15章
◇
浅見雄二が携帯メールの着信に気づいたのは、沙希たちが病院に来てくれた翌日の朝だった。
件名が、「タチコマの件で」でだ。知らないアドレスだが、これは吉村さんだ。送信は夜にされていて、アドレスが携帯会社のではないから、家のパソコンから送ってきているようだ。
とても早いアクセスに、雄二は小躍りした。
吉村さんを誘うための着眼点は、ビンゴだったようだ。その場でポチ袋を開けなかったのも、読みどおりだ。
文面は、ごく簡素だった。
──私が、タチコマが好きなのはどうしてわかったのですか? それから、他にどんなグッズをお持ちですか──
それだけだった。
雄二は、笑顔で返信を打った。
──好みをずばり当てられたのは、後日、直にゆっくり会う機会をもらえたら、お話します。グッズは家に沢山あるので、退院しないと、その様子を写真で送れません──
自分でも、ちょっと性急かつ、いやらしい引き伸ばし作戦だと思ったが、どうしても、退院までにもう一度、吉村さんに単独で来てもらうには、のらりくらりと、当たり障りのない会話を続けてるわけにはいかなかったからだ。
これで、非難するような返信がきたら、それまでだ。祈るような気持ちで、雄二は送信ボタンを押した。
◇
それから数日後、沙希は自分の車で、名教大病院へ向かっていた。
もうあと二日で、こち亀さんは退院するが、自宅静養中に読むための、続きの巻を十冊持ってきたのだ。
沙希が休みの日に行くのだから、売り場に気兼ねなくいけるが、ネックはあの川西さんだ。
客注棚にあるはずの、十冊のこち亀がなくなっているのには、きっと気づくだろう。
前は上司と行っているのを知ってるからいいのだが、今回一人で向かったのをつつかれたくはない。
だからといって、上司と行ったという嘘をつくと、川西さんは妙なとこで勘がいいし、かぎまわってバレそうな気がする。
うーん。その時はその時だ。
一呼吸して、病室の扉をたたいて、中に入った。
こち亀さんは、すでに上体を起こしていた。
「……ありがとうございます」
近づいていく沙希に向かって、丁寧に頭を下げた。
「この間は、かわいいポチ袋を、ありがとうございました」
「気にいってもらえたようですね。では、今度の新作です」
そう言って、こち亀さんは、手元から袋を出した。
「きゃー。大入り袋っ。タチコマと……笑い男だらけっ」
心拍が早くなるのを感じつつ、それを受け取る。今度は、ちょっと大きめの袋で、正面に大入り袋と書いてある。それもタチコマが噴出しで、大、入、袋、と発言してるようなデザインだ。
「中の金額は、大入りじゃないですけどね」
「あ……」
見とれていては駄目だ。沙希は中の金額も確認する。
「はい、ちゃんと十冊分ですね。こちら、レシートと本です」
沙希が書店の袋ごと差しだした。
「そういえば、もう退院ですから、荷物になってしまうのではないですか?」
「いやいや。もう同僚に鍵を渡して、おおよそのものは持って帰ってもらってるから大丈夫です」
「そうですか……。それで、あの、この袋って、どこに売ってるんですか?」
「あぁ、売ってないですよ。前のも、それも僕が作ったから」
「えっ?」
「僕、パソコンのシステム関連の会社に勤めてて、デザインもやってるんです。趣味のものをこうやって遊んで作るのは、簡単な方なんですよ」
「すごい……」
「大したことはないですよ。これはね、壁紙にしてあるんですよ」
そう言うと、こち亀さんは、棚の横からノートパソコンを取り出して、すぐに立ち上げた。
「ほら」
画面をこちらにみせてくれる。
「わぁー。これいいわぁ……」
「よかった。作った僕も気にいってるんだ」
画面には、タチコマが水玉もようのようにちらばっている。この間の袋のデザインだ。
「これを同僚にプリントアウトしてもらって、袋状にして作ったんだ」
「へえ。そうなんですか。なんか、ここだけにとどめておくのもったいないですね。商品化とかでどこかにかけあってみたら、売れるんじゃないですか?」
「うーん。まあ、そうだね。ポチ袋にはできないけどね。他の形でなら……」
「ポチ袋は、駄目ですか?」
「無理だと思うよ。だって、これを遣うのって、僕らよりももっと上の年齢でしょ。で、もらうのは子供。どちらの年齢も、このキャラは知らないだろうね」
「あ……」
そうだった。沙希が知ってるものは、みな知ってると思い込む癖がまた出てしまった。
世間からしてみれば、そんなマニアックなもの、というのばかりなのに。
「そうですね。対象年齢を間違えてましたね……。で、どうして私がこれを好きだと……」
「それって、今言わないと駄目ですか?」
「え? そんな恥ずかしいことでしたっけ……?」
思わず、沙希は辺りを見回した。
四人部屋の三人ともが、テレビをみたり、本を読んでるふりをしながら、こちらに聞き耳を立てているんじゃないかという気がしてきた。
「いや、わかった理由が恥ずかしいってんじゃなくて、これを言うと、あとはもう、こうやってお会いしてもらえないんじゃないかと思って……」
こち亀さんが、途端に赤面して、下を向いた。
「え……」
沙希も、釣られたわけじゃないけど、赤面してしまった。これってば、次に会うための口実というか、駆け引きじゃないの。もう。恥ずかしくって、間が持たないじゃないの。
「ええ、と、あのその……」
そんなこと言われると思ってなかったので、二の句が継げない。
「わー.ごめんなさい。すみません。駄目ですよね……」
こち亀さんは、最初の印象通り、シンジ君のように慌てだした。何か、そのアンバランスに笑えてきた。
「いえ、その……。まあ、喫茶店とかで話すくらいならいいですけど……。そのかわり、何か新作もってきてもらうってのはどうですか?」
「え……いいんですか?」
「あ、はあ、まあ……」
なんだろう、キャラにつられてしまったのか、私は……。何で自分から誘ってるんだろう。こんなこと人生初めてだが、意外とどきどきしないものだな。条件をつけたからだろうか。
それに、あの後ろに立たれるだけの気持ち悪い奴よりは、よっぽどいい。
思い出すと、眉間にしわが寄ってしまう。
「そういう条件でなら、もちろんですよ。すでに、動画とかもありますからね」
「え? 動画?」
「あ、この壁紙のタチコマたち、回転するんです」
「え? 見せてっ……ください」
「あ、ごめんなさい。ここではネットにつなげないので、動画見せるの無理なんですよ。喫茶店でも難しいかな。僕の家でなら……」
「家って。それはちょっと……」
「あ、違います、違います。誘ってるんじゃないです。大丈夫です。ごめんなさい」
えらく腰の低い人だ。場合によっては高慢ちきに変貌する私とは、ずいぶん違う。
「あぁ、いいですよ。ただの失言ですね」
「ただのって……。なんか、ハルヒあたりが、言いそうな台詞ですね」
「はるひ……。あぁ、ただの失言には、興味ありませんって?」
「お、それ……すごくいいっ、名台詞誕生!」
こち亀さんは、パソコンを抱えて笑いだした。