第九頁「それはとある殺し屋の美学(2/2)」
一時間も経っただろうか。ようやく鎮火した喫茶店はまるでキャンプファイヤーの跡のように黒く炭化した木々がところどころ崩れていた。
一度署に戻るという西村さんに、現場調査に入ります、と言って私はその場に残った。
確かに、確かにおかしかったのだ。あの肉屋が時間通りに来ないなんてことは今までなかったのだ。けれど今日はそうじゃなかった。連絡もなにも無しに遅れてくるようなやつではなかったのに。それに花屋が来なかったこともまたおかしな話だったのだ。なぜあの時、すぐに異変に気づけなかったのだろう。
消防隊員によって運び出された肉屋――夢野潤の遺体を見る。真っ黒に焼けていた。肉屋が普段そうするように、今、肉屋の遺体はそのすべてが燃えていた。手首と足首は何かで拘束されていたようで、そこだけが変に生焼けだった。
すまない、と謝った。謝っても謝り切れなかった。また大切な仲間の命をみすみすと奪われてしまった。殺し屋と名乗る謎の男に。
消防隊員がすべて仕事が終わったようで、私に一言声をかけるとそのまま去って行った。寂しいものだと思う。きっと心の中では何か思っているのだろうけれど、業務的に思えてならなかった。
誰もいなくなった、何もなくなった喫茶店「ハナノユメ」の跡地。そこで店主であった肉屋の隠し扉にむかった。きっとあいつが命を賭して守った花屋はその先にいるだろう。すべてが燃えたのに一か所だけ、少し燃えていない床があった。おそらく肉屋がずっとそこに横たわって下に火が進まないように守っていたのだろうか。
近くにあったへし折れた鉄骨を使ってそこをこじ開ける。本来なら綺麗に並んだ木目のうちの一か所を押せばドアの取っ手になるはずだったが、なにせあの炎だ。もう機能していなかった。ばたんと音がして扉がそこらへんに飛んでいった。
現れた地下へ向かう階段を下りていく。そこには肉屋がよく使っていた防炎性の高いシートにくるまって横たわった花屋がいた。
携帯を取り出して舟屋に連絡する。すぐに出た。
「どうしたの? ずいぶん遅かったじゃない」
一言が出てこなかった。言葉がずっと喉につっかえて、呼吸ができなくなりそうだった。
「どうしたの? 葬儀屋?」
花屋をそっと抱き寄せる。
「肉屋が死んだ。花屋は無事だ。早急に車を手配してほしい。警察がこちらに来るまで一時間もない。頼む」
「わかったわ」とだけ言って舟屋は電話を切った。
夜空は悲しいくらいに澄んでいて、野次馬も消えた周りには静寂のみがあった。けれど、確かに肉屋が守った命が私の腕の中にあった。
静かに息をする花屋の目元には涙の跡があった。
あの閉塞された地下で、たった一枚の壁に隔たれただけの状態で、ただただ兄が死んでいくことを止められもせず、助けることもできない状態がどれほどつらかっただろうか。もっと早くに行動していれば、こんなことにはならなかったのだろうか。それは考えるだけ無駄だとわかっていても、どうしても考えてしまう。
三〇分もすると一台の車がやってきた。相変わらずのよれた黒のスーツでハットを目深にかぶった的屋が降りてきた。
「無事か」
「ああ、花屋は無事だ。心のほうまではわからんが」
「そうか。肉屋は」
「焼かれて死んだ。犯人には会ったよ」
「なんだと?」的屋が目を見開いた。
「自らを殺し屋だと名乗った。おそらくだが、掃除屋を殺したのもあいつかその仲間と見て間違いないだろう」
「お前がそこまで意気消沈しているところをみるとよっぽどの手練れなんだろうな。だとしたら、作戦会議が必要だな」
ああ、と答える。意気消沈している私を見て、的屋が「こればかりは仕方のねえことだ」と慰めるように言った。
「確かに肉屋が死んじまったことも掃除屋が死んじまったことも悲しいけどよ。俺たちゃ殺し屋だ。いつか自分も殺される運命にある。それでもあいつは、最期に妹のことを守ったんだろ? 俺ァその肉屋の心意気に応えてやりてェよ」
「そうだな」
「屋号会のトップはおめェだろ! トップがそんなんでどうすんだ! 今お前が腕に抱えてる花屋の命があいつの忘れ形見だろ! 俺らは死んじまった仲間の心意気を救ってやらなきゃいけねェだろ! お前は葬儀屋だろう。弔うんだろう。魂を行くべきところへ葬送するんだろう。しっかりしてくれよ。つらいのは俺だって、あいつらだって同じだ」
激昂した的屋にそうだな、と私は言った。そのとおりだった。痛いまでに正論だった。私が屋号会の葬儀屋だ。このまま死んでいった二人を弔わずにこんなところでしょげていていいわけがない。
私は抱き上げた花屋を的屋に渡す。大事そうに抱えて的屋は車へ向かった。
「ノルニルで待ってるからよ。仕事が終わったら来てくれよな」
ああ、と返す。的屋の乗ったモーガン・プラス八は豪快なエンジン音とともに夜道を駆けて行った。
一人になった。肉屋が大切にしていた店の中を歩く。
二〇名から三〇名ほど入る大きさの店内。その窓から見えるビルと住宅から隔離されたような、落ち着いた雰囲気の店内はどこか居心地が良くて、いくらでも長居出来た。朝はモーニングセットで会社に行く前に腹ごしらえするサラリーマンの姿をよく見たし、それから少し経てば女子会をする主婦たちがいた。ランチになれば人が程よくごった返して、夜の一九時に閉店するまでいつも人がいた。
窓際のテーブル席は人気で、レポートを書く大学生やお茶会を嗜むマダムたちがこぞって座っていた。その時はだいたい紅茶かコーヒーとその季節のスイーツセットを注文していたかと思う。
朽ちたカウンターがある。よくこのカウンターでタダメシをもらっていた。仕事の話だけでなく、読書や音楽の趣味もあったものだからよく昼休みはここで過ごしていたことを思い出す。ジャズがいつも流れていて、私が来るとウェザー・リポートをかけてくれた。
そのテディベアのような丸々と肥えた体躯と人の好さそうな笑顔。それを見に昼時はよく人が来ていたように思う。
その太く大きな手から作られるランチも、デザートもコーヒーも紅茶も、何もかもがあいつの人となりを表していた。
「オムライスはママにはかなわないから、僕はナポリタンで葬儀屋さんの胃袋をつかむよ」
そんなことを言っていつもナポリタンを作ってくれた。それでその上に綺麗に焼いた目玉焼きを乗せて出してくれた。美味かった。昔ながら、素朴な、喫茶店のナポリタンで、ザクザクに切られた玉ねぎと少し厚めに切られたウインナー、それとすこし太目のパスタにトマトケチャップが程よく絡んでとにかく美味かった。
食後にはブラックコーヒーを出してくれた。それを飲みながら、ウェザー・リポートを聞きながら食後の煙草をくゆらせる。時折ジャズや小説の話に花を咲かせる。
それが至福の時だった。
「また食いたかったよ」
私は一人、誰もいなくなったカウンターの向こうに声を投げた。
いつものようにそこで煙草に火をつけて、西村さんが来るのを待った。
夏の夜空の下、いつもより冷たい風はまるで私たちの寂しさを表しているようだった。
――『肉屋』――
体力性★★★☆☆
筋力性★★★★☆
俊敏性★★★☆☆
知性 ★★★★☆
魅力性★★★☆☆
本名『夢野潤』
焼殺専門の殺し屋。標的を拘束し、全身を炎に包んだのち、防炎性の高いシートでくるんで焼殺することを美学とする。その手さばきは圧巻で、その対象のみを焼き殺す。喫茶店『ハナノユメ』の店主であり、彼の作る料理にはファンが多かった。特に人気が高かったのは彼の淹れるコーヒーとナポリタン。屋号会では舟屋である赤川と並んで料理が上手く、他の面々もよくごちそうになっていた。花屋である夢野ゆりの兄でもあり、近所では仲睦まじい兄妹で有名だった。喫茶店の客も、屋号会の面々も彼の優しい雰囲気に癒されたものは少なくない。熊のように大柄な男ではあるが、心根の優しい、テディベアのような男だった。謎の殺し屋によって喫茶店ごと焼殺されたが、彼は最期に自身の宝物である妹・夢野ゆりを守り抜いた。
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