第六頁「それは楽器屋の美学(1/2)」
”弦なき弓に羽抜け鳥”
――06――
渋谷にあるライブハウス”KIWAMI”。そこの裏口から出て人が行き交う大通りを駅の方に少し歩くと路地裏に続く小道がいくつか見えてくる。夕刻時で、街灯は徐々につき始めている。ライブハウスから駅に向かって三本目。その小道は少し複雑で、少し歩くと曲がり角、また少し歩くと曲がり角、と入り組んでいた。
その曲がり角にそれぞれ一本の街灯が設置されていたが、手入れはずいぶんと怠っているようでチカチカと不規則に点滅している。その小道の途中で様々なステッカーの貼られた黒革のギターケースを背負い、もうすぐ夏がやってくるのにいつものように厚手のレザーパンツにレザーブーツ、羽織ったレザージャケットから覗く首元や何本かの指にごつごつとしたシルバーアクセサリーを身に着けて煙草をふかす男が一人。金色の長く伸びた髪をひと昔前に流行ったように逆立てて鶏冠にしたその男は中山玄人――楽器屋と呼ばれる男だった。吸いきった煙草を地面に落とし、ブーツで踏んで火を消す。
「このあと二〇時からライブなんだけど」
近づいてくる革靴の音の主に中山はそういう。それから深くため息をついてギターに気をつけて肩から近くの壁にもたれた。腕を組み、大きめのあくびをした。靴音の主である葬儀屋は相変わらず黒スーツ姿だった。
「忙しい中すまない。今日は俺も時間があるから見に行くよ」
「マジで!? 葬儀屋さんが暇なんて珍しくね?」
「今日はたまたま休みなんだ」
「ふーん、で、そのたまの休みになんでこんなところに俺は呼び出されてるってわけ?」
葬儀屋が懐から写真を一枚取り出して、それを中山に手渡した。
「そりゃ俺に暇があってもおまえさんには仕事があるからな」
「おいおいそりゃないぜ、今日は対バンした連中と飲みに行く予定だったのに――おい」
中山がその写真を見て驚愕した。その写真に写っていた男。
「こいつと飲みに行く予定だったんだぞ」
手渡された写真を葬儀屋に向かって見せつける。葬儀屋はジャケットのポケットから煙草を取り出して紫煙をくゆらす。
「だから今日は観に来るってことか?」
「それはそれ。仕事のついでというより、お前のライブの次いでに仕事しに来たくらいだ」
「ふーん、まあ来てくれるだけでありがたいぜ」
「楽しみにしてるよ」
おうよ、と中山が拳を葬儀屋に向けて突き出した。葬儀屋がその拳に自分の拳をあわせる。中山がその差し出した自分の腕にある時計を見てやべえと漏らした。
「俺もう行くわ。なんかどこぞのプロデューサーが来るらしくてみんな気合い入ってんだ。ほんじゃ、待ってるから! 絶対来てくれよ!」
中山はてきぱきと手を挙げて、それからさっと葬儀屋に背中を向けて走っていった。葬儀屋が自分の腕時計を確認する。時刻は一八時を指していた。あたりには夜の帳が降り、薄暗い街灯が路地裏を少しだけ照らしている。
時間をつぶそうと葬儀屋も路地裏を後にした。その足は近くにあった喫茶店へと向かっていた。自動ドアが開いて店内に入ると珈琲の香りと、ケーキ類の優しい甘い匂いが鼻をくすぐる。いらっしゃいませ、と店員が葬儀屋に声をかけた。ご注文はお決まりですかと尋ねられた葬儀屋は、いつも通り、アイスコーヒーを頼む。会計を済ませてアイスコーヒーを受け取ると喫煙席へ向かう。分煙が騒がれる昨今、ずいぶんと狭くなった喫煙席には人はあまりおらず、隔離されたようであった。これ幸いと空いた席に腰を下ろし、ジャケットから取り出した煙草に火をつける。禁煙席が七〇あるのに対して二〇と三分の一にも満たないそこには例の写真の男の姿があった。その向かい席にはもう一人男がいた。
琥珀色がかったレンズで目元を隠している。レンズの周りは金色に縁どられており、首元や腕時計、指輪もすべて金色に輝いていて如何にも成金という風貌をしている。こいつも関係者なのだろうと考えて、葬儀屋は耳をそばだてた。すると二人は一つの話に区切りがついたようでお互いにカップを口に運ぶ。それからまた静かに話し始めた。
「それで今日はどうなんだよ」
成金風の男が尋ねる。
「ああ、大手プロのプロデューサーが来るらしい。ジゼリルプロダクションの」
「こないだのやつの後釜か」
「ああ、あいつよりは使えるんじゃないか?」
「ふーん、で。どんぐらい稼げるんだよ?」
「それはわからねえよ。俺がどうこうするわけじゃねえんだから」
「お前よぉ、そんなんで気に入らねえって殺してたら売れるもんも売れねえだろ」
写真の男がカップを再び口元に運ぶ。ごくりと喉をひとつ鳴らすと知るか、と切り捨てた。
「俺だってこんなに殺したかねえけど、売れるためにはしかたねえだろ。使えねえ奴が悪いんだ」
「まあいいけどよ。俺ももうけさせてもらってるし。ま、また隠してやるから安心しろよ」
それで二人の会話が終り、空になったカップをテーブルに残して二人は店を後にした。
葬儀屋はスマートフォンを取り出してカチカチとタッピングする。その画面には行方不明者のリストがあり、その中からある人物を探す。
(橋本敦夫――ジゼリルプロダクション所属の音楽プロデューサー。一か月ほど前から行方不明、か。おおよそ山か海にでもいるんだろう)
葬儀屋は次に犯罪者のリストを調べる。顔写真が表示された画面をさーっと指でなぞる。そしてさっきの成金風の男の顔写真をみつけた。それからそのまま電話をかける。相手は中山だった。呼び出し音が七回ほどすると中山が出た。その後ろでは演奏が聞こえていたが、部屋を出たようでかすかに聞こえる程度になった。
「今ラストの練習してたんだけど。なんかあった? もしかして来れないとか?」
「忙しい中すまない。時間通りにそちらには向かえる」
「そりゃよかった。楽しみにしててくれ、今日は俺のソロがあるからよ。涙垂れ流し必須だぜ」
「そうか、そりゃ楽しみだ」
「で、なんだよ」
「お前の仕事が増える」
「マジかよ。なんで?」
「あの写真の男に関係者が一人いた。今調べたらそいつも対象者だった」
「うー、マジかよぉ。まあいいけどさあ。はあ、気が重いぜ」
「すまないな。そろそろライブハウスに向かったほうがいいのか?」
「いや、三〇分くらいあとでいいよ。今来ても並ぶことになっちゃうし」
「そうか、わかった。ではまた三〇分後に」
あいあい、と中山が返事をして電話は切れた。
葬儀屋はアイスコーヒーを飲む。少し時間が経ったから氷が溶けて水の層ができている。半分ほど飲んだところでもう一度煙草に火をつけた。それから時間つぶしにスマートフォンでニュースを読み始めた。一口コーヒーを飲むたびに氷がカランと音を立てる。
葬儀屋が一通りのニュースを読み終えると時間はそろそろ三〇分経つころだった。何本かの吸い殻がたまった灰皿をもって立ち上がる。少しだけ残ったコーヒーを飲み干して口に入ってきた氷をがりがりと噛んだ。
葬儀屋が店を出たのは腕時計が二〇時を指す一〇分ほど前だった。
来た道を戻ってライブハウスへ向かう。入り口には受付らしき人がいる。今回のライブに出演するバンドのTシャツを着た女性が三人いた。すみません、と葬儀屋が声をかける。華やいだ雰囲気の三人はきゃっきゃと葬儀屋に声をかけてくる。
「ご予約とかされてますか?」
「ああいや、してないです。一応、今日出演するバンドの一人と友人なんですが。確か……」
葬儀屋は入り口に貼られているポスターから名前を探す。
「グロッキーブロッケン」
「ああ! そうなんですか!? 私もすごいファンなんです!!」
へえ、と葬儀屋は苦笑いする。予想だにしない女性たちの甲高い歓声に心臓が止まりそうだった。彼女たちは口々に中山の所属するバンドをほめちぎる。えーっと、と葬儀屋がこめかみをかいたところで、三人はすみませんと頭を下げてチケットの購入に話が進んだ。会計を済ませてライブハウスに入って行く。扉を開ける前から凄まじい熱気と重なった音が厚みをもって扉を叩いている。