7章
「その自転車の、持ち主さん?」
「は、はいっ?」
沙希も、おばさんも心臓がはねるほど驚いた。
「ちょっと、それ触らないで!」
「えー。これ、私のですけど」
何言ってんだと思いながら、声の主の、警察官をみた。
服部平次をもっと大人にしたような、それでもまだ若い警官だ。
「ごめんな。その自転車、犯人が触ったかも知れないから、指紋とってるんだ」
「え? そうなんですか?」
隣にいるおばさんも、自転車を引いたまま、沙希と警官を交互にみている。
「この自転車と、横のやつ二台。あわせて三台、連なって倒れてたんだ。だから、犯人がどれかに手をついてるかとおもってね。三台とも指紋とってるから、協力してもらってもいいかな?」
「協力?」
まさか。
「指紋、とらせてもらっていい?」
「はぁー……。あらまぁ……」
自分でも間抜けな返答だと思った。
隣にいるおばさんなんか、声がでないのか、口だけぽかんと開けて、沙希をみている。
やがて。
「すごいなぁ。警察行くんか?」
「いや。私に聞かれても……」
「あ、ええと、そちらの方は?」
「あ、あの。家が近所の方で。ぶっそうだから一緒に帰ろうかと」
「じゃ、親じゃないんだね」
「違いますけど」
「じゃぁ、すみませんが、こちらの方指紋とりますので、どういたしましょう。待ちますか?」
「え。あの、ここで指紋とるんですか?」
「いや、違いますよ。最寄の警察署行くか、ここの事務所借りますんで」
「えー……」
面倒なことになったなぁ、という声をだしつつ、ひょんなことで関わることができ、これで詳しく聞けると、小躍りしてしまう自分に、ほんの少し反省を促した。
「あ、じゃぁ、時間かかるようだから、私はここで。沙希ちゃん。気をつけてなー」
とおばちゃんはあっさり帰ろうとする。まあ、きっと後日質問攻めにされるだろうとい
う予想はつく。その前に、私が警察にしょっぴかれたという変なうわさでも立てられなければいいが。
「ご一緒に帰宅されるとのことでしたが、送らなくて大丈夫ですか?」
「え? 送ってくれるん? 最近の警察ってそんなに親切なの。すごいなぁ。警察も捨てたもんじゃないわね」
沙希は思わず吹き出した。おばちゃん、過去に警察に嫌な目にでもあってるのか。
「いえ、ぶっそうなほど暗い道ならってことなんですが……」
「そうねぇ。若いあんたに送ってもらうのもうれしいけどな、ほんの三分で着いてしまうんよ。こんだけざわざわしてるし、いいわ」
「そうですか……。では、お気をつけて」
「はい。親切にありがとうな」
おばちゃんは、にこにこしながら自転車をこいで帰って行った。
「ええと、ではお手数ですが、お時間よろしいですか?」
「うーん。お腹空いたんですけど、カツ丼とか出ませんよね」
沙希のそれを聞いて、警察官は吹き出した後、背中を丸めて震えさせた。
いや、そんなにウケなくてもいいじゃないの。ただの冗談なのに。
「……あ、あのね。今って犯人でもカツ丼だしてないんだよ」
「そうなんですかー。じゃ、カツ丼ってのは迷信だったんですね……」
「迷信って……クッ」
あ、ごめん。また笑わせちゃったわ。
「それで、あの。どこで指紋とるんですか?」
「あ、そうだね。ちょっと待ってて」
白い手袋の片手を挙げて、警察官は近くのパトカーへ走って行った。
赤色をまわさないで、エンジンも止めているパトカーは、暗い自転車置き場の真横にあっても目立たないものだ。
中にいるであろう人と、窓ごしに会話して、警察官が戻ってきた。
「あまり時間とらせても悪いから、この事務所借りることにしようかと。今、従業員と連絡取るから待って」
「あ、あの。私従業員なんですけど」
「え?」
「ここの三階の本屋の人間です。テナントになりますけど、事務所には出入りしてますので。私が連絡しましょうか?」
「それは手っ取り早いね。事件のことは、店長さんや事務所の人は知ってるからね」
「そうなんですか……。帰りに、誰もそんなこと……あ、事務所の人電話してたからなぁ」
「そうなんだ。まあ、明日くらいには今後も注意するようにってお触れくらいでるんじゃないかな」
「そうですね……。じゃ、電話します」
「よろしく」
沙希は、かばんから携帯を出して、店にかけた。事務所の人は、事件を知ってたようで、驚きもせず、こっちに戻っておいで、と軽く返事してくれた。
電話を切って、沙希は携帯の時計をみた。
二十時二十五分。
閉店から二十五分たっている。事務所が一番騒がしい時間だ。できれば避けたいが、待たせるわけにもいかないか。
沙希は仕方なく、先ほどからいる警察官と、もう一人年配の警察官を引き連れて、閉店した建物をぐるりと半周して、従業員入り口から事務所へ案内した。