第一頁「それはとある殺し屋の美学」
”ハードボイルド現代アクションファンタジー”と銘打ってこのお話を書かせていただきます。よろしくお願いいたします!
――01――
七月七日。七夕祭りが行われていた東京・新宿区の宵捕町で掃除屋が殺された。寡黙な男だった。長く伸びた髪を後ろに結って切れ長の目元に凛と澄んだ雰囲気がある男だった。いつも黒のコートを着た掃除屋はブラックコーヒーが好物だった。特にグァテマラの味が好きで、この喫茶店「安住屋」のカウンターテーブルの店奥側の席でよく飲んでいる姿を見かけた。
彼の仕事は実にスマートで、彼のその手さばきを初めて見たときはあまりの鮮やかさ滑らかさに誰もが驚嘆したものである。
そんな彼の死体が七夕祭りで無数の人が行き交う大通り――呑兵衛通りで大多数の目撃者たちによって発見された。彼はまだ生きているような血色のいい肌色をしており、一点を除いて死体とは思われなかった。しかしその一点が完全に彼を死体だと断定させるものであった。大多数の目撃者たちによって発見された彼は首から上が無かったのである。デュラハンのようなその姿はまさに屍であり、そこに命はなかった。
しかし、そのような奇異な姿で発見された彼には、大多数の目撃者が存在していた彼には、その彼を殺害した何者か、その何者かによる犯行を目撃したという者は一人もいなかったのだ。多くいる目撃者たちの中で、自分が第一発見者であるという者たちが十名ほどいたが、それぞれが口を揃えて「気付いたらそこに首なし死体が立っていた」という。彼が首なしになって目撃された時間は一九時過ぎ。陽はとっぷりと暮れて夜空には星が揃い始めた頃だった。
それから一週間が経った今日、私は彼のよく座っていた隣の席でアイスコーヒーを飲んでいた。
彼の席には彼の好きだったグァテマラのホットコーヒーが出されており、まるで弔いの線香のように湯気が上がっている。
「まだ若かったのに」
安住屋の主人である安住直治がつぶやく。手元のコーヒーカップに視線を落として、綺麗に拭いている。その手はどこか悲しそうであった。
私も手元の中身が半分ほど減ったグラスに視線を落とす。溶けだした氷が崩れてグラスに当たり音を立てた。
掃除屋――本名は坂口大和。私の学生時代からの友人であり、同業者であった。ほとんど無表情で何を考えているのかわからないミステリアスな人間だと思われることが多いが、実は猫や犬が好きで、近所の野良猫たちに愛されていたことを私は知っている。
ここに足を運ぶ前に坂口の家の前にある公園に行ってみると、まるであいつを見送るように野良猫たちがそこに集まってあいつの部屋を見つめていた。
「彼は」
主人がぽつりとまたつぶやく。コーヒーカップを磨くその手は止まり、視線はコーヒーカップの向こうを見ていた。
「彼は、どうして殺されてしまったんでしょうか」
私は残りのコーヒーを一気に飲み干し、主人に礼を言って店を出た。左腕につけた腕時計を見やると時刻は一三時を回ったころで、雲一つない晴れ渡った空から太陽がコンクリートを焼き焦がさんとしている。七月も半ばだからただ歩いているだけなのに汗がじわじわと噴き出してくる。今まで空調が効いた涼しいところにいたものだからなおさらだ。
ついさっき主人が言ったことを考えながらどこへ行くともなくただぶらぶらと町を歩く。
「彼は、どうして殺されてしまったんでしょうか」――それはきっと。あいつが殺されたのはきっと私たちの仕事が関係している。私たちの仕事――「殺し屋」ということが。
あてもなく歩いていたが、気付けば坂口の死体が発見された現場についていた。一週間経つが警備は相変わらず数人いて部外者の侵入を防いでいた。今だに捜査は難航しているらしい。数人の警官がああでもないこうでもないと現場をぐるぐると回遊魚のように探索しているのを横目にまた歩き出す。
掃除屋である彼には一つの美学があった。それは標的を確実に一発で仕留めるということ。そのために彼が選んだのは――
「おい、葬儀屋」
再びどこへ行くともなく、あてなく歩いていると私の背中に声がかかった。振り向くとそこには屈強な体をもった偉丈夫がいた。紺の着物を着流して、黒髪がくしゃくしゃと肩あたりまで伸びている。
「鍛冶屋さんか」
「掃除屋が殺されたというのは本当か」
「ああ、本当だよ。首から上を失くして死んだ」
「それはあいつの――」
そう、それはあいつのやり方だ。あいつの美学は「標的の首から上を一撃で切り落として仕留めること」
そして、坂口の標的の選定基準は標的が「殺し屋であること」だった。
我々殺し屋業界にも様々いるが、私が管理している屋号会では犯罪歴のあるものしか殺さないという掟があった。そしてそれを破ったものや、ほかの縄張りでも人を殺すことに酷く悦に入るものの粛清をする。この世界の問題を掃除する存在が坂口大和――掃除屋だった。
「あいつの刀はどうなった」
「なかった。家にもどこにも」
「もしかするとあいつは自分の愛刀でやられたのか」
「可能性は高いだろうね」
「そうか……」
鍛冶屋さんは踵を返してどこかへ歩いていく。私はその背中に言う。
「どこに行く気だよ」
「無論、仇討ちだ。俺が仕留める」
「待ってくれ! 相手の素性がまるで知れない今動くのはとても危険だ」
「しかしあいつは俺の愛弟子でもある。それは無理な相談だ」
「冷静になってくれ。あいつは私の親友だ。私だって自分に無理を言ってるんだ。頼むよ、あんたもこらえてくれ」
「善処する」
鍛冶屋さんはそれだけ言うとどこかへ消えた。相変わらずの飛びぬけた脚力で屋根へと跳躍してその姿はもうない。どこへ行くのかはわからないが、その行く先が仇討ちでないことを祈る。
そうならないうちに早くみんなを集めなければ。私一人でどうこう対処できる問題ではないはずだ。私自身が仇討ちでもしようと思っているようにまるで冷静になっていなかった。
ジーンズの左ポケットに入った携帯を取り出し情報屋に電話をかける。三コール目で相手が出た。
「へいへいいかがしましたかい?」
まるで羽毛のように軽い調子の声だ。信用ならないような態度をしているが、情報屋としての腕は一流だし、性格もいいから憎めない。
「今ある限りの掃除屋のデュラハン事件に関する情報をくれ」
「いつも御贔屓にありがとうございまっすー。かしこまりましたよい。日にちはいつにしましょう?」
「今日だ。今日の二〇時。場所はいつものところだ」
「重ねて承りましたい。ほんじゃ、またその時間に」
ぷつりと電話が切れた。続けて他の連中に電話をかけていく。
右ポケットに入った煙草を取り出して口にくわえる。ジッポライターで着火するとオイルのいい匂いがした。
私は葬儀屋。すべての命は葬送されるべきだという美学のもとに生きている。来栖の命を元ある場所に送り還さねばならない。
まずはそれが第一だ。
私は一足早くいつもの場所に向かった。
いつもの場所、というのは新宿二丁目の片隅にあるBAR「NORNIR」のことである。
ここの主人は生粋のオネエママで、源氏名をゆりたん――本名は赤川藤三郎という。今年の一二月二四日で三二回めの一八歳を迎える予定だそうだが、その姿は筋骨隆々で鍛冶屋さんに引けを取らないくらいにたくましい。
店が並んで立っているところの一角に地下へと延びる階段があり、その階段を下り切るとノルニルの看板が掲げられている。そして今日は呼び出しがあったのでその看板の下に「closed」と書かれた小看板がかけられていた。
私は気にせずドアを開ける。キィと木の鳴く音とともにカランカランとベルの音がする。縦長に伸びたバーカウンターにはすでにママがいて、宮城峡を大きな氷の二つ入ったグラスに注いでくれていた。
「ほーらやっぱりあんたが一番乗りだわね」
ボトルからグラスに注がれるそれはとぷとぷと軽快な音を鳴らす。
「千里眼でも持っているのかい」
おどけてそんな冗談を言ってみる。海千山千のこの人には本当にそんな力があるかもしれない、と言ってから思う。
注ぎ終えた宮城峡のボトルを後ろの棚に戻してママはこちらを見やる。
「似たようなもんなら持ってるわよ。アタシ最近占い家業も始めたのよ」
カウンターテーブルには招き猫のとなりにソフトボールより一回り大きい水晶が置いてあった。
「悪徳商売なんじゃないの。ママは口がうまいからな」
「あら失礼しちゃうわ。本当のことだって言ってるんだから悪徳なんかじゃないわ」
「多少は嘘も言うんだな」
「当たり前でしょ、嘘も方便よ。人はいいことばかり信じたがるくせに悪いことにはこと敏感なんだもの。どうにかしてごまかさなきゃ」
「そんなんでいいのか?」
「いいのよ、毎朝決まる自分の運勢をそこまで気にしてる人なんてそうそういないんだから。それに仕事は多少の手抜きも必要よ」
ふーん、と相槌を打つ。腕時計に眼をやると時刻はまだ一九時を少し回ったところだった。みんなが集まるまではもう少し時間がある。せっかくママがそそいでくれたのだからと宮城峡に口をつける。やはりうまい。口の中で軽やかに、ほんのり果実の甘味がひろがっていく。
「相変わらずあんたはこれが好きなのね」
ママが私を見てそういう。
「どれのことだ?」
「お酒よ、お酒。男なんだからガツンと飲みなさいよ」
「そうしたい気持ちがないわけでもないけれど、俺は下戸だからね。これくらいがちょうどいいのさ」
そう、私は下戸なのだ。あまり酒は飲めないが、そんな私だって飲みたくないわけじゃあない。それで結果行きついたのがこのウイスキーだったという話だ。
三口ほど飲んでグラスを置くと、ママが神妙な面持ちになって、
「掃除屋の件、残念だったわね」
といった。それからママもボウモアのボトルをあけて手元のグラスに注いで、一口でそれを飲み干した。
「あんないい子がなんでこんな目に遭うのかしらね。アタシだって同じことをしてるし、世の中にはもっとひどい連中がたくさんいるのに」
確かに、あいつはいい子だったと思う。人殺し、という時点で決して一般的な「いい子」という扱いは出来ないだろうけれど、少なくとも私たちにとって、彼はとても優しい人でいい人であったのは事実だ。ママだってあいつにどれだけ優しくされたのか。
「ねえ、葬儀屋」
少しうるんだ目で私を見る。ママの右手は今にも握ったグラスを割ってしまいそうなほどぷるぷると震えている。
「あんたが今日招集をかけたのは弔い合戦をするためでしょう」
私はその眼をじっと見据えてうなずいた。
「こんなこと言いたかないけれど、やめておいたほうがいいわ」
「どうして?」
私はもう一度宮城峡を一口飲んだ。それから、
「占いでよくない結果でも出たのかい?」
と尋ねた。するとママは何も言わずゆっくり頭を縦に振った。再びボトルからボウモアを注ごうとして、その手を止めた。
「よくない結果よ、本当によくない結果。人が何人も死ぬわ。血で血を洗うなんて生易しいものじゃない」
「相手の顔は見えたのかい」
今度はその頭をゆっくりと横に振るう。
「相手の顔はわからない。私が見たのはみんな見知った顔ばかり。今日集まるみんなの顔よ」
「それは、好くないね。けれどもそれならなおさらだ。みんなが死んでしまう未来が見えたのならそれをどうにか変えなくちゃ」
少し静寂があって、ママは力なくそうね、と笑った。
腕時計を見やると時刻はまもなく二〇時を迎えようとしていた。
――『掃除屋』――
体力性★★★★☆
筋力性★★★★☆
俊敏性★★★★★
知性 ★★★☆☆
魅力性★★★★☆
本名『坂口大和』
殺し屋専門の殺し屋。標的の首を一太刀で切り離すことを美学とする。丹精を込めて鍛え上げられたその愛刀は斬鉄剣のごとく何物だろうと切り裂く。強烈な斬撃は剣速も常人を超えた速度であり、回避することはまず不可能とされる。身体能力はすこぶる高く、ともに修行をした葬儀屋も師匠である鍛冶屋も一目を置くほど。ネコや犬、小鳥など動物が大好きで、彼自身も動物に愛されていた。心根の優しい人物であり、彼の「殺し屋のみを殺す」という信条は彼が非力なものたちを守りたくて誓ったものであった。彼が何者かによって殺害されたことで葬儀屋はこの物語の主人公になった。