9章
しばらく間があきました。ご登録いただいてる方、おまたせしました。
◇
結局、それから一週間も何の音沙汰もなく、つかまったという情報もない。
そこで、帰りがけに店長にそれとなく聞いてみたら、被害者の見舞いに行ったという。
「どうしてそんな重大なこと、教えてくれなかったんですか!」
「いや、どうして教えないといけないのかな?」
店長は、のり平さんみたいな容貌で、碇ゲンドウみたいに机にひじをついて、両手を組んで、穏やかに返答してくれた。
「あ、そういや、そうですね……ははは」
「何か関係あるの?」
「いや、この間ご覧いただいたように、指紋採られたってくらいの関係です。すみません」
「いや、まあ普段からよく捕まえてくれてるからね、ちょっとくらいならいいですよ」
店長が歩きだしたので、沙希もちょこちょことついていく。ほんの三メートルほど、通路から倉庫前へ移動しただけだが、あまり目立たなくていい場所だ。
「で、刺された方の容態は?」
「あぁ、肩と脇腹刺されたらしい。傷が深いのかな。二ヶ月弱は入院するらしいね。一応ね、うちの店の敷地内でのことだったし、買い物によく来てくださってるようだから、商品券と果物を置いてきたくらいだけど」
「そうですか。それくらいでも、新聞にも載らなかったんですね」
「あぁ、いや、一応新聞社からオファーはあったんだよ。でも本部がねじ伏せたみたいだね。でもそのくらいの怪我でよかったよ。命を落とすような事態だったら、新聞どころか、中継カメラまで来かねないし」
「そうですよね。よかったです。これならお店の評判落ちることないと思いますけどね」
「まあ、そうだけど。そこらへんのことは僕にもわからないな」
「そうですか。あとその方から犯人のことって何か聞いてませんか?」
「あぁ、聞いたんだけど、後ろから刺されてるからね。それでも、ナイフ払いのけて相手の足元つかんだらしいよ。その時に、自転車なぎ倒したのかな。靴とか帽子を落としていったらしいしね」
「そうですか……。じゃぁ、特徴とかは……」
「おぼろげだけど、小太りだったような気がするとか。声がおばさんの割りには低かったというくらいかな。駐輪場に防犯カメラあればよかったけどね」
「ないですもんね。で、声を出したんですね。でも、それだけじゃぁ、わからないですね……」
自分が直接被害者にききに行くわけにもいかないし。
「そうだね。こちらも警察から怪しい人に警戒するように言われたけど、それだけじゃぁ、どんな人を警戒したらいいかわからないよね。一応、自転車置き場は何時間かおきに、見回りをするように指示はしたよ」
「あ、そうみたいですね。この間から帰る時に警備員さんをみかけるようになりました」
「そう。ちゃんと廻ってるみたいだね」
「はい……。では、そのくらいしかわからないんですね……。犯人捕まるでしょうかねぇ」
「早いとこ捕まえてもらうか、特定くらいはしてもらわないとね。いくら新聞には載らなかったとは言え、こういうところじゃ、事件は変な尾ひれまでついて、あっという間にまわるから。この一週間で、僕もどれだけ質問されたことか……」
店長は、さわり心地のよさそうな頭に手をやった。
「また何かわかったら、こっそりと教えてくれますか」
「そうだね。進展するように吉村さんも祈っててよ」
「はい、わかりました」
沙希はちょこっと頭を下げて、やはり辺りを警戒しながら帰宅した。
◇
「そういやさ、最近ストーカーも、こち亀さんも来いへんなぁ」
川西さんがつぶやいたのを、沙希は聞き流すようにして伝票を書いていた。
「どうしたんやろな」
「どうしたって。ここにくるのが日課ってわけじゃないんですから」
いないのは大変うれしい。のびのびと仕事ができる。
「うーん。そうやけど、何か刺激がないっていうかな。穏やかすぎるねん。最近は万引きもおらへんしな」
「ちょっ……。川西さん、この仕事に刺激求めちゃだめですよ。まあ、私は毎日新刊とかみられてうれしいですけどね」
「はぁー。そうかぁ。せめて、こち亀さんでも来てくれたらなぁ。仕事忙しいんやろか」
「さぁ。まあ、そのうちとりにくるんじゃないですか?」
「毎週のように来とったのにな。吉村さんが、こっぴどく振ったから、落ち込んでもう来んのかなぁ。お客さん逃したらあかんがなー」
「いや、あの、私が追い払ったわけじゃないんで……」
どうしてこうも、お客さんの動向を気にするんだ。息をついたと同時に、自分もそうだったと気づい
て、眉根を寄せた。捕まえた人の素性を知りたがる好奇心ってのは、今の川西さんと変わらない。
「って。うわさしたらあかんかったかな」
「え?」
「来おったで。ストーカーの方」
沙希が言われる方をすばやく確認すると、目の端にいつもの姿が見えた。
すぐに、顔をそむけて、自分が見えない位置に移動した。
「うわぁ……。ちょっと、事務所いく仕事用意しよう」
「えー。またかいな」
「だって。こっちが気にしないようにしても、いつの間にかすぐ後ろに回ってくるんだもん。やっぱ気持ち悪いわ。見てるだけだと、警察にもいえないしね。もうちょっとしたら、学生バイトさんが来るからいいでしょ」
「あー。そうやなぁ。もうちょっとで織田さんが来るわな。行っといで」
「はいー。じゃぁ。お願いしますー」
沙希は必要なものと、自分のポーチを持って、売り場をでた。ちらりと後ろを振り返ったが、いないようだ。
そのまま早足で、バックヤードへ向かう。
その扉を押す寸前。
気配を感じた。
振り返った。
「……あ」
右肩に手を延ばしてくる男。
あの、ストーカーだ。
とっさによけようとするが、男は沙希の束ねてる髪に手をだしてきた。
「いや!」
それだけ言うのが精一杯だった。手に持っていたポーチと、書類が床に散らばった。
男は、沙希の髪を手櫛のように一度すく。
後ろにひっぱられて、体勢が崩れた。それでも、倒れるのだけは持ちこたえて、振り返った。
男は、不気味な笑いをみせた。
「あいつより前だ。へへ」
低い声で、男はそんなことを言ったのか。はっきりとは聞きとれなかった。
その言葉の意味を考える間も与えないまま、男は走って行ってしまった。
「うわ。吉村さん、どうしたの!」
ストーカーが走り去るのと同時に、バックヤードの近くの子供服売り場の子が走ってきた。
「あ……。大丈夫、だけど……」
「どうしたの? ポーチもっていかれた?」
「いや、それもないけど……」
言いながら、自分の手が震えているのを夢の中のような感覚でみつめた。
今まで見てただけなのに、どうして。
「吉川さんっ」
ポーチを拾うこともできない、尋常でない様子をみた子供服の店員が、沙希の腕に触ってきた。
「あ!」
びっくりして、沙希はその店員を見た。
「男の人が走っていくの見えたけど、あの人が何かしていったの?」
「あ、あの。髪の毛触られて……」
「うそ。気持ちわるっ。で、盗られたものは?」
「ない。大丈夫……」
うわ。どうしよう。
「ちょっと、やばいみたいだから、とりあえず中に入ろう。店長呼ぼうか」
「あ、はい……」
「休憩終わったとこなの?」
「いえ、今からです……」
「そう。ちょうどいいわね。犯人を警備員さんに追ってもらうから、特徴いえそう?」
「あ、はい……。よく見る人なので。でも、私よりも川西さんの方がよく見てると思う」
「川西さんって、売り場の方ですよね」
「はい」
「じゃ、事務所行って、内線で呼ぶわ」
「はい……」
バックヤードから、事務所まで、そこそこ距離はあるけど、自分はどうやってたどりついたのか、覚えていない。