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第九頁「それはとある殺し屋の美学」(1/2)

"肉を切らせて骨を断つ”

 

 ――09――




 その日。二〇時を過ぎたころ。私が持つグラスの中で氷がカランと音を立てた頃。私のジャケットで携帯が振動した。誰からかと見ると、ディスプレイに西村という文字が表示されていた。すぐに出る。


「おい、どこにいる」


 煙草と酒で焼けた低く重たい声だ。私は何かあったのかと尋ねる。すると西村さんは「事件だ」と言う。それから「署に戻ってくるように」とだけ言ってぶつりと電話は切れた。


 私は勘定を済ませて店を後にした。新宿警察署に向かう。夜風は夏なのに涼しかった。月明りとギラギラした街灯に照らされた歩道を歩く。ふと空を見上げると今日は満月に近かった。足を速める。


 私の所属する組織犯罪対策課重犯罪捜査九係では最近よく起こる犯罪者の失踪事件が組織的なものであるとみて捜査を続けていた。多分、またそれ絡みの事件が起きたのだろう。

 大通りに出るとタクシーがちょうどいたのでそれに乗り込んだ。頭の寂しくなった運転手と他愛もない世間話をしながら署に向かう。


 窓から見える新宿の繁華街は人がごった返していて眠らない街がそこにあった。都会らしく信号がかなりの頻度であったけれども運よく青信号ばかりで、一〇分もすれば署に着いた。


 タクシーから降りて新宿署に入って行く。エレベーターに乗って七階のボタンを押す。どこにも止まらずに七階に着く。ドアが開くと、廊下は節電の影響で少し薄暗かった。かつかつと靴音を鳴らして廊下を歩く。三つめのドアに手をかける。その上には”重捜9”と書いてあった。挨拶をして部屋に入る。そこに西村さんがいた。白くなった髪を後ろにしっかりと固めて、もう六〇も近いのに熊のように威圧感があった。


「遅えぞ」私を一瞥して西村さんは再び手元の書類に目を落とした。すみません、と一言謝って西村さんのそばに行く。

「この写真は?」西村さんの手元の書類を見た。そこには喫茶店らしき店構えをした家屋の写真がクリップで挟まれていた。

「今からここに行く」

「ここが現場になると?」

「ああそうだ、どうやら次はここに住むやつを標的にしたらしい」

「ここに住んでいるのが犯罪者だと? どう見ても、喫茶店、ですよね?」

「そうだ」西村さんは断言した。煙草を咥える。


 私が「ここは禁煙になりましたよ」というとそれを鼻で笑って「ばれなきゃいいんだよ」と火をつけた。


「それで、その住人は一体何をしたというんです?」

「それはわからねえ。おそらく殺人だ。結構な人数のな」

「物的証拠でも挙がりましたか?」

「いんや、まだあがっちゃいねえ。たまたま前の焼殺事件の近くで目撃された犯人の身なりとそこの店主の身なりが似てるらしいからよ。それを調べに行く」

「わかりました。ですが、実は俺、もう一杯ひっかけてきてしまってて」

「だと思ったから俺が運転するよ。今日だけだぞ、まったくよぉ」


 西村さんが椅子の背もたれにかけたジャケットを取り、肩にひっかけた。俺だって呑みてえっての、とぶつぶつとつぶやいた。

 署をあとにして車に乗り込む。いわゆる覆面パトカーというやつだ。西村さんが運転席にどかりと腰かけてエンジンをつけた。そこから現場まで車で三〇分ほどだった。大通りを道なりに走る。しばらくすると住宅街をまっすぐに通る国道に入った。


 カーステレオからは深夜のラジオ番組が流れていた。夏ということで怖い話でもしましょうか、とリスナーから送られた怖い話をおどろおどろしくDJが読んでいる。


「本当におっかねえのは”人間”だっての」西村さんはアクセルを踏み込んだ。確かに、と思う。追い込まれたとき、恐ろしい選択をするのは幽霊じゃない。

「そういえばこんな話知ってるか?」

「なんですか?」

「俺らが今追っかけてる連中、『屋号会』とか言うらしいが、殺し屋集団だ」

「ええ、なんでもそれぞれに美学があるとか」

「そうだ。だがな、どうやらその中で派閥争いがあるらしい」

「派閥争いですか?」


 西村さんが頷いて「それがおっかねえんだとよ」と言った。


「なんでもその屋号会の連中は人間離れしたやつばかりらしい。そんじょそこらの殺し屋とはわけが違うそうなんだが、どうやらその中でも屈指の殺し屋が殺されたそうだ」

「それが、例の『デュラハン事件』……」

「そういうことになるな。しかしだ、どうやらそのデュラハン事件の犯人ってのがなかなかの曲者らしくてな。そいつが、今から行く現場に現れるんじゃねえかって話だ」

「タレこみでもありましたか?」私がそう聞くと西村さんはまた鼻で笑った。

「そんなもんじゃねえよ。俺の長年のカンだ」


 西村さんはそういって私を横目で見て、にかっと笑った。


「また適当な」

「適当だからいいんじゃねえか。適確に当てるんだ」

「的外れじゃないといいですけど」

「言うじゃねえか。でもよ、俺が今までお前と一緒に張ってきたヤマ、外したことがあったかよ?」

「二割ほど」私はそう言って久々に乗ったクラウンの助手席にもたれた。十分じゃねえかと西村さんは笑う。


 ラジオはもう怖い話を終えてスポーツニュースを垂れ流していた。


「どんなに優秀なバッターだって三割も当てれたら万々歳なんだ。それを俺は八割だ。大したもんだろう」

「そうですね、そう言われれば納得です」

「ま、怖い話ってのは、その殺し屋連中と俺が張り合えるかどうか、って話だ。俺は人間だからな。非凡な才能なんてねえ。だからそんときはお前が俺の代わりに戦ってくれ」

「そんな無茶な。ていうか、そのために俺を呼んだんですか?」


 だとしたらひどい話だ。いくら若手とはいえもう三〇を迎えるまであと少しだというのに、そんな新入社員のような扱いをされては困る。

 西村さんは豪快に笑って、冗談だ、とあくびをした。


 そろそろつくころになった。その写真にあった喫茶店は阿佐ヶ谷にあった。二車線の車道と、少し広く設けられた歩道をはさんでその喫茶店はある。レトロな店構えは店主の趣味だろうか。ジャズでも流れていれば様になるな、と思うような店構えをしていた。はずだった。


 店に面した大通りの車道に入ったときにはもう向こうの空が赤く燃えていた。真っ赤な、焼けるような赤だった。

 西村さんも険しい顔をして慎重に目的地に近づいていく。近づけば近づくほど、その赤みはどんどん強みを増して目が痛くなる。夜空に浮かぶ雲に重なるように煙がもくもくと上がっていた。


「そんな、燃えてる……」


 その言葉を言ったのが私の方だったことに気づくのはもう少しあとだった。火災現場に一変した目的地である喫茶店のそばに車を止めて西村さんと私は転がるように外へ出た。

 消防隊はすでに到着していて、鎮火させようと轟々と燃える喫茶店に滝のような水をかけ続けている。


 がやがやと騒ぎ立てる野次馬を押しのけて私と西村さんは現場に近づいた。

 警察手帳を見せて現場の指揮を執る消防隊の隊長と話をする。


「火災はいつ頃起きましたか?」西村さんが事情聴取をしている。


 私は一目散にその燃える喫茶店の中に入ろうとした。

 当然のように止められた。

 止められて、その止めた隊員に耳元でぼそりとつぶやかれた。


「あんたが今から行ったって”肉屋さん”は助からないよ」


 私はその隊員の顔を見ようとがばりと頭を振った。

 赤く燃える炎が照明になってその男の顔を照らした。

 ひどく影のある顔だった。ギラギラと照らす炎と正反対に涼やかに汗すらかかず、しかしその目は気味が悪いほど炎のように朱かった。


「なんだっけ、そうそう、”花屋ちゃん”だっけ? あの子は無事だよ。お兄ちゃんが命を張って守ってくれたからねえ」

「お前、何者だ」

「僕? 僕は殺し屋だよ。でも屋号会のようなことはしない。殺すと思ったらどんな方法でも殺す。殺すことが美学なんだ」


 そういってその男は私を引き留めた手を離した。


「それじゃ、僕は行くよ。また近いうちに会えるといいね」


 男は消防車の陰に消えた。その男を追いかけて消防車の陰に走ったけれど、そこにはもう誰もいなかった。

 燃える喫茶店と、それを消す消防隊。それを見てやんややんやと騒ぐ野次馬がその場にいる。


 西村さんが私を見つけて訝し気に何をしてるんだと呼んだ。

 誰もいなくなったその消防車の陰、そこから伸びた大通りをじっと見つめて、私はまた西村さんのもとに走った。





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