掟
サブタイトルを「約束」と「お別れ」で迷ったのですが、結末が縛られてしまいそうだったので、どっちもやめました。
「恨むんじゃないよ。これは昔からの掟なんだ」
長老のおばあさんは、静かに言い聞かせました。
「はい」
サクヤは唇を噛み締めながら頷きます。
「さあ、これを」
長老の隣にいた村長のおじさんが、サクヤに剣を渡しました。
周りでその様子を見ていた村人たちは、悲しそうに目を伏せました。
サクヤのお母さんとお父さんも、肩を抱き合って泣いています。
ナキも思い詰めた顔で、じっと見つめています。
黒い丸印は、グルマの呪いでした。
この丸印を目指して、グルマの群れが復讐に来るのです。
呪いはその人が死ぬまで消えません。
魔物の群れに襲われれば、村はひとたまりもないので、昔から魔物に呪われた人は、剣をもらって追い出される決まりなのです。
「お父さん、お母さん、ナキ、みんな」
サクヤは一人一人の顔を見渡しました。
「さようなら」
サクヤは寂しそうに呟くと、村の外へ歩き出しました。
〇
村人たちは、サクヤの背中が見えなくなっても、消えた方向をずっと見ていました。誰も何もしゃべらず、足に根っこが生えたように立ちつくしています。
そこへ一人の青年がやって来ました。
「みんな集まってどうしたんだ?」
不思議そうに言ったのは、狩りから戻ったシモンでした。
捕まえたシカを縛って、逆さまにおんぶしています。
村人たちは目をそらし、長老がわけを話しました。
説明を聞き終わったシモンは、弓を握りしめて怒りました。
「何でサクヤを行かせたんだ」
「村のためには仕方ないんだよ」
長老はゆっくりと首を振ります。
「みんなで戦えばいいじゃないか」
「魔物は危険だし、たくさんいる。群れで襲われたら村が滅びてしまう。それに私たちは、ただの村人だ。戦士のようには戦えないよ」
「だからって見捨てるのか? 俺は嫌だ、サクヤを助けに行くぞ」
シモンはシカを置いて飛びだそうとしました。
長老の横にいた村長が、その肩をつかみます。
「やめろ、シモン。お前まで死んでしまうぞ」
「邪魔するな」
シモンは村長の手を乱暴に振り払いました。
「俺の父さんは魔物に殺されたんじゃない。みんなの臆病に殺されたんだ」
そういうと、サクヤの足跡を追って走り出しました。
〇
サクヤは何もない原っぱを歩いていました。
足取りは重く、なかなか前に進めません。
大きすぎる剣は引きずられ、ぐねぐねと地面に線を描いていました。
空はどんよりと曇っていて、肌寒い風が吹いています。
サクヤは決して後ろを振り返りませんでした。
そうすれば、逃げ戻ってしまうのが、わかっていたからです。
遠くの方で、鳥たちがいっせいに飛び立ちました。
いままで見たこともない数です。
きっとその下には、グルマの群れがいるのでしょう。
サクヤは死が間近に迫っているのを感じ、剣をギュッと抱きしめました。
「どっちがマシかしら?」
ポツリと呟き、鞘から剣を引き抜きます。
銀色に光る刃は、サクヤの首など簡単に切ってしまいそうでした。
サクヤが吸い込まれるように剣を見つめていると、ふいに自分を呼ぶ声が聞こえました。はじめは小さかった声が、だんだん大きくなってきます。
「おねーちゃーん」
サクヤが振り返ると、そこにはナキがいました。
バウワウの背にまたがり、ものすごい速さで近づいてきます。
「水臭いやん。なんで相談せんのや」
バウワウはサクヤの前で立ちどまり、不満そうに言いました。
その背中から飛び降りたナキが、サクヤに抱きつきます。
「どうして?」
サクヤは戸惑ったように尋ねました。
「このチビッコがな、教えてくれたんや。ひとりで裏山にまで来て、お嬢ちゃんがピンチやって。自分のせいやって思い詰めとったけど、話を聞いたらホロホロの実を頼んだワイにも責任はあるやん? せやから助けにきたんよ」
「でもそのきっかけを作ったのは、決まりを破って裏山に入った私よ」
「世界はつながっとるんやで、連帯責任や。わかったら、はよ乗り」
バウワウはしゃがみ込み、背中を小さく揺すりました。
「どこへ行くの?」
「安全なところや」
バウワウはサクヤとナキを乗せると、風のように走り出しました。
小川を飛び越え、畑を横切り、村を通りすぎました。
そしてあっという間に裏山にたどり着くと、急な崖を上り、大きな洞窟の前でふたりを降ろしました。
「ここどこ?」
ナキがキョロキョロと辺りを見回します。
「ワイの家や。ここならグルマも登って来られんで」
バウワウは自慢げに言いました。
「ワンコのお家? すごい高ーい」
「お邪魔しちゃっていいの?」
サクヤは申し訳なさそうです。
「かめへん、かめへん」
バウワウはゆらゆらと尻尾を振り、ふたりに背中を向けました。崖の下を覗き込んむと、少し下がって助走をつけます。
「待って、どこに行くの?」
サクヤが慌てて呼び止めました。
「お嬢ちゃんの呪いを解きに行くんや」
「そんなことできるの?」
「もちろんやで。呪いを解く方法はふたつ。呪われた本人が死ぬか、呪った魔物の群れを滅ぼすか、そのどっちかや」
つまりバウワウは、これからひとりでグルマの群れと戦おうというのです。
「そんなの無茶よ、あなたが死んじゃうわ」
「ちゃんと帰ってくるから安心し。こう見えてワイ、めっさ強いんやで。若い頃はドラゴンとケンカしたこともあるくらいや」
「本当に? すごい」
「ワンコ強ーい」
サクヤとナキは、尊敬の色を浮かべました。
ドラゴンといえば、世界で一番強い生き物なのです。
「もっとも、ボロボロに負けて、すぐ逃げたんやけどな」
バウワウはからからと笑いました。
「ああ、そうなの」
「ワンコかっこ悪ーい」
サクヤとナキは、拍子抜けしたように肩を落としました。
「やっぱりダメよ。危険だもの」
サクヤが引き止めようとすると、バウワウはその横顔をペロリとなめました。
「ワイかてタダでこんなことはせんよ。お嬢ちゃんたちには、この前のお礼もあるし、何より約束を守ってくれたやろ? 人間やのに。ワイはそれが嬉しかったんや。せやから助けたいんや」
「じゃあ、きっと帰ってくるって約束して」
サクヤが小指をつき出しました。
バウワウは尻尾でそれを包みます。
ふわふわと暖かい指切りでした。
「今度はワイが約束を守る番やな。ほな行ってくるわ」
バウワウは歯を見せて笑うと、ぴょんと崖を飛び降りました。
〇
「そんな、ない、どこにも足跡がない」
シモンは原っぱの真ん中で、焦りの色を浮かべていました。
村を飛び出したシモンは、サクヤの足跡を追って原っぱに着きました。
そこから踏み倒された草をたどっていたのですが、それが急に途切れてしまったのです。しかもその周りには、巨大な獣が走ったかのように、地面が大きくえぐれています。
「まさか、サクヤはもう」
シモンは最悪を想像し、膝をついてしまいました。
弓を手放し、ぼうっと空を見上げます。
「父さん」
シモンの小さな呟きは、厚い雲に吸い込まれました。
原っぱに、乾いた風が吹きました。
どれほどそうしていたのでしょう。
シモンが座り込んでいると、親しみのある声が聞こえてきました。
「おーい、サクヤー」
「シモンー」
シモンが後ろを振り返ると、武器を持った村の男の人たちが、原っぱにやってくるところでした。
「何でここに?」
シモンは目を丸くして驚きました。
クワを持った村長が、照れ臭そうに頭をかきます。
「あれから話し合って、私たちも戦うことにしたんだ。もう仲間を差し出して逃げるのは、ごめんだからな」
「それに、子供にあそこまで言われたら、大人が引き下がるわけには行かないだろう」
サクヤのお父さんが肩をすくめると、他の人たちも頷きました。
「みんな」
シモンは込み上げてくるものをこらえ、弓を拾います。
「一緒にサクヤを助けよう。村の仲間のために戦うんだ」
村長が手をさしだすと、シモンは力強く握り返しました。
「うん」
それから村人たちは、バラバラに散って、サクヤの手がかりを探しました。
そしてしばらくすると、遠くから血の臭いが風に運ばれてきました。
「行ってみよう」
シモンたちは武器を構え、ひとかたまりになってそちらに向かいました。
血の臭いが強くなり、村人たちは思わず鼻をおさえます。
その魔物は、小高い丘に立っていました。
足元にはグルマのなきがらが山のように転がり、白い毛は血を吸って、真っ赤に染まっています。鋭い歯の隙間には、グルマの茶色い毛が、束になってはさまっていました。
あまりの恐ろしい姿に、村人のひとりが気絶してしまいました。
「バウバウが山を下りたんだ」
村長は震える声で呟きました。
〇
「あー、しんど」
バウワウは最後のグルマを倒すと、大きなため息をつきました。
自慢の白い毛並みは、血で真っ赤に染まっています。これはグルマのものだけではなく、半分近くは自分のものでした。
大きな右の犬歯も折れ、体中がボロボロです。
「あかん、限界や。これ以上はもう動けん。ドラゴンとやった時と同じくらい、へとへとや」
バウワウがのろのろと裏山に帰ろうとすると、原っぱの方から、武器を持った男の人たちがやってきました。その中には、いつか見たシモン青年の姿もあります。
シモンたちは、バウバウを見つけると武器を構えて近づいてきました。
「ちょい、ワイは敵やないで。むしろ味方や。お嬢ちゃんたちのお友達や」
バウワウは慌てて説明します。
しかし、シモンたちには聞こえていないようでした。
怖い顔で、いまにも襲いかかってきそうです。
「こら、あかんなあ」
バウワウは困ったように呟きました。
〇
サクヤとナキは、バウワウの巣の中で体を寄せ合っていました。
巣の奥には、この前あげたホロホロの実が、大切そうに積み上げられています。
「ワンコまだかなあ?」
膝を抱えていたナキが、心細そうに言いました。
「大丈夫よ。もうすぐ戻って来るわ」
サクヤは丸印の消えた腕を見て、力強く答えました。
読了ありがとうございます。
もしよかったら、「テオとエナの異界巡り」も見てください。
作風は変わりますが同じ短編集です。
基本的に一話完結で、何らかのオチを用意しています。