください」


 男は再び真剣なまなざしで花々を見やる。あまりの真剣さに、あれだけ騒いでいた周りも途端に静かになって固唾を飲んで彼の答えを待った。まるで合格発表のような緊張感がアイリスに広がっていた。かなり長い時間考えた末、「あの」と男が口を開く。

 食い気味にゆりが「はい!」と返事をした。


「これ全部使って花束にするって、できますか? 花言葉を聞いたらどれもこれも良くてなおのこと迷っちゃって」


 すみません、と男は頭をかいた。ゆりはそんな男に、


「おまかせください! どういった感じに仕上げましょうか!」


 と胸を張って返した。少し暗い表情をしていた彼だったが、その返事を聞いて、また明るくなって、お任せしてもいいですか、と尋ねた。


 ゆりは「全力で花束をご用意します」というとそれらの花々をもって、店のカウンターへと向かった。すると待ってましたと言わんばかりに何人かの客がカウンターの前へついていく。ほかの客もそれにつられてついていった。男もそこへ向かうと、奥様方からちゃんと見てなさい、と言われて一番前の特等席へと引っ張られた。


 ゆりはカウンターテーブルへ今回花束に使うプルメリア、ペンステモン、ひまわりを何輪かずつ置くと、目を閉じて深呼吸を数回繰り返す。最後に息を吐き切ったと同時に、よし、と小さく言ってハサミへ手を伸ばした。そこからはまさにあっという間だった。


 余分な茎をスパスパと切り取って花を勢いよくそれでいて丁寧に並べていく。ゆりの脳内ではすでに完成形があり、それがどんどん手元で形になっていく。見ている客たちは形が出来ていくたびにおお、と声を漏らした。そして、


「出来上がりました!」


 ゆりが出来上がった花束を男に渡す。男は思わず感涙した。周りのひとたちも拍手でゆりと男を讃えた。


「本当にありがとうございました!」

「いえいえ、頑張ってくださいね!」

「はい!」


 男はゆりに感謝すると急いで店をあとにした。若い男たちはこれ以上は遅刻できんと男を追うようにして走っていき、奥様方もランチの時間だといって散り散りになる。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ