4章
2
外見が渚カヲルこと、浅見雄二が沙希のいる本屋にきたのは、ほんの偶然だった。
いつもは、家の近くの大型書店にいくのだが、その日は服を買おうとおもって、大型ショッピングセンタに行き、その時に漫画の新刊がでてるはずなのを思い出して、帰りに本屋に行こうとして、そういえばこの店の中にも本屋があったはずだと思い出し、行き着いたのだった。
二日前に発売されたお目当ての漫画と、ホビー雑誌を買いにきたのだった。
それを手にとってレジにもっていった時に応対してくれたのが、まっすぐな長い黒髪を一つに束ねた、小柄な店員だった。
その時の店員の一言が、雄二の心を暖かくした。それだけだった。すぐに胸元の名札をみて、フルネームを覚えた。それからずっと気になって仕方がなかった
東京から転勤してきて、まだ知り合いもいないし、仕事も慣れてきたってほどでもない今の状態は、そう、ちょっと寂しかったのかもしれない。
今までに彼女などいたわけでもないし、特に今すぐ必要だとも思ってなかったが、なぜか気になる。だけど、いきなり話かける勇気はない。
だったらどうする。
と考えておもいついたのが、本を定期購読することだった。
だが、残念なことに、今の雄二はジャンプさえ定期で読んではいなかった。
だから、長編漫画を少しずつ買うことにしたのだった。
一番長いのがこち亀だってのはわかっているし、昔三十冊ほどは読んでいた。今は処分してしまって持ってなかったので、もう一度最初から買いなおしてそろえてしまってもいいと思った。
全部買い終えるまでには、一度でいいから、喫茶店でお茶くらいできればいいかな、という長期的戦略だ。転勤のお呼びがかからないといいけど。それで、一週間に一度くらいのペースで五冊ずつ買いはじめた。
買う時は、必ずあの彼女。吉村さんがレジにいる時を狙っていた。
五、六回くらい通えば、顔と名前と、取りおきの本くらいは覚えてもらえるだろうと思っていた。
「いつもの本ですねー」という声を期待していたのだが、甘かったようだ。
きっと、名前も本も覚えているだろうになぁ、と思うけど、彼女はいつも真顔で「お客様と、本の名前とをおねがいします」と言ってくる。
あの、初めて来店して新刊を買った時に言ってたのは、確かに独り言で、僕に話かけてくれた内容でなかった。でも、またああいう一言がききたい。
でも、毎回なんだかあまりにもそっけない。
あれか? マニュアル接客。
ファーストフード店で、一人で来店して、十個くらいバーガーを頼んでも、「こちらでお召しあがりですかー」と聞いてくるやつ。
そうなのか……。それでもいい。僕は、マニュアルではない彼女の顔を見ている。同じ時間帯で働いている年輩の人には、あんなによく話かけてるじゃないか。
慣れればきっと、軽やかに話かけてくれる……はず。
でも、話かけるきっかけがつかめなかった。
そんな時、救いの手を差しのべてくれたのは、彼女と同じ時間で働いているらしい、あの年輩の女性店員だった。
◇
それは、こち亀の四十五~五十巻目を買いに来た日だった。
いつもいるだろうと思う時間に彼女がいない。たまに数十分して、どこからか帰ってくるから、それだろうかと思って、先に一階へ食料品を買いに行ってから戻ってみた。
それでもいない。運悪く、彼女が休みの日にきてしまったようだ。
それなら仕方ないから、違う日に出直そうと思っていたら、レジからあの年輩の店員が
近づいてきて、僕に声をかけてきたのだった。
それがあったから、僕は決心がついた。
一週間後に、声かけを決行したのだ。
「あのー。漫画って結構読まれますか?」
「は? はあ。まあ……」
彼女は、ものすごく驚いたように顔をあげて、僕をみた。
「あ、あの。いろんな漫画について、ちょっとお話できたらいいなぁ……と」
「え……あ」
彼女が、ちょっと待ってというように、片手を僕にかざして、横を向いた。その視線に先にいるのは、あの、年輩の店員だ。
僕をみているのか、片手で丸を作っている。それは、押せというサインなのか?
では、と言葉を続けようと、彼女をみた。彼女は、まだ横向いてその店員をみている。
すると、その店員はこんどは両腕でバツ印を作ってすぐに腕を下げて、移動しはじめた。
なんだ? 今日は、もう駄目なのか。よくわからないぞ。サインの練習なんて、事前に
打ち合わせしてないし。僕はサイボーグ001みたいなテレパシーもないぞ。
「あ、あの……。お客さんに呼ばれたようなので、これで……」
どうしたんだろう。急に慌てだしたぞ。
「あ、はい。じゃぁ、また今度……」
「あー、はい……」
えーと。まあいいか。了承とは思えない返事をもらったところで、とりあえず雄二は帰ることにした。