ホロホロの実
「ちょっと、お母さん。何してるの?」
サクヤは慌ててお母さんから洗濯物を取り上げました。
「まだ安静にしてなきゃダメじゃない。病み上がりなんだから」
「大丈夫よ。サクヤとナキが摘んできてくれた薬草のおかげで、すっかり元気になったもの」
お母さんは袖を巻くって力こぶを見せます。
「本当に?」
「ええ」
お母さんは頷こうとして、ゴホゴホと咳をしてしまいました。
「ほら、やっぱりつらいんじゃない。洗濯物は私とナキでするからいいわ。お母さんは休んでいて」
サクヤは大声でナキを呼びました。
ドタバタと足音がして、ナキがひょっこり顔を出します。
「おねーちゃん、なにー?」
「洗濯に行くから、手伝ってもらえるかしら?」
「はーい」
「悪いわね、あなたたちに頼りっ放しで。でも助かるわ」
お母さんは申し訳なさそうに言いました。
「いいのよ。お母さんはいつも大変なんだから」
サクヤが照れ臭そうに、はにかみます。
すると、お母さんがポンッと手を叩きました
「そうだわ、今度お礼にアップルパイを焼いてあげる。この前、シモンくんのおばあちゃんから、シナモンをいただいたのよ」
「素敵、お母さんのアップルパイ大好き」
「やったー」
サクヤとナキは、うきうきと小躍りしました。
「それじゃあ、行ってきます」
「いってきまーす」
「気をつけてね」
サクヤとナキは洗濯物を抱えると、手を振るお母さんに見送られながら、家を飛び出しました。
裏山から流れる川の水は、お日様でキラキラと光っていました。
透明なせせらぎを小魚が泳ぎ、それをカモの親子が追いかけています。
サクヤは桶に水を入れると、ゴシゴシと洗濯板で服を洗いはじめました。
ナキも自分の小さな靴下を、ピチャピチャと水で洗います。
「お姉ちゃん、ナキもそれがいい」
しばらくすると、ナキが洗濯板を指差していいました。
「え? ナキには大きすぎるわよ」
「やだやだ、やりたいー」
「しょうがないわね」
サクヤはナキに桶と洗濯板を譲り、川の水でゴシゴシと服を洗います。
ナキはしばらくご機嫌に洗濯していましたが、少しすると、急に手をとめてしまいました。そのまま地面にへたり込んでしまいます。
「なあに、もう疲れちゃったの?」
サクヤは呆れたように言いました。
「だってー。おっきくて、重いんだもん」
「だから言ったじゃない。後は私がやるからいいわ。ナキは向こうで遊んでなさい」
「うん」
ナキは元気良く立ち上がると、野原の方に走っていきました。
残されたサクヤは、また洗濯板を使って、ゴシゴシと服を洗っていきます。
ようやく洗濯が終わった頃。
ふとサクヤは首をひねりました。
「あら?」
川の上流から、どんぶらこ、どんぶらこ、と見たこともない果物が流れてきます。その実はリンゴよりも赤く、モモのような産毛が生えていました。
サクヤは手を伸ばして実を拾いました。
「いい匂い」
赤い実は甘酸っぱい、とても美味しそうな香りがしています。
サクヤは思わずかじりつきました。
「うえっ」
ぺっぺっ、と慌てて吐き出します。
いままで食べたことのない、変な味でした。
でも鼻を近づけると、やっぱり美味しそうな匂いがします。
「調理すれば、食べられるかも」
サクヤは少し考えてから、赤い実をポケットに入れました。
そしていつの間にか、ナキがいなくなっていることに気がつきました。
「ナキ?」
大きな声で呼びますが、返事はありません。
「先に帰っちゃったのかしら」
サクヤは肩をすくめて家に帰りました。
しかし、そこにもナキはいませんでした。
「ナキー、どこにいるのー?」
サクヤは村中を回って探します。
畑にも、広場にも、シモンの家にも、ナキはいませんでした。
また川に戻って来たサクヤは、原っぱで羊を放していたおじさんを捕まえ、ナキを見かけなかったか尋ねました。
「ナキなら、あっちに歩いていくのを見たぞ」
おじさんが細い棒で指したのは、裏山のある方でした。
「まさか、あの子」
サクヤは慌てて走りました。
この前に通った道を思い出しながら、裏山の斜面を上っていきます。
「確か、ここだったかしら」
サクヤはバウワウと会った場所まで来ると、地面に手をついて四つんばいになりました。服に泥がつくのもかまわず、手がかりを探します。
「あった」
やがて小さな足跡を見つけました。
足跡は茂みの中に続いています。
サクヤが枝葉をかき分けて進むと、視界が開け、小さな川にぶつかりました。
「ナキ」
その岸辺にナキがいました。
バウワウに抱き着こうとしては、尻尾でぺしぺし追い払われています。
「お嬢ちゃん、ちょうどええとこに来た。このチビッコどうにかしてくれん?」
バウワウが困ったように助けを求めました。
「ナキ、いますぐこっちへいらっしゃい」
サクヤが緊張した声で呼ぶと、ナキはブンブン首をふりました。
「やだやだ、ワンコ抱っこするのー」
「わがまま言わないの、食べられちゃうわよ」
「せやから人間なんて食べんいうとるやろ。ワイを何だと思っとるんや」
バウワウは不機嫌に言った後、クンクン鼻を動かしました。
「ひょっとしてお嬢ちゃん、ごっつええもん持ってない? な、な、それワイに譲ってくれん? このとーりやで」
その場にお座りして、ダラダラと口からよだれを垂らします。
「何のこと? 私、何も持ってないわよ」
「そんな焦らさんでや。持っとるんやろ? ホロホロの実。ポケットから甘酸っぱい匂いが漂っとるで」
「これのこと?」
サクヤが赤い実を取り出すと、バウワウは嬉しそうに尻尾をふりました。
「そう、それや」
「あげてもいいけど、美味しくないわよ」
「食ってみたんか? これは魔物のご馳走やからな。人間の口には合わんで」
バウワウはサクヤから赤い実を受けとると、匂いを嗅いで楽しみ、それから味わうようにゆっくり噛みしめました。
「ああ、幸せやわー」
バウワウはうっとりとした声で呟きました。
「えへへ、しあわせー」
ナキも隙をついてバウワウに抱き着き、満足げに呟きます。
「あ、こら、何しとんねん。チビッコ」
バウワウは尻尾でナキを追い払おうとしましたが、思い直したように、その場でゴロンと横になりました。
「まあ、ええか。それにしても、あいかわらずホロホロの実はうまいなあ。いつか腹一杯、食ってみたいもんや」
それを聞いて、サクヤは首を傾げました。
「この実は川で拾ったの。つまり、この山の方から流れてきたのよ」
「ワイもこの山にホロホロの木があるのは知っとるよ。ちょうど山のてっぺんに、立派な大木が生えとるんやで」
「ならどうして食べないの? 実が少ないの?」
「いや、一年中いっぱい実っとるよ。ただなあ、ホロホロの木の周りには、必ずクスクスの木が生えとる。クスクスの木の花粉は、魔物には毒なんや」
「ふーん、それで食べたくても近づけないのね」
「そや。だからワイはいつも、このあたりで川を見張っとるんや。ときどきマヌケなホロホロの実が流されてくるんやで」
バウワウは足元の松ぼっくりを転がしました。
松ぼっくりはコロコロと地面を転がり、ポチャンと川に落ちて流されます。
「ずいぶんと気の長い話ねえ」
サクヤは目を丸くして驚きました。
「魔物は長生きやからな。時間だけはたっぷりあるんや」
バウワウは遠くを見ながら言いました。
すると、バウワウの毛並みにヒシッと抱きついていたナキが、急に手を離して立ち上がりました。
「とってきてあげよっか?」
「え?」
バウワウはきょとんとした顔を浮かべます。
「ナキたちがとってきてあげる。ね、お姉ちゃん。いいでしょ?」
「うーん、そうね。いいわ、行きましょう」
サクヤは少し悩んだ後、やれやれと頷きました。
「ほんまか、約束やで? ごっつおおきに。なんやお礼を考えんといかんな」
「お礼なんていいわよ。この前、お世話になったもの。薬草と一緒に私たちをふもとに送ってくれたのは、あなたなんでしょう?」
「なんや、ばれとったんか」
「おかげ様で、お母さんの体調が、だいぶ良くなったの」
「そらよかったわ。ところで、あん時のとっぽい兄ちゃんは、お嬢ちゃんの恋人か何かなん?」
バウワウはからかうような笑いを浮かべます。
「まあ、のぞいてたの? あんまり感心できない趣味ね」
サクヤは顔をしかめました。
「誰ものぞきなんてせえへんよ。山におったら見えただけや。こう見えてワイ、ごっつい目がええんや」
「あれは近所のシモン兄よ。子供の時から、良く面倒を見てくれるの。頑固で心配性だけど、とってもいい人よ」
そこまでいって、サクヤは顔を曇らせました。
「でも、あなたはあまり、会わない方がいいかも」
「なんでや?」
「魔物を快く思っていないの。お父さんを魔物の呪いで亡くしているから。もちろん、あなたはいい魔物だと思うけど」
「なるほどなあ、そら恨みもするわな」
バウワウは気の毒そうに呟きました。
「お嬢ちゃんとチビッコも、魔物には気をつけなあかんよ。あんなん関わるだけ損やで」
自分のことを棚上げしたその言い草に、サクヤとナキは吹き出しました。
「あなたも魔物じゃない」
「ワンコはー?」