死神『紅月初女』と死神『遠谷希生』
紅月初女。この時点で二十七歳。女性。離婚歴あり。
職業、死神。
死神公社副総監直系の子孫。天才とよばれた逸材。とある複雑な事情により本家から離れ人界にて幼少を過ごす。そして、戦いの世界からは、逃れることのできた、幸せだったはずの子。
その後同世代の人間と結婚、出産。おそらくは誰よりも目立たない、何の変化も起こりえない平凡で単調な幸せなときを過ごすはずだった。誰も彼女が死神の道を歩むなど考えなかった。
長女、紅月旗女が、当時の世間を騒がせた殺神鬼 偶院永久に殺害されるまで……。
その直後彼女は甲種神級試験に合格、成績トップで死神公社に入社。
交通一課に配属。通常銃器を持たない死神の歴史の中で『天才』と呼ばれるに足る犯人検挙率と『紅月』の家名の力でただ二人目、散弾銃の携帯を許可された赤い魔人。
その幼い性格の内に秘める激情は紅く炎のように燃え盛る。
紅月初女。
ただ、娘の仇に出会うためだけに死神になった女。
どこまでも遠く、どこまでも白い月の下。
「ねえ遠谷。もし、もし四年前のあの日さ、私があの場所にいてさ、遠谷にむかってそんなことやめろって言ったらさ、……あんたやめてた?」
彼女はいつもより、少し曇った口調で彼に質問する。
真紅のライダースーツ。その上に羽織る黒い半纏。その右手に掲げられた散弾銃は標的に狙いを定めたまま少しも乱れない。彼女の背後にいる彼はあまりに断片的な詰問内容ながら、それが何を聞くのかよくわかる。
四年前、上司を殺され激昂した彼は、犯人を殺した。
彼女は聞く。もし、あの場所に、その時、彼が犯人を押さえつけその首筋に刃を添えた瞬間に、彼女がそこにいて、やめろとさけんだなら、……彼は、その行動をやめたか。
それは…
「それは…」
「いいよ、答えなくて。やめられるはずが無い。……大切な人が殺されて、それも人間の一番最悪な奴に殺されて、黙っていられる奴なんかいないよ」
どこか優しげな、そして彼女が普段みせない感情のこもった言葉だった。
「そこで、聞くけど」
すなわち、殺意のこもった声が、宣告する。
「この私が、自分の娘殺されて、殺した奴が目の前にいるってのに…この引き金を引くのに躊躇うと思う?」
銃弾は発射された。
撒き散らされた銃弾は標的の胴体を打ち抜く。
「ッ?!」
体の中に鉛弾を打ち込まれ『それ』は激しく暴れ狂い悶える。
しかし、すでに喉を潰されている『それ』は叫ぶことが出来ない。
「もうやめるんです。紅月警部」
彼は、代わりにとばかり叫んだ。
シルクハットに一枚歯の下駄。黒い半纏をたなびかせその右腕に大鎌を構える。そしてそのきらめく刃は、彼女の首筋に添えられている。
彼女の足元に転がる『それ』が、微動だにしても彼女は躊躇い無く撃った。命を奪わない程度にじわじわとなぶり続け、引き金を引く。もともと人型をしていたはずのその容姿は散々な銃撃によって原型をとどめているのは頭蓋と心肺のみ。それでも死なない『それ』に、彼女は一片の慈悲なしに次々と銃弾を放つ。いつ死んでもおかしくない。むしろ彼女は死なないように痛めつけているので、その気になれば『それ』はいつでも死んでもおかしくない。
『それ』の目の前にいるのは、死神なのだから。
「もうやめてください。そいつには逮捕令状しか出ていないんです」
彼はなんとかして彼女を止めようとする。彼女が銃口を『それ』に向けるように彼もまたその大鎌を彼女の首に絡ませる。
その腕を引きさえすれば彼女の首は飛ぶ。
しかし、彼女にそれがどれほどの意味がある。
この瞬間のために、彼女は生きてきたのだから…
「わかってるよ。こいつを殺しちゃだめなんだろ」
「ええ」
「そういう命令なんだよな」
「ええ」
「知ったことか!」
さらに散弾は吐き出される。
「やめてください」
「やめない。やめさせたいなら私を殺しな」
「それこそこいつらの理論じゃないですか。死神が私心に駆られたら、一体誰が死を捌けると言うんです!?」
「そんなこと言える立場か」
彼女は涙を流す。
わかっている。
自分が何をしているのか。
「こいつが、私の管轄で犯罪計画練ってるって聞いた時は、心が躍ったよ。皆が、頑張って私から隠そうとしてたけど、結局、私を引っ張ってきたよな。そりゃそうだ。私はこのあたりで一番強い死神だからな。いざという局面になったら、今みたいに、こいつが包囲網突破しちまったら、追いかけて殺せるのは私だけだったてことだ。遠谷あんた最後まで私の投入に反対したらしいね」
「こうなることがわかってたからですよ。あなたが事故に見せかけて、この男を殺すことを……いや、見せかけようともしてない。恨みを晴らすことだけを」
「こいつは、みんな殺して殺したっていうのに、私達はこいつの命を保障しなけりゃならないんだぞ?そんな理不尽ないよ!遠谷、あんた我慢できた?」
彼はできなかった。
たしかに止める資格は無いのかもしれない。……けれど、けれど。
「お前だってあの時思ったはずだ。殺したい。こいつは絶対に許せない。殺す。苦しめて殺してやるいや苦痛すらおこがましい一瞬で葬り去ってやる。そう思って双葉宮のこと斬ったんだろ!」
さらに引き金は引かれようとして、
止まる。
いつの間にか、彼は彼女の背後から、目の前、彼女と、その殺神鬼の間に入るようにたっていた。そして、その右手に握られた大鎌を放し、銃身をがっしと掴む。
シルクハットの彼は、その銃口を掴み、まっすぐ、自分の額に標準をむけた。
「放せよ…」
「……その前に聞いてくれますか?」
……沈黙が肯定を示す。
「警部。私はあの時確かにそう思いました。殺したくて殺したくて仕方ありませんでした。そうしたくて仕方がありませんでした。死神が守らなければいけない法を破ることに少しも罪悪感なんて感じませんでした。それほどに、それだけが私の心にありました」
「私はなぜ死神が存在するのか、それがわかりませんでした」
「でも今ならわかります」
殺したい。なら、殺せ。
「誰もかれも、生きている以上、負の感情は消せません」
死神は死を齎す神。
「でも、それを吐き出すこと。他人に死を与えようとする者と、その思想と真っ向から対立するために、死を司るものがいるんです。理不尽でも、その仕組みが、組織が運用されなければ、命を奪う責務が、失われてしまう」
死神は死と戦う神。
「私は死神です。……だから、放すわけにはいきません」
どこまでも遠くどこまでも白い月の下。
それはどこともわからぬ森の中での出来事。
肉片と隻腕の怪人、そして座りこむ紅い女。
「もしもし、西条巡査部長ですか? 八十七番地区にて偶院永久らしき不審人物を拘束しました。今すぐ応援をよこしてください」
『それ』は笑っていた。
自分にとどめをさせない彼女のことを蔑むその笑いが、彼女には、もうどうでも良くなっていた。
彼女の名は紅月旗女。階級は警部。
「斉天大聖孫悟空老師は無事だそうです……偶院。あなたの負けです」
連絡を終えた彼はそう告げた。
『それ』はそれでもげひた笑いをやめなかった。
彼は、もう視線を合わせようとはしなかった。
彼の名は遠谷希生。階級は巡査。




