14章
◇
電話してから三日後には、沙希は上司とともに病院へ向かっていた。
車を運転する上司の丸山は、四十代前半だが、今から行く病院へ何度も行ったことがあるという。
「妻が、ちょっと手術してね。それで通い慣れてるんだ」
「そうなんですか」
いう通り、沙希は上司の先導のおかげで、病院内で右往左往せずに済んだ。
「失礼します」
上司が相部屋の扉をたたいてくれた。
「はい、どうぞ」
二人くらいから、声がかかる。
扉を開けて、確認した。
「あの、左奥の方です」
沙希は、上司に声をかけた。まったく面識がない者同士になるよりは、やはり自分も来てよかったと思う。
「お疲れのところすみません。森林の者ですが」
「あ、はい。わざわざすみません」
こち亀さんは、起き上がって頭を下げ、こちらに挨拶をくれた。
「今回は、お言葉に甘えまして、わがまま言って持ってきていただいて、すみませんでした」
「いえいえ。うちで大変な目に遭われましたからね、このくらいのことは」
「あぁ、まあ……」
こち亀さんが、わずかに眉間にしわを寄せた。まだつかまってないので触れられたくない話題なのだろう。
「あ、じゃぁ、あの、もってきた本を……」
「はい、そうですね」
沙希に笑顔を向けてきた。ほんの少し、みつめてしまったかも知れない。
カヲル君に似た面立ちだったが、ほんの少し、やせたように思えた。
沙希は、書店の袋ごと差しだした。
こち亀さんがその十冊を受け取って、よこの台に置いたところで、レシートを差し出す。
「今回は、お見舞いの品というわけにはいかなくて、申し訳ないのですが……。すみません、こちらお会計です」
「いえいえ、お気になさらずに。お見舞いなら、先日店長さんからいただいてますし。それだけでも申し訳ないと思ってたところですから」
「そうですか……ありがとうございます」
このやりとりを、上司はおとなしく見守っていてくれていた。
実は結構お客さんとやりあう性質なので、内心ではハラハラしていたのではないかと思う。
「じゃ、お会計は……これで」
「はい……うあぁ」
思わす口を押さえたが、ちょっと遅かった。
「どうした?」
上司が横からのぞいて、笑顔を浮かべた。
「夏にお年玉もらえちゃったねぇ」
「あ……はいー」
簡単に上司に相槌を返して、手元のそれと、こち亀さんをみた。
ポチ袋に現金を入れてくれているのだが、袋の絵柄は……。攻殻機動隊のキャラクターであ
る、タチコマというかわいい青いロボットが、水玉もようのようにまんべんなく散っている。しかも、一つ一つ絵柄が微妙に違う。これはすごい。
こち亀さんをちらりと見ると、笑顔で視線を合わせてきた。
うわ。ちょっと恥ずかしいぞ。あわてて顔を下げて、もう一度それをみた。
本当にかわいいなぁ。これ、売ってるのかなぁ。自分にはまだお年玉あげるような親戚はいないけど、これは欲しい。
どこで売ってるんだろう。アニメショップだろうか。聞いたら教えてくれるだろうけど、今は無理だ。一般人の上司がいる。
仕方ない。退院して、売り場に来店されたらタイミングをはかって、聞くことにしよう。
「では、早く退院されて、それから犯人も捕まるといいですね」
「ええ……はあ、まあ……」
こち亀さんは、あいまいに笑顔を上司に向けた。
沙希は、咄嗟に振り返って、上司をひと睨みした。 なんていい方するんだ。
「こちらとしても、警察と連携して、早く安心してご来店いただけますように、努力いたします」
沙希がつけ加えた。
「はい、よろしくお願いします。従業員のみなさんも、気をつけるようにお伝えください」
「そんな。わざわざお気を遣っていただきまして、ありがとうございます」
「いえいえ。僕が狙いじゃなくて、誰でもよかったんだったら、まだ危険ですからね」
「あぁ、そうですね……」
言われて、沙希は嫌な影を思い出した。
今まで手出ししてこなかったから、手をこまねいていたけど、あの件があったから、今度はすぐに捕まえてもらえる。
この間、違う売り場で万引きが発生した時に警察がきて、ついでにその話もしておいたし。たしかに、見てるだけだとストーカーとはいえないかもしれないが、髪の毛触られのは決定的だった。
もう二度とみたくない顔だが、もう一度だけ確認しなくては、捕まえられない。
「どうかしましたか?」
自然と、渋い顔になっていたようだ。こち亀さんに訝しがられてしまった。いけない。
「あ、いえ。それでは、これで……」
沙希は、上司とともに、深く頭を下げて、退室した。
◇
帰りの上司の車の中で、沙希はもう一度あのポチ袋を眺めていた。
そういえば、中身みてなかった。金額をその場で確認してかなったなんて、不覚。上司もそこを突っ込まなかったけど。
あわてて、中身をだしてみた。千円札四枚と、百円が一枚。合っている。
それから、白い紙が一枚。折りたたまれているそれを広げて、沙希は息を止めた。
──僕は、タチコマのグッズを沢山持っています。お見せすることもできますが、まずはメールのやりとりから、お願いできませんか──
あとは、名前とメールアドレスが書いてあった。これ、今ここで広げてよかった。下手したら、病院で上司が見ているところで開いていたかも知れない。
上司に見られても、そちらは困らないだろうけど、私が困る。本当に、今でよかった。
沙希は、その紙だけ自分の財布に仕舞った。