プロローグ 転移 ━箱庭世界━
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何故こうなったのか━━その話をし始めたら、もうキリが無いのだろう。
薄暗い部屋の中、アナログ時計の指針が午前十時を示す。
カーテンは締め切っており、幾ら外が明るくても、部屋の中にその日差しが届く事は無い。
そこに一人、ベッドの上でぼんやりと天井を眺める少年━━久遠射更が居た。
天才神童と揶揄され、将来の成功を約束されたはずだった少年。運動神経抜群、容姿端麗、IQ180オーバーのハイスペックっぷり。勉強をせずとも学校、果ては全国模試でも一桁を余裕でマークする。一度見た事は二・三回の試行でほぼ完璧に習得し、部活動の助っ人として日々に忙しかった。
あの頃は、良かった。素直に、射更はそう思う。
少なくとも、自分自身の居場所が在った。異質で、異様で、人との関わりにさえ支障を及ぼすハイスペック人間である射更を、相応の待遇で迎え入れてくれた。時折、妬みや僻みの視線を浴びる事もあったが、それでも友人は居たし、心の底から信頼出来る親友も居たのだ。
━━しかし、もうそれは過去の話。
どんなに足掻いても、手の届かない領域に、常に射更は平然と立ち続けた。
お互いに勉強無しでテストに挑めば、射更は学年主席を獲得する。ハンデを以て、射更とスポーツをしても、ダブルスコアで相手は大敗を喫する。友人が想い人に告白すれば、射更に好意があるからと拒絶される。
何もしなくても、何も求めなくても、ただ存在するだけで、手に入ってしまう。
富も名声も、挙句人様の恋愛事情にまで、その根本的な能力は影響してしまうのだ。
射更から、一人、また一人と釣り合う事の出来ない人間が去っていく。
唯一、射更の心の支えとなっていたのは、幼馴染である、仁科仄夏の存在だった。
仄夏もまた、少しばかり常軌を逸脱したスペックであり、少なからず容姿に関しては軽々と射更を見下ろす程には美少女なのである。成績も優秀で、運動も万能、それどころか、多芸多才にして、温厚篤実(というよりは、普段が無口なだけ)、と最早人知を超越したと言っても過言ではない。
しかし、それはまだ自分自身で抑制の効く範囲でのオーバースキルなのだ。
射更のそれは、抑制が全く効かない。
本人の意図しない場面でも、それらは根強く効果を発揮し、敵を増やす。
高校を中退して、早一年。
仄夏は今も尚、射更が通っていた学校に足を運んでいる。
彼女の事だ、将来も安寧、万事上手く行くに決まっているはずだ。
ただ、少しばかりお節介焼きな部分は褒められたものではない。
仄夏は、時折射更の元へやって来る。学校の話題には触れず、明日遊びたい、とか、明後日出掛けたい、とか、今日買い物がしたい、と催促するのだ。普段から口数が少ない彼女は、射更の前では非常に饒舌になる。その日の気分次第で、仄夏の提案を呑んだり、否定したり、と彼女の献身的な苦労を身に染みて分かっていながらも、射更はまだ全てを受け入れられずに居た。
「(……もう、放って置けばいいのにな。俺なんて)」
焦点の合わない両目を凝らす。
世界が歪んで見えた。きっとそれは気のせいで、射更の思考の歪みが、そう見せたに違いない。
情けを掛けられるのが辛いわけでも、献身的な対応が恥ずかしいわけでもない。単純に、人との関わりが射更にとっては鬱陶しいのだ。いつか自分の下を離れていくと、分かっていながらも付き合い続けるのは、相当な精神力を要する。現に体験した射更は、尚一層、その重みを理解している。
だからこそ、自分から他者との関係を断絶・拒絶する事が手っ取り早い解決案だと気づいた。
「(何が天才、何が神童。ハイスペックはハイスペックでも、俺の場合は敗スペックだったってワケかよ……。はっ……ほんっと、笑えねえな)」
くっく、と喉を鳴らすようにして苦笑する。
もう何ヶ月も笑ったことが無い。久々に笑った瞬間、頬が少しばかりビキリと痛んだ。
「……寝るか? いや、折角起きれたんだし、ゲームでも…」
射更の生活ルーティーンは、最早廃人のそれに近しいものがあった。
典型的な昼夜逆転型生活。それに加えて、一日の大半を睡眠に費やし、目が覚めたら水分補給と食料を摂取、その後は暇つぶしにゲームをする。夜が明けてもゲームをしていたり、日が沈む頃には熟睡していたり、と睡眠・食事・活動の時間帯が日によってバラバラなのだ。
いっそ死んでしまえば楽なのだろう、射更は敢えてその生活を好んで送っている。
射更が死ぬことで得られるメリットは沢山ある。仄夏も、その良心を咎める必要性は無くなり、射更の面倒を見る時間を違うことに裂ける。射更の存在を知っている人間達も、化け物に近い存在が死に失せたと知れば、内心で少なからずほくそ笑み、心に余裕やゆとりが生まれるだろう。
死なない事でデメリットは多く、死ぬ事でメリットが多い。
何の為に生まれてきたのか、全く以て理解できない。
射更は、早く死んでしまいたい、という気持ちを持ちながらも、パソコンの電源を入れた。
死にたい、と思ってもそう易々と死ねないのが人間だ。大して未練の無いこの世界であっても、少なからず何かの呪縛に囚われ、そう簡単に死を選ばせてくれないのである。射更も例外ではなく、死にたいと思いながら生きる、そんな矛盾した生活を送っているのだ。
機械的な起動音が連続し、画面に文字が映る。
時間が経過すると、聞きなれたメロディが流れて、ホーム画面に到着した。
「さて、今日はなにをやろうかな……」
此処最近で、射更はほぼ全てのゲームを攻略し終えてしまっていた。
FPSや格闘ゲームは、射更の専売特許のようなものだ。殺られた方法で殺りかえす、圧倒的な洞察眼とそれを数回でものにする習得効率の良さ、その二つが売りの射更にとっては、この二つは始める前から完成度が百パーセントに近い代物である。
MMORPGなどの育成ゲームにおいては、何より時間が物を言う。単純に爽快感を求めるのであれば、上記した格ゲーやFPSに走りがちだが、射更にとっては此方の方が新鮮だった。自分のプレイヤースキル云々の前に、レベル・装備・パーティが揃っていないと負けてしまう。誰もが出来るからこそ、同じスタートラインに並ぶことが出来る。常に人より数十m先に位置する射更にとっては、心和む瞬間であった。
とは言え、丸一年間飽きる事なく二・三種類のMMO及び育成ゲームを掛け持ちしていたのである。
キャラクターのレベルはカンストし、サブキャラ育成も後半に差し掛かっている。
さて、どうしたものか……とホーム画面を前に試行錯誤を繰り返していた所に、
『一通のメールが届きました』
そんな何気ないメッセージが流れた。
だが、次の瞬間、形容できない怖気が射更を襲う。
何故なら、射更がメアドを登録してあるのは、仄夏と家族だけだからだ。
仄夏は今まさに授業の真っ最中。両親も仕事の最中だ。自分の職務を放棄してまで、ぐーたら生活を送る射更に対してメールを送る必要性が皆無なのである。何より、メアドこそ登録しているが、メールでのやり取りは今まででも数える程しかない。対外、用件は本人が本人へと直接伝えられるからだ。
スパムメールや迷惑メールは、セキュリティソフトに引っ掛かる。
ネトオクや通販からのメールは、そもそもカウントされないように設定しているのだ。
つまり、これは仄夏でも両親でもない。まして、スパムや迷惑メールでもない。
「……」
好奇心猫を殺す、なんて言葉もあるが、ゆっくりとメールボックスを射更は開いた。
本当に数える程しかないメール通知の中、一件、真新しいメールが届いている。
「…≪Arcana≫? アルカナ……って、何だっけ…。まぁいいや。なんにしても、知らない名前だ」
送り主の名前に見覚えは無い。
静かにメールタブをクリック、ウィンドウが切り替わって内容が画面いっぱいに飛び出す。
『お忙しい中、わざわざ目を通して頂き、光栄の至りに御座います』
堅苦しい言葉遣い、決して悪戯の類ではない、そう感じさせるのに時間は掛からなかった。
『この文書が届いているという事は、貴方様に権利が授与された事を示します。まずは、それを心より祝福し、一言。誠におめでとうございます』
「権利……? なに言っているんだ、こいつは」
ふと引っ掛かったそのワードに、思わず首を傾げる。
『我々が候補に上げる、七名の勇者。その一角に選ばれ、≪箱庭世界≫行きへのチケットを手に入れた。それは世界の逸脱を意味し、神が創造した旧世代の遺物━━≪箱庭世界≫における、救世主たる勇者に成り得る権利。それを今、貴方様は手に入れたのです』
「………なんだ、こりゃ。宗教勧誘か? スパムとか迷惑メールはフィルター掛けて、通さないようにしているはずなんだが…」
このセキュリティソフトは粗悪品か…。
射更は嘆息した。全く、形容し難い恐怖を抑えて覗いてみれば、なんてことはない。
ただの迷惑メールじゃないか。
「……俺が勇者? ははっ、冗談にしても出来すぎてるっての。あー、今日は久しく笑う日だな」
暇つぶしにはなるか、射更はそう思ってホイールを使用して、画面をスクロールする。
『神によって創られ、神によって統治される世界。全てが予定調和、そんな≪箱庭世界≫を崩壊へと導くべく、七人の魔王━━≪七獄魔王≫が神への反逆を開始しました。彼らの力は強大で、彼の地を収めていた神々を葬り、この世界を神の理、神の統治から外れた治外法権へと変えてしまったのです』
「神への反逆、ね」
『世界に混沌が訪れました。元より有る幾数の種族、その中でも選りすぐりの五種族は≪大陸同盟≫を結び、≪七獄魔王≫と戦う意思を固めました。今も尚、その抗争は続き、その終焉の無い戦争に、終止符を打つために、我々一同は勇者様方のお手を拝借したいのです』
全く以て理解出来ない。というか、する気もない。
まだ数文の余剰を残してはいるが、特別見て何かが変わる事もあるまい。
射更は、何だか白けてしまったな、とパソコンの電源を落とそうとした。
その時だった。
ドタドタドタ…!!!
高速で誰かが我が家の階段を駆け上がってくる。
まさかの緊急事態に、寝惚けていた意識が即時的に覚醒、取り敢えず武器になりそうな物を探す。
しかし、それより早く、扉が強引に開け放された。
「どわ…!! ……あ?」
思わず身構えた瞬間、両手で塞いだ視界の隅に捉えたのは、見覚えのある顔だった。
肩まである色素の薄い茶髪のセミロング。それを後ろで纏め上げたアップスタイル、野暮ったさを感じさせない、スタイリッシュでスレンダーなイメージを彷彿とさせる。顔のパーツは見事なまでの黄金比率で並べられ、神が一から手作りで造形したと言われても疑う余地の無い完成度。
濡れた烏羽色をした、深い黒の双眸が、射更を見据える。
仁科仄夏、その人である。
「仄夏……? 何でお前ここに…って、汗だくじゃねーか…。急にどうしたんだよ」
「会いたく、なった」
「ワケ分からん嘘付くな、後呼吸を整えてから話せ。取り敢えず、落ち着け、な?」
「駄目……。もう、時間が無い…!!」
何を言っているんだ。
そう言おうとして、異変に気づく。
勢いで消してしまったはずの、パソコンが無断で起動を始めた。
それだけではない。先程強引に開け放たれた部屋の扉は、何故か閉まっている。
「……どういう事だ?」
「間に合わない…」
その一言が切欠となったのか、それは射更の与り知るところではない。
だが、結論からして、その言葉を最後に、異変は誰にでも分かる変異を迎えた。
部屋の壁、窓も含めた四方位に謎の幾何学的文様が浮かび上がる。
深い紫色に明滅するそれは、本能的な危機感を強く煽るように、ゆっくりと広がっていく。
「な、なんだ!?」
「……分からない。けど、もし本当なら…」
「仄夏っ!?」
それだけ告げると、仄夏はばたりとその場に倒れた。
意識をいきなり刈り取られたように、唐突に、何の脈絡も無く彼女は倒れこんだのだ。
その間にも、文様は徐々に広がっていく。
部屋の四隅を介して、全ての文様が繋がり、一つの絵柄となった時。
≪次元線の移動を開始します≫
誰とも分からない、機械音声に似た明瞭で中性的な声が射更の鼓膜を刺激した。
そして、それと同時に、射更も意識を失ったのである。