第七頁「それは鍛冶屋の美学(2/2)」
「刀を取れ」
静寂が支配する道場。張りつめた空気を宮部の一言が壊す。そして宮部が新たに静寂を生んだ。音もなく、坂口と宮部はお互いに木刀を構える。お互いの距離は三メートルほど。どちらの得物も届く距離ではない。けれどもお互いに放つ殺気は充分に相手に届いている。木刀を下に構え、坂口が足を前に放る。ぽおんと跳ねるようにして得物が届く距離まで来ると、姿勢を低くしてその勢いを殺さずに切り上げる。その剣筋に真正面からこつんと宮部が木刀の切っ先を当てて逸らす。左にそれた体を前に出た右足を軸にして左回りに横なぎに切りかかる。
それを宮部は後ろへ跳んで避ける。すると宮部が着地した際に膝を使って跳びかかった。真向から一閃。頭上から振り下ろされたそれを両手で持った木刀で坂口がしのぐ。低く膝立ちになった姿勢でいる坂口に間髪入れずに一、二、三撃と宮部が斬りかかった。器用に木刀を振り回してどうにかそれを防ぐ。もう一撃、と宮部の袈裟斬りに自分の木刀を絡めて今度は逆に坂口が斬りかかった。それに宮部が横から乱暴にがつりと木刀をぶち当てた。坂口の木刀が横の壁に当たってカランと音を立てた。一瞬坂口の意識がそちらに向かう。
宮部が横に投げた剣先をそこから切り上げる。それを寸でのところで後ろに下がって回避すると坂口は足技を繰り出した。二連続で右、左と前蹴りを入れる。それを左、右に回避して宮部が横一閃に斬る。すると坂口はぺたりと床に低く伏せて宮部の足元に回し蹴りをした。宮部は飛び跳ねてそれを躱す。そのまま空中から斬りかかるが、坂口は無防備になった宮部の胴を無視して離れたところに転がっている木刀を取りに走った。手にした木刀をすかさず後ろに向けて伸ばす。自分の首筋のすぐ手前で木刀の止まる感覚があった。お互いにふっと力を抜く。
「お前のその刀に対する執着は命取りになるぞ」
「そうですね。ですが、これが俺の美学です」
「それを否定はしないが、自分の足を引っ張らないように策を考えよ」
「はい」
宮部が乱れた道着を直して正座をする。その前に坂口も正座をした。
「今日はありがとうございました」
坂口が深々と頭を下げる。宮部も同様に礼をする。頭を上げてお互いに顔を合わせた。また道場に静寂が訪れた。月光が道場を照らす。少しして、宮部が口を開いた。
「行くのか」
宮部のその目を見据えてきりっとした眼で坂口がはいと返事をした。
「それが仕事ですから」
「今日のは何者だ?」
「ただのチンピラです。殺し屋ということを驕って好き放題にふるまっているようです」
「そうか。お前を心配する必要はないだろうが、気をつけるのだぞ」
「ありがとうございます。では、俺はこれで」
「また飯を食いに来い。顔を見せに来れば和己もきっと喜ぶ。俺もあいつも安心する」
「ええ、では」
坂口は一人道場を後にした。また来た廊下を渡って、奥方にあいさつをする。気を付けて、と優しく言う奥方の横で和己は「もう帰っちゃうの?」と残念そうにしていた。坂口はまた会いにくると伝えて頭を撫でた。
屋敷を出て、門をくぐるとそこには黒のフィアットがあった。運転席の背もたれを後ろに倒して、葬儀屋が寝っ転がっている。坂口が助手席の窓をこんこんと叩くとその窓が開く。
「もういいのか?」
眠気を覚まそうと煙草を咥えながら葬儀屋がとろとろと言う。
「ああ、大丈夫だ」と坂口が返すと、そうか、と葬儀屋が助手席のドアの鍵をあけた。そのドアを開けて坂口が乗り込むと、その後ろには宮部一家がいた。和己がとたとたと走って窓によると「おじちゃんたちまたね」と小さく手を振った。後ろに宮部が寄ってきて、「今度は葬儀屋も来い」というが、葬儀屋は「辛いのはごめんだ」とふらふらと手を振った。奥方は門のそばでこちらに向けて膝を折って礼をした。
「そんでは、またな」
「また来ます」
坂口は頭を下げて、葬儀屋は手を振って、黒のフィアットは走り出した。三人は車が見えなくなるまで見送った。見えなくなってもずっとフィアットが過ぎていったほうを見続ける和己の背中にとんと手を当てて、宮部が屋敷の中へ入るように促した。三人で屋敷の中に戻る。
夜も深まり、時刻は二一時を過ぎようとしていた。とろりと落ちた瞼をこする和己を寝かしつけ、また茶の間に宮部と奥方が二人、座っている。奥方がお酌してくれた日本酒をくいっと飲む。茶の間の奥の柱の上にかけられている振り子時計がかちかちと音を立てる。宮部のすぐ横で奥方が正座をしてそっと目を伏せる。宮部が持ったお猪口をテーブルに置いて、案ずるな、と言った。
「そうは言っても心配なものは心配なものです」
「ああ、そうだろう。俺だってそうだ。けれどもあいつのことを想うなら心配は無用だろう。何せあいつは俺の弟子だ。弟のようにも思っているが、それにしてもあれほど腕の立つ男は他にいない。だから案ずるな。心配のしすぎは体に毒だぞ」
「あなたが信頼しすぎなのです。私だって坂口くんのことを信頼していないわけではありませんが、心配なものはとにかく心配です」
テーブルにおいたお猪口を取って奥方に渡す。それを見て奥方はきょとんとした。お猪口を奥方に持たせると宮部がそれに酌をする。
「たまにはお前も飲め。どれ、もう一つ猪口を持ってこよう」
「それなら私が」
立ち上がろうとした奥方をいいと手で制する。胡坐からさっと立ち上がって台所へ向かった。茶の間に残された奥方の耳に、少し離れた台所からかちゃかちゃと陶器が当たる音が聞こえてくる。少しして宮部が戻ってきた。再びさっき座っていたところへ腰を下ろす。
「今日は一緒に飲むか」
「はい。ありがとうございます」
お互いに酌をしあう。そして猪口を口に運ぶ。宮部がぐっとそれを飲む。奥方はゆっくりとちびちびと飲んでいた。
「大丈夫だ。毎回心配してきたが、あいつらは今までだって生きてきた。これからだって大丈夫だ。今回だってな」
「そう、ですね」
泣いたように笑った奥方の頭にぽんぽんと手をおく。宮部はその厳しさばかりの顔を和らげて、自分にも言うように、大丈夫だ、と言った。
外ではまた蛙が合唱を始めていた。
――『鍛冶屋』――
体力性★★★★★
筋力性★★★★☆
俊敏性★★★★★
知性 ★★★☆☆
魅力性★★★★☆
本名『宮部源十郎』
斬殺専門の殺し屋。標的を斬り殺すことを美学とする。掃除屋の師匠であり、彼が東京に出てきてからの目標となった人物。剣豪であると同時に鍛冶師の腕も超一流で、彼にかかればどんな鈍らだろうと鉄すら斬る代物に様変わりする。齢五〇に近いがその肉体は日々鍛えられており、トップアスリートすら凌駕する身体能力を誇る。その身体能力と彼の超一流の腕で鍛えられた得物とその極み続ける剣術がまじりあい、彼は標的を確実に仕留める剣豪となる。息子の和己と奥方を心から愛しており、大切に思っている子煩悩であり、愛妻家でもある。いつもは道場を開いており、そこで剣道や空手、柔道など幅広く武術を教えている。長く伸びた髪を後頭頂部で結っており、普段着も和服で見るからに武士なので、教え子たちからは”サムライ先生”と呼ばれている。最近の悩みは老眼になりつつあること。