にんじんしりしりの刑に処す
実家から送られてきた野菜の中に、変わった形のニンジンがあった。下部が四つまたに分かれていて外側の二本は短く、内側の二本は長い。
「おもしろーい、人間みたい」
でもたまにあるよね、新聞のローカル欄に載ってたりするもん、などと一人ごち、その時はあまり深く気にも留めず課題に取り組むことにした。
そろそろ初秋から晩秋へと移る季節。外語専門学校の学生生活をのほほんと過ごしてきたわたしは、もうすぐ始まる就職活動に戦々恐々だった。「バイト先から内定もらっちゃった」と言う友人を見ては焦り、噂に聞く面接試験に怯え、未だビジョンの定まらない将来のことを考えるとつい溜め息が出てしまう。十九歳、実にアンニュイなお年頃だ。
異変に気づいたのは深夜だった。ふと目が覚めると、そう遠くはない距離から話し声がする。最初は隣の部屋のリア充の男だと思っていた。あのリア充はしょっちゅう友人たちを部屋に招いては、夜遅くまで騒いでいる。またあいつらか壁でも殴ってやろう、と眠たい目をこすりながら起き上がった。
「あれ?」
何かが違う。声は、わたしの部屋の中から聞こえてきていた。え、何なの? これってホラー? 思わず鳥肌が立つが、声が止む気配はない。爪先立ちでそっとベッドから降りて耳を澄ました。ワンルームの狭い部屋は、玄関を入って右手がユニットバス、左手にキッチンと続く。声はキッチンの横に据えられた冷蔵庫から発せられているようだ。声の響きに従い、そっと野菜室をあける。
「……寒い寒い、寒いと言っておろうが! よもや朕を凍えさせるつもりではないだろうな? 誰か、誰かおらぬのか!」
四つまたのニンジンがじたばたとのたうちまわっていた。ニンジンの中央より上の部分には目と思しき二つの穿たれた穴、鼻らしき突起物。まるで口のような切れ込みがあった。
「ぬ? 巨人の女とは、これはまた奇怪な。ふうん、面白い。朕手ずから成敗してくれよう! さあ、覚悟せよ、この手に宿る聖剣で……な、何? 聖剣が、無い、だと?」
わたしと、たぶん目が合ったニンジンはすっくと立ち上がり、おそらく右手を腰っぽい部分にあて、何かを抜き放つ仕草をして固まった。そのまま見つめあうこと数秒。
「くっ、姦計に陥ったか……」
悔しそうに口もとらしき部分を歪ませる顔は、ニンジンにしてはなかなか整っている……いや、そうじゃなくて。
ニンジンが、動いた! しかも喋った!
「サナオーリア・ウォルテゥル・パスティナーカ・キャロット。栄えあるニンジン帝国の皇帝である」
「森野紫です。ええっと、で、キャロさんでいい? それともニンジン君とか」
「無礼な! 朕にふさわしい敬称をつけぬか!」
小さな体に見合う甲高い声で、ニンジンは名乗った。長ったらしい名前を当然憶えられるわけもなく、わたしなりの妥協案を出したのだが、あえなく却下されてしまった。
「えー、じゃあ皇帝」
「陛下」
「……キャロット陛下?」
「まあ、良かろう」
面倒臭い。
ニンジン君改めキャロット陛下の話によると、気づいたら我が家の冷蔵庫の中にいたとか。その前はジャガタラ王国との長きに渡る冷戦を終結させるべく、各国の首脳と会談していたのだという。果てしなくどうでもよく、また信じられない話だ。
「そこな蛮族の女、モリノユカリと言ったか。朕がここにいる間、世話役としての名誉を与えることをありがたく思うがいい」
ニンジン、じゃないキャロット陛下はとても偉そうにふんぞり返って、わたしに命令した。なんだろう、目線はわたしのほうが遥かに上なのに、とてつもなく見下されている感じがする。
「あの、ちょっといいですか」
「うむ、発言を許す」
「ニンジンって何食べるの?」
ただの素朴な質問だったのに、キャロット陛下はもともと赤い顔をさらに真っ赤にして喚いた。
「き、貴様! 無礼にも程があるぞ! もう一度言うが、ニンジンは帝国の名である。朕はサナオーリア・ウォルテゥル・パスティナーカ・キャロット! サナオーリア・ウォルテゥル・パスティナーカ・キャロットだ、覚えたかこの痴れ者が!」
ちんまりとした手足を振り回して、どれだけ罵られても全く迫力がない。あと、名前は絶対に覚えられません。
ミネラルウォーター、小さな植木鉢と腐葉土を近所のホームセンターで買った。いい買い物をした。腐葉土は思っていたよりもずっと安く、いつも買っているメーカーのミネラルウォーターがちょうど特売だったし、無料で宅配もしてくれた。
「む、この水はなかなかに美味である。それにこの寝床も狭すぎると思ったが、存外に心地が良い」
白い植木鉢に腐葉土を入れ、その中にキャロット陛下を丁寧にぶっ刺して、コップに注いだミネラルウォーターにストローを添えて植木鉢の前に置いた。体の半分ほどが土の中に埋まったキャロット陛下は、小さい両腕を器用に使ってコップを持ち、ストローを口にくわえてご満悦の体だった。
「昼間学校に行ってるあいだは、この出窓に置いておくから。ここなら日光も当たるだろうし」
「うむ」
日曜日、秋晴れの穏やかな午後。そろそろ肌寒くなる頃だが、出窓に降りそそぐ太陽の光がぽかぽかと暖かい。
「あと、なんかいるものあったっけ? 水と土と、あー肥料ってどうなんだろ、腐葉土だからいいのかな? まあ必要なら今度買うとして。ねえ、他になんかあります?」
「……ぐう」
キャロット陛下はストローをくわえながら、舟をこいでいた。
キャロット陛下との生活はおおむね順調だった。向こうはわたしを召使いか奴隷のように見ているのかもしれないが、わたしはわたしでキャロット陛下のことは珍しいペットみたいに思っている。飼育費は思っていたよりずっと安いし、なによりストップモーションアニメが目の前で繰りひろげられているのだ。もともとドールハウスとかクレイアニメとか、小さくて緻密な世界が好きだったわたしには堪らないものがある。
日々の勉強と迫り来る就活に苛まれる心の癒し、最初はそう思っていた。
基本的にキャロット陛下の一日は、起床、食事、多分光合成、食事、昼寝、食事、就寝で終わる。元の世界に帰ろうという積極性が全く感じられない日常だ。
だが一度、暇を持て余したキャロット陛下が植木鉢から出て、部屋、主にベッドを腐葉土まみれにした時には、すぐそばに水を張った洗面器とタオルを置いて、よく体を洗ってから歩き回るように言い聞かせた。
「何だと、一人で湯浴みせよと言うのか。朕は皇帝ぞ。尊き存在の朕にたった一人で湯浴みさせるなど、モリノユカリは気でも触れたか」
キャロット陛下はぶうぶう文句を言っていた。
「仕方ないじゃん、わたしは昼間学校だし。嫌なら一人で体も洗えないお子ちゃまは、わたしが帰って来るまでおとなしく植木鉢に埋まっていてくれませんかね? しょうがないよね、自分で体を洗うこともできないんだもん」
「ぐ……き、貴様」
わたしの安っぽい挑発にあっけなく乗ったキャロット陛下は、翌日出窓付近をびしゃびしゃにしながらも他を汚すことなく、とんでもないドヤ顔でわたしを出迎えた。
「ふ、この傑出の英雄といわれた朕にかかれば湯浴みなど、造作もないこと。見たか! そして畏れ入ったかモリノユカリよ!」
「あーはいはい、すごいすごい。偉いねー、わたしびっくりしちゃったよ。いい子にはちゃんとご褒美あげないとね」
大げさに褒めて、その日たまたま買ってきた化学肥料をぱらぱらと植木鉢に捲いてしまったのは、ちょっと失敗だったかもしれない。それ以来、彼はわがままを増長させていった。
「おい貴様、モリノユカリ。朕の寝床がスカスカではないか、味気のない。直ちに入れ替えることを要求する。そしてこの前の肥料とやらをばら撒くことを許可してやっても良いぞ。それから水! 温くなっているぞ。こまめに換えよと毎度言っておるだろう! さすがは蛮族の女、なんと気の利かぬことか」
……うるさいことこの上ない。普段だったら、はいはいそうですねーと軽く聞き流せるのだが、今日はやけに癇に障る。今朝からついていなかった。着ていこうと思っていた服がなかなか見つからず、やっと見つかったと思ったらクローゼットの隅っこでしわくちゃになっていて、他の服を探さなくてはいけなくなり、結局遅刻してしまった。夜のうちにお弁当箱に詰めておいたお惣菜のから揚げが腐っていて、午後の授業はすきっ腹を抱える羽目になるし、帰りには通り雨に合い、全身がびしょ濡れになった。
極めつけは、合コンで知り合ってちょっといいなと思っていた男の子に、彼女がいるのが発覚したことだ。アドレス交換して、頻繁にメッセージのやり取りもしていたし、「今度遊びに行こうね」と約束もしたのに。
「何を呆けているのだ。その間抜け面をさらしている暇があったらさっさと朕の寝床をふかふかのつやつやに換えぬか。肥料も忘れるでないぞ。水は、そうだな。今日は趣向を変えて炭酸水にしようか。しゅわしゅわのやつぞ。おい、聞いているのかモリノユカリ! 貴様の耳はただの飾りなのか」
けれども傷心のわたしを、勉学という輩は待ってはくれない。明日が期限の英語のレポートがあるし、テストも近い。少しでも就職に有利なように資格をできるだけ取りたいし。そういえばビジネス実務検定と秘書検定が立て続けにあるんだっけ、ああ、勉強しなきゃ。
「おい、寝床と水! 寝床と水! 何度でも言うぞ。それから、てれびも見せよ。ほら、今すぐにだ!」
勉強、したいんだけどな。そう思っているわたしの耳元で、二足歩行のニンジンがぴいぴいぴいぴいぴいぴいぴいぴい……
「さっさとせぬか、モリノユカリ! ろくに教育のされておらぬ蛮族だからと甘やかしていたが、主人の命令を聞かぬとは言語道断。本来ならば斬首刑であるぞ、この役立たずのがさつ女め」
ぶちっ、とわたしの中の何かが切れた音がした。ふふん、と笑って立ち上がりキッチンへと向かう。
「ようやく朕に従う気になったか。うむ、良いぞ。朕はこう見えて寛容であるからして、大人しく寝床と水を換えるのならばこれまでの無礼を水に流……き、貴様! その手に持っているのは、悪名高き皮剥ぎ民族の手練れが愛用するという伝説の……?」
ピーラーを手に戻ってきたわたしを見て、キャロット陛下は全身を硬直させた。
「モリノユカリよ、よもや貴様が皮剥ぎ民族であったとは」
「別に、(野菜の)皮を剥くなんてしょっちゅうだけど?」
このピーラーは百均で購入したもので、大根、山芋、レンコンなど剥いた野菜の皮は数知れない。
「ち、朕の体皮を剥いでどうするつもりぞ」
顔色を変えたキャロット陛下はわたしを睨みつけながらじりじりと後退し、やがて出窓にべったりと張り付いた。
「リンゴと一緒にミキサーにかけてジュースにしちゃうとか」
「朕の生き血を啜るというのか!」
「すりおろしてにんじんしりしりにでもす――」
「ヒイイイィィィィ」
そこからのキャロット陛下の行動は素早かった。ニンジンらしからぬ跳躍で窓の鍵を開け、ニンジンにあるまじき怪力で窓を開くと、ピャっと外に逃げ出した。自称「傑出の英雄」、その片鱗を初めて見た気がする。
「あ、ここ三階……」
慌てて窓の外を覗いたものの、夜陰に紛れてすでにその姿は見えなくなっていた。流石に脅かしすぎたかな。でもまあ、あの跳躍力なら華麗に着地できただろう。なんか無駄に生命力がありそうだし。
とにかく、これでゆっくり勉強ができる。
翌日、学校までの道を注視しながら歩いたが、ニンジンの轢死体も溺死体も、転落死体も見つからなかった。良かった、多分飼い主が見つかったんだ。少々鬱陶しいけれど喋るニンジンなんて珍しいし、引く手数多だろう。願わくば新しい飼い主がわたしみたいな狭量な人間じゃないといいんだけど。そうじゃなかったら野生に帰ったのかもしれない。ニンジンの旬は秋から冬っていうし、寒さには強そう。どこぞの鬼軍曹のように、畑に植えられたニンジンの列に喝を入れている姿が思い浮かんだ。
それから三日後の学校からの帰り、アパートの自室の玄関前にしなびたニンジンがうち捨てられていた。誰だよ迷惑な、と思ってよく見るとぷるぷると小刻みに震えている。
キャロット陛下だった。
「何やってんの?」
「げに怖ろしきは蛮族の世界ぞ」
わたしの問いかけを全く無視して、「四つ足の猛獣が……天から降ってくる鋭き棒が……高速で迫り来る化け物が……」などと、目をつむりながらうわ言のように呟いている。その全身は埃だらけの泥まみれで、まるでゴボウみたいにやせ細り、頭上の葉っぱは黄色っぽく変色していた。なんか、ちょっと可哀そう。わたしはキャロット陛下の体をできるだけ丁寧に引っ掴んで部屋に戻った。
植木鉢にたっぷり腐葉土を入れて、その上に多目の肥料をまく。こんなにぼろぼろになってしまったのは、わたしが脅かしすぎたせいだと罪悪感を覚えた。
「ごめんねー、まさかそんなにビビるとは思わなかったからさー」
そのお詫びに、蛇口から冷水ではなくぬるま湯を出して丁寧に四肢を洗って、白い植木鉢にそっと植えた。コップにはフランス産の天然水をなみなみと注ぎ、ストローを差す。キャロット陛下は無意識なのだろう、慣れた手つきでストローを引き寄せちゅうちゅうと水を飲んでいる。
良かった。心なしか色褪せた顔色も少しずつ鮮やかなオレンジに戻ってきているし、しおれていた葉っぱもしゃんと立ち上がり元気になったように見える。ひと心地ついたのか、「ここは……」とキャロット陛下が胡乱げに目を開けて周りを見渡し、わたしの顔を確認すると、カッと目を剥いた。
「モ、モ、モモモリノユカリ! き、き貴様! さては朕を肥え太らせて食らうつもりだな? もうだまされぬぞ」
ここまでかいがいしく世話するわたしにその言葉ってひどくない?
「いや、別にそこまで食料には困ってないし」
「む、た、確かに。水の備蓄はかなりあるようだし、これほど心地の良い寝床をしつらえることができるモリノユカリは余程裕福と見える。それにあの、肥料とやらの味はまた格別」
確かに水は重要だけど、わたしの主食は水でも腐葉土でも、ましてや化学肥料でもない。でもそれを説明するのは面倒臭いし、ややこしいことになりそうだから黙っていた。
「いや、だがしかし……ううむ、となると……」なんてぶつぶつ言っているキャロット陛下なんて無視無視。とりあえず間近に迫る検定試験に意識を向けよう。とは言うのものの、全く頭に入ってこない。上座? 入ってきた順番でいいじゃん。ビジネスに必要とされる資質? そんなのは入社してから養えばいいと思う。そもそも気遣いなんていうコマンドはわたしにはないのだ。どうせ役立たずのがさつ女だし?
キャロット陛下には純粋な好意を悪意と取られたうえ、試験の過去問でことごとく不正解を引いてしまって地味にへこんでいると、コホンとひとつ咳払いをしたキャロット陛下が話しかけてきた。
「時に、モリノユカリよ。貴様、見慣れてしまえば蛮族の割りに愛らしい顔立ちをしているし、先ほどの湯浴みの手つきもなかなかであった。どうだ? もし朕が元の世界に戻った暁には、妃として迎えてやっても良いぞ。であるからして、朕を食らおうなどとはゆめゆめ考えぬことだ、絶対にだぞ!」
「えっ、まじで?」
その申し出は非常に魅力的だった。仮にも皇帝のお妃さまになったのならば就活免除はもちろんのこと、左団扇の生活が待っているだろう。もしも何らかの事変、例えば革命があったとしても、ピーラーと下ろし金を持って行けば何とかなりそうな気がする。種族の壁は厚いけど、女性は適応力が高いって言うし多分大丈夫。どうしよう、キャロット陛下がいきなり格好良く見えてきた。
ただ問題は、キャロット陛下が元の世界とやらに戻る気が全くみられなく、その手段すら見つからないことともう一つ。
わたし、実はニンジンってあんまり好きじゃないんだよね。