13章
5
沙希が一安心してから三日後。浅見雄二は、勇気を奮い起こして携帯のボタンを押した。
「はい、書籍売り場です」
ショッピングセンタの代表番号から、書籍へつないでもらって、電話口に出たその声を聞くと、自分の鼓動が少し早くなるのを感じた。
「あの、本を定期で購入している、浅見と申しますが」
「は……はい、どうも……」
相手が、明らかに戸惑っている。どうしよう。かけるべきではなかったか。でも、ここで切るわけにはいかない。
「突然ですみません。あの……。退院した後も、しばらく自宅で静養しないといけないと言われまして、その……。時間をもてあますので、十冊くらい、病院にもってきていただくことは可能でしょうか……」
「病院にですか?」
「あ、あの、すみません。そこまでのサービスは、さすがにやってないですよね……」
「はあ、そうですね……。それってデリバリみたいなものですよね。基本的には、お越しいただく形しかとってないんですけど……」
「そうですよね。すみません。忘れてください」
「え、いや、その。一応上の者に確認とってみますので、折り返しお電話いたしますけど」
声は戸惑いつつも、そう言ってくれたので、雄二はまずは胸をなでおろした。だが、安易にお願いはしない。
「そうですか。そこまでしていただかなくてもいいのですが、一応、折り返しでおねがいできまか?」
「はい、では三十分くらい後で折り返しますので」
「わかりました。お手数おかけいたします」
「いえいえ。ではまた……」
そこで、回線は切れた。
あの声は、吉村さんだった。もっと聞いていたかった。ちょっと残念。だけど、一応オファーはしてみたぞ。これで駄目でも、退院して書店に通うようになってから、この件をわびるという形でほんの少しだけは会話できるだろう。それは、今後につながるような会話ではないだろうけど。
それにしても、関西弁のあのおばちゃん。なんか乗り気だなぁ。キューピット役でもやってくれてるつもりだろうけど、僕はまだそこまでアプローチしてないし、第一相手は僕を避けぎみだ。それは今の声でもわかる。
これでは、逆効果だったのではないだろうか。できれば、自分で少しずつアプローチしていきたいのだが、どうもあのおばちゃんがせっついてきてしょうがない。
そういうことしてくれるなら、あちらにも懐柔しておいてほしいところだ。
今回だってそうだ。
たぶん、あの吉村さんには内緒で、もしかしてその吉村さんが休みの日だったのかも知れない。書籍売り場から電話してきて、持ってきてもらうように、言うてみいな、とか関西弁で誘ってくれたのだ。
僕は、まず間違いなく断られると言ったのに、こっちは入院してる原因がうちの店で刺されたんだって知ってるから、特別に店長許可で、届けてくれるかも知れないって。
それを聞いて、ちょっとだけ心がざわついた。
吉村さんが,電話してきた時、確かに僕は、入院してる理由を言わなかった。
でも、知っていたんだ。
知っていて、言い出さなかったのは、僕と長く話したくなかったからだろう。やっぱり、可能性はないような……。
気が沈みかけると、なぜかあの関西弁のおばちゃんがでてくる。
『大丈夫だから、アタックしてみい』
本当だろうか。
ここは一つ、自分におまじないでもかけて、折り返しの電話を待ってみよう。
『逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ、逃げちゃだめだ。』
そう。刺された時も、逃げずに振り返って、あいつの靴だけはつかんでやった。
なんか、男もののスニーカーみたいだったけど、スニーカーくらいは、おばちゃんでも履くだろう。
運ばれていく時も、脳内で勇気づけられたから、がんばれたし。あそこで人生終わってしまったら、冗談でも『我が生涯に一片の悔いなし』とは言えないな。
その代わりに出てきたのが。
『あきらめたら、そこで試合終了ですよ』
いい台詞だ。あのたぷたぷのあごおやじが、天使のように思えた瞬間だった。
そういえば、警察からその後の状況とか言ってこないけど、どうなってるんだろう。
この治療費だって馬鹿にならない。命に別状はないけど、仕事休んでる分の給料と、治療代と慰謝料はふんだくらなくては、納得いかない。
入院してからもう二週間すぎてるけど、つかまらないのかな。警察犬が、スニーカーか
ら追ってくれてないのかな。
それに、どうして刺されたんだろう。引っ越してきて日が浅いし、お金狙いなら、老人とか狙いそうなのに。
「おっと」
思わず声をだしてしまった。
銀河鉄道999の着メロだ。かかってきた。
「もしもし」
ロビーで待機していたが、椅子から立って、壁ぎわまで移動した。
「先ほどはすみませんでした。森林堂、横川店です」
「はい、どうも……」
「先ほどの件ですが、上の者が、商品をお持ちするという形でよろしければ、そちらまでお伺いできますが、どういたしましょうか」
「あ……」
そうか。そうだよな。普通、クレームでも当事者ではなくて、上司がお詫びに来るもんな。どうして僕は、吉村さんが来るなんて思ってたんだろう。
「上の方、お一人ですか?」
「ええと……。その、都合がつけば、私も参りますけど」
「本当ですか?」
おっと、声が喜んでしまった。落ち着け、自分。
「あ、はい……。上司が書籍売り場の者ではないので、詳しいことがわからないのです」
「あぁ、そうなんですね……。では、お二人の都合のつく時でかまいませんよ。とはいえ、あと二週間で退院して、あとは自宅になってしまいますから、病院にいる間に届けていただけるとうれしいです」
「はい、わかりました。時間帯はどういたしましょうか」
「十四時から十七時の間が一番落ち着いてます」
「では、日にちとだいたいの時間が決まり次第、ご連絡いたします。持っていくのは、何冊にいたしますか?」
「そちらにいま、二十冊あるんですよね?」
「え? あ、はい。私、前のご連絡で二十冊とお伝えしてましたっけ」
「そうですね、確かそういわれたとおもいますよ」
心配になって、雄二は記憶を引きずりだした。下手をすると、おばちゃんと会話した内容とごっちゃになりそうだ。気をつけないと。
「あ、そうでしたか。すみません、忘れてしまいまして」
「いえいえ。では、十冊で。それから、続きの注文もお願いします」
「はい、わかりました。病院は、名教大病院でよろしいですね」
「はい、よくご存知で……」
「店長から伺っておりますので」
「えっと……じゃぁ、僕がどうして入院してるのかも……」
「存じております。話するきっかけがなかったので、あえて口にはしてませんでしたが……。その、何と言っていいのか……」
「いいですよ。お気を遣わずに」
「あ、はい……。ありがとうございます。それでは、またご連絡いたします」
「はい、わがまま言ってすみません」
「いいえ、とんでもないです。それではまた……。失礼します」
ぷつりと、回線が切れた。
なんだか、とっても丁寧な口調だったな。入院の理由も知ってるのは当然か。
雄二は携帯の画面をみつめた。
僕がレジで誘ったことがある手前、きっと来るのに抵抗があるだろうから、上司がついてくるのは仕方ない。きっとあのおばちゃんも、そこは考えてなかったんだろうな。
いつか、二人だけで、お互いの好きな漫画やアニメの話ができたらいい。できれば、自分のペースで誘っていきたいから、あのおばちゃんのキューピットは遠慮したいところだ。
たぶん、断るのも難しいだろうけど。
そう思うと、なんだかそれも楽しくなってきた。
雄二は携帯をしまって、ドラゴンボールZの曲を脳内でかけながら、病室へ戻った。
◇
「はぁ──っ……」
沙希は受話器をみつめて、息をついた。
結局行くことになってしまった。まあ、自分だけでないからいいけど。
もし自分だけで行くことになったら、この間レジで誘われた事には話が及ばないように事件のことだけ矢継ぎ早に聞いて、退散するつもりでもいた。
とりあえず、日にちと時間を合わせるために、沙希は上司のもとへ向かった。
横にいた川西さんは、なんだか神妙な顔をしていた。