死神
どこまでも遠くどこまでも白い月の下。
風が吹く。そして
突然彼女はそこにいた。
それは誰も見る事は無かったが何人そこに人がいても誰もわからないだろうと想像できるほどに突然、闇から融け出るようにして彼女はいた。真紅のライダースーツ、その上に羽織る黒い半纏がなでるような微風にたなびく。その右手には不似合いなほど大きい散弾銃。その全てが彼女にふさわしい雰囲気をかもしだしている。年は二十代後半、美女と呼ばれる生物である。彼女の気配は、その、彼女が現れた場所でも納得させてしまうものがある。
加工された玄武岩が立ち並ぶ広い土地。
墓場を彼女は練り歩く。
彼女の姿は時と場所に全く似つかわしくなく、なにより、その気楽な、どこか笑ってもいそうなその表情は、死者の聖域を尋ねる者とも思えない。なにか、実体のある誰かを探すように練り歩き、そして、一角に発見した。
彼がいた。彼もまた、シルクハットに下駄というおかしな格好に黒い半纏を羽織っていた。その表情は重く沈み、その異端な外見もそれはなぜか、まるでこの世のものでないような印象を与える。今、彼によって供えられたばかりの二輪の花が風に揺れる。
二人の、彼と彼女の身分をあらわす黒い半纏が、揺らめく。
「こんな夜中に墓参り?」
彼女の問いに背を向けたまま彼は返す。
「警部補こそ、どうしたんですか?」
「遠谷~。私達同期の中じゃないの、ためぐちでいいよ」
「まあまあ、私はそういうところはけじめをつけたい人間でして、上司には敬語を使わせてください」
「むー、まあいいけどさあ」
死神、紅月初女はその外見に合わないほどの軽い口調で言葉を返す。
「ところで警部補はどうしたんですか?もしかして今日があの人の命日だって覚えていらしたのですか?」
「んーん。私ら生粋の死神は死者を何かの形で残す風習無いからねえ。ま、でもあの人はちゃんと墓があるみたいだし人間の作法に則ってみようと思ってさ」
そういうと彼女の左手にはいつのまにか赤い花束が握られている。彼は立ち上がり彼女に位置を譲る。そして彼女は二歩前に進み、墓前に花をそえ、手をあわせ、石に向かって話しかける。
「悠楽先輩、元気か?私は元気だよ。んー、このごろ肩こりがひどいんだよねえ、なんかいい治療法とかない?先輩ってそういうどうでもいい知識ばっかりもってたよねえ。しかも全然うそんくさいくせにたまにホントに効くのが有るからタチ悪いよねー。…で、何しにきたかって?そうそう。今日ね、私昇進したんだ。警部だよ警部。もうスピード出世ってやつ。まあ私天才だからね。もしかしたら先輩と同じ部署に配属される日も近いんじゃないかなあ。なんてさ。……でもさあ、一番ほめて欲しいときにいないなんてやっぱ先輩は間が悪い人だよね……」
その後ろで大鎌を背負う男は、何も言えず、何も言えなかった。
「先輩が死んだのは三年前だから、私が十九のときだったかな」
「二十四ですよ、…って痛!なんで叩くんですか」
「女の年をそんなはっきり言うもんじゃないよ」
「……同い年なのにごまかしようが無いでしょう?」
「そりゃそだね。…さて、じゃあ私行くね」
「はい、それでは…」
「そうそう、このまえ未成年妖怪窃盗団を捕まえたそうじゃん、おめでと」
「ありがとうございます。警部こそ、昇進おめでとうございます」
「ありがと。……ねえ、ところでさ、やっぱり交通課より葬査一課に戻る気ない?」
「それは出来ません」
きっぱりと答える。
「遠谷~」
「はい?」
そこで、彼女の表情が少し、よく見知った人間で無いと解からない程度に、曇る。
「先輩が死んだの。自分のせいだとか思わないほうがいいよ」
「…………」
「気にするなってのは無理なのわかってるけどさ。あんたが前線から退いたのってそんなに意味あるとは思わんもの。あっこの課長だってほんとは遠谷が戻るの待ってんだよ」
「……」
「ま、わたしがいうようなことじゃないけどね。あと、やめようとか思っても死神簡単にやめんなよ?」
「はい」
ありがとうございます。と男は頭を下げ、いいよ、と彼女は笑って手を振る。
「本当はそれ言いにきたんだ。じゃ、ばいなら」
そして、風が吹く。それに乗っていくように去ろうとする彼女に
「…………警部」
声をかける。
「ん?」
「……警部は、死神やめたいって思った時ありますか?」
「あるよー」
即答だった。
「意外です」
「旦那が泣いてそんな危険な仕事はやめてくれって言った時は考えたけどね」
びゅう
また、風が吹いた。
気がつけば、そこには彼一人が立っていた。
闇から融け出てきたようにあらわれた彼女は闇に融けるように消えていった。
どこまでも遠く、どこまでも白い月の下。
名は死神、遠谷希生。階級は巡査。其の男はただ、そこに立っていた。
風が吹く。
「寒いですね」
独りごちる。
返事は返ってこない。