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悪戯




 揃って書斎に呼び出されその勅命を父から聞かされたとき、姉はなぜと呟いた。


 それはほんとうに、無意識のうちに零れ落ちた言葉だったのだろう。その呟きを拾った父が、微かに眉を動かし「なぜとは?」と聞き返したのに対し、何を言われたのかわからないと、表情を繕うことなく父を見返していたのだから。


「これは王太子殿下と公爵閣下の希望を議会が承認し国王陛下の許可を受けた正式な婚約であり、我が侯爵家の次期決定である。覆ることはないと覚えろ」

「……はい」

「承知いたしました」


 いつも我が家にいるときですら、その心のうちを表情にさらけ出すことのなかった姉がいま、受け入れがたい事実に困惑し、動揺を表情から消しきれずにいる。

 それを、父はどう受け取ったのだろう。


「王太子殿下との婚約式は3か月後。それに伴ってお前は、一月後に王太子殿下の宮に入ることになる」

「わかりました」

「その婚約式後に公爵閣下が我が家に通われるようになり、こちらの正式な婚約式は半年後になる。そのさらに半年後に王太子殿下の華燭の典が執り行われる」

「はい」

「正式な顔合わせは一週間後、それ以後はおふたりの婚約者として世間には認識されることとなる。その立場に甘んじることなく、更なる研鑽を私は望む」


 宰相としての顔でそう伝えた父は、今度は親の顔を覗かせて言う。


「お前たちが生まれてもう17年、手放すときは近いと思っていたが、思いがけずこれ以上ないご縁をいただいた。それぞれの縁を大切に、お互いを尊敬し、助け、幸福であることを祈ろう」

「ありがとうございます」



 書斎から退出し、扉が閉ざされた次の瞬間、姉ははっきりと私を正面から見据えた。

 おそらく生まれてから初めて、正面から相対したのはこのときだった。


「ゆるさない」


 そう一言言って身を翻した姉は、いつものように背をまっすぐに伸ばし、足早になることもなく去った。

 既に衝撃は去り、望みどおりにいかなかった未来を嘆くのでなく受け入れたのか。

 そのとき私ははまだ、どちらとも判断をつけられずにいた。




 顔合わせは当然のことながら、王城で行われる。

 私たちはそれぞれに婚約者となる相手、それぞれの色を模した宝石類をひとつだけ身につけて登城した。

 姉は瑠璃のネックレス。

 私は翡翠のピアス。

 目立つような大きなものでなく、繊細な意匠の中にさり気なくはめ込まれた小さなそれが、私たちが誰に嫁ぐのかをささやかに主張しているようだ。

 王城への馬車の中、斜向かいに座した姉は何も語らなかった。

 ただ、後から乗り込んだ私の耳元を見たとき、微かに顔を不快気に顰めただけだった。

 別室で行われた顔合わせにおいて、彼女が何を思ったのか知らない。しかし、決して王太子妃となることを受け入れたわけではないことだけは、帰りの馬車内の雰囲気で察せられた。



 姉が決定された未来に抗う決意をしたのだと知るのに、そう時間はかからなかった。残された時間が少ない以上、それは当たり前のことではあったが、さすがに世間から誉めそやされるだけの能力の持ち主である。

 始まりは顔合わせの翌日。朝の支度の時間のことである。

 我が家においてたいていのことは一人でできるようしつけられるので、朝の支度に部屋を訪れるのは家人一人につき一人の侍女。どこでもそうだろうが、朝は特に忙しいのだから当然のことである。

 いつもの侍女にいつもの道具、化粧類、ドレス。そこに感じた微かな違和感。

 気のせいとも思える違和感をそのままに支度を整えようとした私は、けれど自分の感覚を頼りに今日は自室でゆっくりすることを言い訳に、侍女に手間をとらせることになるが、支度の準備を変えてもらった。

 いつにない私の様子に少しは戸惑ってはいたようだが、さすが優秀な彼女は何も言わずにいったん下がった。

 誰もいなくなった自室の中、置き去りにされた道具と化粧品に近づき、そっと中を検める。

 道具はいつもと変わりないようだが、化粧類に感じる違和感。

 蓋を開けると香水はいつものものだが、化粧下地に変化が見られる。幾度か使用しているはずのそれが、少し量が変化している。そしておかしな事に、化粧品にはありえないにおいが微かにするのだ。

 毒ではないようだが、身体に害を成す成分が仕込まれているのは想像に容易く。

 室内用のゆったりとしたドレスを手に戻ってきた侍女にその品を託して、私は軽い化粧を施して着替えを済ませると、朝食を摂るために食堂へ向かった。




 目に見えない緊張の糸を張り巡らされたまま、時は流れる。

 嫌がらせとしか思えない幼稚な仕込みはほぼ毎日のように行われ、あまり気にすることはないがそろそろ辟易してくる。よくぞここまでと、呆れ返るほどの手数の多さだ。中には姉でない者が便乗したものもあるかもしれない、とはついぞ思わなかった。何故なら我が家は、外からそんなことを仕込めるほど温い警備網を敷いてはいないから。

 姉の行いは、最初の日の化粧品に薬品を仕込むような悪質なものが多数を占めた。書庫で本を探せば書架から針が飛び出したり頭上から本が落ちたり。脚立を使えば段が折れるような細工が施され、ドアノブに触れれば皮膚が剥がれるほどの強力な粘着液が仕込まれていたりする。外出すれば馬車の車輪が外れ、乗馬をすれば手綱が切れる。

 公爵が我が家を訪れる日にはさすがに仕込みはないが、屋敷のどこからか憎悪の念を感じる。それは思いつく限りの仕込みをしても、何の痛痒も感じていないように見える私に、火に油を注がれたような感覚だろう。

 私が少しでも堪えたようなさまを見せればいいのだろうが、生憎そんな可愛げも器用さも持ち合わせていないため、現状を変えようとは思わない。


 もちろん、姉が本気で私の命を脅かすようなら、全力でもって対峙するが。


 差し迫った危機を感じないままに、姉の悪戯を溜息で交わしながら時は過ぎる。


 姉が王太子の宮に入る日は、明後日に迫っていた。


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