私は何もしてません。
学校に季節外れの転校して来た女の子がいる。
名前は、來生 澄香。二年生。
大きな目と、明るい柔らかそうな髪を背まで靡かせ、白い肌、長い手足にみんなが色めき立った。
休み時間になるとみんながみんな詰め寄り、質問を浴びせる。彼女が優しげな笑みを返すと、まわりが勝手にハイテンションになって次の授業の妨げにまでなるほど。瞬く間にクラスの、学年の、学校の一番の注目株になったのは、言うまでもない。
彼女の口数は多く無いが、学校行事は積極的に参加し先生の覚えも良い。成績も上位の方で、授業態度も悪くないそうだ。
あまり多くを語らない彼女は、ふとした瞬間にほぉっとため息を付く。その姿に魅せられて、顔を赤くするのは男女共にいるのだから、すごい存在だ。
そう、だから彼女の周りで問題が起きるだけで、すぐに校内へ広まる。
「ねぇ、知ってる? 澄香さんに誰かがスープをかけたんですって」
「澄香さんのノートを破った人がいるの! 酷いと思わない?」
「澄香さん大丈夫かしら? 制服を切られてたみたい」
「誰なんだ、あんな良い人を……上履きに泥が付いていた」
どうも澄香さんは誰かに狙われているらしい。でも、彼女はいつものようににっこりと笑ってみんなを諭す。
「どうか、気になさらないで」
そしていつもの憂いを帯びたため息。それを見てしまったら、誰もが気になってしまう。
「校内の見回りを強化するぞ!」
とうとう生徒会が動き始めた。いや、やっと動かす事が出来たのかも。だって生徒会長は澄香さんの事が好きだって、みんなが知っている。
「それだけじゃ足りないわ! 持ち物検査もしなきゃ」
副会長も乗りに乗っていると言う。女子をも魅了するとは、澄香さんの魅力の凄まじさよ。
風紀委員、ちょっと悪ぶっている生徒、空手部と協力体制が敷かれていく様は、見ていて圧巻だ。もう学校みんなで『澄香さんを守ろう』フィーバーが繰り広げられているといっても過言ではない。
「お願いだから、落ち着いてください」
遠慮し恐縮する澄香さんを、更にみんなが心配していく。
そんな体制の中、またも問題が起きてしまった。なんと、彼女の宿題プリントが盗まれてしまったのだ。沈痛な面持ちでカバンの中を探している澄香さんに、みんなが心を痛めた。なんで見張っていなかったのだ、同じクラスなのになんで澄香さんの持ち物を守れなかったのか、と。
「忘れてしまったみたい、お恥ずかしいです」
悲しげな笑みを浮かべ机を見つめる姿に、誰もが泣いた。そう、ほぼクラスのみんなが泣いたのだ。教師すら目元を押さえている。
そこで、私は立ち止まってしまったのだ。ちょっと異常じゃなかろうか、と。
みんながヨイショしている澄香さん、いや、澄香様。気が付けば、顔が良い男子が、周りを固めていた。彼らの褒め言葉で恥ずかしそうに困った笑みを浮かべ、澄香様はほぉっとため息を付く。それだけで、老若男女共に陥落するのだから、なんて恐ろしい。
くわばらくわばらと肩を竦ませながら、毎回澄香様を覗き見ていたら……ある時、目が合ってしまった。あの、才色兼備、強制魅了の持ち主である至高の存在と……。
あまりに恐ろしくて即行、目を逸らす。それでもついつい数秒見てしまったのは、私も確かに魅了されているから。ぶしつけな目に、気分を害されていないといいんだけど……。
だが、お昼休み、掃除時間、授業の合間……視線を感じてしまう。ふと確認すれば、澄香様がこちらを窺っているのだ。
憂いを帯びた目が、私を?
それだけで、全身の毛穴が開いて悲鳴を上げてしまう。私は、あなたの様な存在に目視されるほどの人間じゃないんです。地味な、ほんと、モブみたいな空気的存在で、友達だってそんなにいなくて、趣味にどっぷり入り込む、影の薄い子なんです!
でも、澄香様がこちらを気にしている。それだけで、ほんの少し気持ちが浮上して、良い気分になるのは許してほしい。だって、澄香様は綺麗で素敵なんですもの。私はすれ違うだけで、それだけで幸せになってしまう人なんです。
澄香様はきっと将来は有名な存在になるに違いない。うん、芸能活動入りするのも、有名な人のお嫁さんになるのも、安易に想像できてしまう。
そんな彼女と同じクラスであることを、同じ学年であることを、同じ学校であることを将来の誉れにしようと、みんながみんな思っているに違いない。
だが、そんな気持ちも、少しすると怖いものとなった。
廊下を歩いていると、人とよくぶつかる。避けたはずなのに、ぶつかってくる。気の所為にしては回数が多く、誰もぶつかったことに対して何も言わない。ただ、こちらが謝っても、無視するが悪態をつかれる。
一体何が起こっているのか。嫌な予感が過ぎって……的中した。私は、みんなに嫌われ、それがいじめへと変化しつつある。
恐怖に慄いた。
クラスで目立つ事をした訳でもない、イレギュラーなことも、逸脱することも何一つしていない。それなのに、私がその存在に選ばれてしまった。まるで澄香様とは真反対のモノに。
クラスのカーストは絶対である。上位の存在に嫌われる、もしくは無視されると、まるでそれが法律のように下位の存在は従う。その空気を読むように緩やかに移行する。クラス内で唯一仲の良い友達すらも、敬遠していく恐ろしいシステム。怪しい空気に教師は気付くことはなく、むしろその空気を読んでスルーしていく。
「……どうして」
手の施しようがない事態に、これからの生活を絶望する。
まだ一年以上ある学校生活で、いじめに遭えば、耐え忍ぶか逃げるのかの二者択一。私の人生、詰んでしまったのか。
放課後、隠された靴を探して体育館の裏まで足を伸ばした。
「良かった、そのまま捨てられているだけだ」
微妙な悪意は辛い。死ぬほど恨む事が出来ないからだ。
靴はそのまま草むらの手前に置かれていた。別に中に何か入っていることも、怪我をさせられるようなものもない。それだけが救いだけど、それだけだ。何かのドラマや漫画のように、汚物やゴミ、汚水が入っていたら大変。だって、革靴って高いもの。お母さんに新しいのをねだるなんて、そうそうできないから。
私へのいじめは重いものじゃない。教科書も隠されないし、ノートも落書きされないけど、消しゴムのカケラや小さなゴミを授業中に投げつけてくるだけって、喜ぶべき? ああ、もう、感覚が良く分からない。
「真綿で首を絞められるって、こういう事かもしれない」
呼び出しされてリンチされないだけ、マシだと思っておこう。
そして靴を持って立ち上がると、人の気配がした。ビクつき振り返れば、そこに澄香様が!
「あ、あああっ」
物憂げな顔でこちらを窺っている。綺麗な唇がうっすら開いた所で、ここだ! と男の人の声が聞こえた。
「澄香、ここにいたのか!」
「危ないぞ、放課後は速やかに帰らないと」
「俺が送ってやるから……」
クラスで澄香様の周りを囲む、イケメン集団が現れて彼女を心配する。
「あ、あの」
澄香様が困惑気味に口元を押さえていると、男子生徒一人が私に気が付き目を見開いた。
「お前、誰だ」
「ん? この女、こんな所で何をしているんだ?」
イケメン集団はいつもうちのクラスに来ていたのにそのクラスに存在している他の生徒は覚えていないのか。いや、私はその他大勢の一人と言われたって仕方ない。だって彼らは澄香様の事しか見えていないもんね。
「……もしかして、澄香をこんな人気の無い場所に呼び出ししたのか!」
「え……」
「あ、分かった。きっとこいつだよ、澄香を虐めたヤツ」
「ちょっと待って」
「澄香が怪我したのも、物を盗ったのも、制服を破ったのも、こいつに違いない!」
「ちが、私は」
糾弾する目が、私を突き刺す。見えない刃物のような視線で足が震えた。
「何て酷いヤツなんだ! どうせ澄香に嫉妬したんだろう」
「あのっ、ちょっと待って」
「心が醜い人って外見も醜いよね」
「お願い止めて、彼女は」
「とうとう正体を現したわけか! 職員室に連れてくぞ!」
「いじめって傷害罪も器物破損罪も窃盗罪、名誉毀損に恐喝、強要、社会制裁がありますからね」
恐ろしい顔をした男子の集団に囲まれ、身が竦んで足が振るえて座り込んでしまう。
「立て! もう逃げられんぞ」
「やめんね!」
大きな声がして、一瞬場が凍る。
え? なに?
「女の子になんばしょっと! そげな事してはずかしか!」
声の方へ顔を向けるも、澄香様しかいない。
「え、今の」
イケメンの一人が震える手で澄香様を指差す。
「私が自分でここに来たっちゅうに、呼び出しとか決めつけんでよ!」
「澄香?」
「もう、頭きた! 人が黙っとれば勝手に騒いで、転校やけん大人しくしとるのいい事に好き勝手いってからに」
「え? え?」
スタスタと澄香様がこちらに来て、私の腕を掴む。
「ほら、散った散った。清武さんから離れて」
シッシッと手を振ると、清香様がハンカチを取り出して私の頬を優しく拭う。潤む視界に、私が泣いていた事を知った。
「えらい大変な目におうたね。もう大丈夫やけん安心してね」
極上の笑みに、頬が赤くなる。
「あ、あの、私」
「清武さんだけ私を誤解してなかったみたいやけん、話してみたかったんよ」
「え……」
「前の学校で、黙っとけば転校先でもやってけるって言われて……。うん、いかんやった」
「澄香様」
「やめてよ、ガラじゃなかって。みんなが言うほど私お綺麗じゃないんよ。澄香でよかよか」
私の腕を持って立たせてくれた。うわぁ、あの澄香様が……澄香様が。
「あの、澄香?」
「なんね?」
名前を呼んだ男子に鋭い視線を投げる。いつもと違う彼女に男子はたじたじだ。
「ほ、方言可愛いね、その、僕ら……」
「男の暴力サイテー! 清武さんにあやまり! ほんっと勝手に誤解して……失礼か!」
「すみません!」
「ごめんなさい!」
先程まで私を取り囲んでいた恐ろしい集団が、がらりと変わって謝罪集団に変わった。
「じゃ、清武さん帰ろ?」
「え」
「こんな私は嫌やろか?」
「いいえ、そんな事は」
「そんな言い方止めて、肩肘張る」
「うん……分かった」
「ふふっ、ありがとう! じゃ、友達よろしく!」
その日から、いじめが無くなった。
みんな手の平を返したように私に優しく、仲良くなろうとする。それは澄香様、いや、澄香の所為だ。方言で明け透けになった澄香は明るく、やはりみんなの人気者で私と仲良くしてくれるのが不思議なくらい。
例のイケメン集団はクラスから追い出された。特に言われていないけれど、別のクラスに入り込むのってあまり良くないと澄香に諭されたから。
「ねね、瑠美、今度ラーメン食べに行こう? 新しい店がオープンしたんよ」
「……細めんとんこつね?」
「うん!」
清武瑠美、こと私は澄香と仲良く遊びに行く。
福岡から来たからなのか、それとも彼女だけなのかな? 彼女は細めんのとんこつをこよなく愛している。カップラーメンもとんこつでスープも飲み干すので、時々臭いが付いてしまう事も。
学校でこっそり食べていた時に、汁をこぼしてしまって……それを周りが誤解していじめだと思われた事も分かった。
うっかり屋でもあり、忘れ物をする事も多々な彼女。完璧超人だと思っていた彼女は、それでも魅力は変わらず、更にキラキラして万能魅了を振り撒いている。そして私も魅了され、彼女の出身地のメニューにも胃を掴まれた。
「親戚がモツ鍋の材料送ってきたんよ! 明日金曜やけん泊まりに来ん?」
「いいの!? ぜひ」