12章
「んで、これ病院に持っていくんか?」
川西さんは、客注棚に入っている二十冊のこち亀を指さした。
「そこまでやらなくても、そのうち退院して取りにくると思いますけど」
「あかんって。顧客獲得には、細かいケアが必要なんやで」
川西さんがもっとものように言うそれは、私が川西さんに教えた事項だ。
「いや、こういう場合はそこまでやらなくても、お客さんが逃げるってことないと思いますけど」
「そやけどなぁ……。じゃぁ、持ってきてほしいかどうかだけでも聞いてみんとな」
「電話何回かして、つながらなかったんじゃ……」
「せやった。入院してるから携帯持っていってないんやろか。仕事先との連絡はどうしてんやろな」
「さぁ……」
「一応、またかけてみてええか?」
「うーん。もう嫌ってほど、うちの番号から着信ついてると思いますよ。退院するまで、ほっといたらどうですか」
「えー。残念やわぁ。吉村さんがお見舞いに行ったら、めちゃ喜ぶと思うんやけどなぁ」
「……私を行かせたくて、連絡とるんですか」
「あたりまえやん。私が行ってどうするんよ」
「……わかってると思いますが、連絡ついても行きませんよ」
「そんなぁ、そこで行かんと発展せんやん」
「しなくていいですから……」
頭痛がしてきそうだった。
一体、どんなハーレクインロマンスを読んでるんだ……。いや、もちろん好きだけどね。ボーイズラブも、ハーレクインも。
「あのこち亀さん、ちょっとひょろっとしてて、頼りなさそうやけど、この間売り場近くで襲
われたって話でもしたら、その気になって守ってくれるんちゃうか。それなら、一石二鳥やろ」
「いや、それ、一石二鳥って言いませんから」
「そぉかぁ。まあええやん。あのストーカーよりは、ずっとええ面しとるやん」
「あの、顔で選ばなくても……。それよりも、そのストーカーが売り場にまた来るかと思うと、ちょっと怖いですよ……。来ないでしょうけど」
「せやなぁ。来た途端に、うちら通報するでな。まあ、あん時髪の毛触られただけでよかったんちゃう?」
「よくないですよっ。それに、髪の毛何本か持っていかれてるんですよ。丑の刻参りとかで使われたらどうするんですか」
「ちょ……。こんなとこで笑わかさんといて……」
川西さんは、前のめりになって苦しそうに笑っている。 どうもツボにクリーンヒットさせてしまったようだ
と、その時。レジの横の電話が鳴った。
同時に、お客さんが会計に来たので、沙希が電話をとり、川西さんが、どうにか抑えた爆笑を笑顔に変えながら、接客にかかる。
「はい。書籍売り場です」
「あー、お客様からお電話です」
事務所の男性が取り次ぎ、一呼吸置いて、電話してきた人とつながる。
「はい、書籍売り場、吉村です」
「あの……。浅見というものですが、携帯の着信が何度か入ってたので……」
「いっ?」
おもわず、妙な声をだしてしまった。
まさか。いや、まさか。
そんな馬鹿な。
うわさをすれば、影がさすというやつか?そんなタイミングのいいことって……まあ、ないわけではない。
万引きが多そうだから気をつけてと言ってる最中にまさに、万引き少年が来て、捕まえたことがある。
「あの……」
電話の相手は、声をあげたきり、黙ってしまった沙希を不審に思ったのか、問いかけてきた。
「あ……。申し訳ありません……その、本を定期で買われてる方ですか?」
沙希は、横目で川西さんを見ながら聞いた。幸い、まだ接客中でこちらの会話などは耳に入っていないようだ。
「はい、そうです。何度もご連絡いただいたようで、すみません」
「あ、いいえ。その件でしたらこちらから折り返しますので、二十分くらい後にかけなおしさせていただいてよろしいですか?」
「はい、二十分くらいですね。じゃぁ、お待ちしております」
「すみません。よろしくおねがいします」
沙希は、相手が切るのを待って、すぐに受話器を置いた。
「お客さんから?」
「あ、いや、本店からの電話。休憩の時に、折り返し電話してくるわ」
「そうか。じゃぁ、吉村さんの休憩まで、整頓でええか?」
「そうですね。児童書からお願いします」
そういう自分の顔がいつもと変わらないだろうか、口調におかしいところはないだろうか。川西さんの反応をみて、判断してしまう。
そうやって、とっさに嘘をついてしまった自分にどうかしてると突っ込みを入れながら、
児童書に向かう川西さんの背中を見送った。
◇
連絡をしないわけにはいかなくなった。
どうして、あの時電話をかわってもらわなかったんだろう。
クレームの電話に返答するよりも重い心で、事務所の受話器を取った。
二度ほどコールして、相手が出た。
沙希は、できるだけ低い声にしてみた。
「あの、森林堂、横川店と申しますが……」
「あ、先ほどはどうも……」
「いえ。こちらこそ、お待たせいたしました」
「いいえ……。その、お電話いただいたのは……」
「あ、あのお客様がしばらくお越しになられなくなったので、うちの従業員が差し出がましく、電話をかけてしまっただけです。すみません」
「あー。こちらも、しばらく行けそうにないって、連絡をすればよかったですね」
「いえいえ、とんでもないです。その、ご都合のよい時にお越しくださればいいので。とりあえず、二十冊うちにあるところで、注文は中断しましたけど、よろしかったでしょうか」
「はい、わざわざ気を遣っていただいて、ありがとうございます」
「いえいえ、お気になさらないでください」
こちらとて、買ってもらえない商品を入れるわけにはいかないから、続きの注文をしてないだけだ。
「その、ちょっと入院してまして、退院したら、続きをとりにいきますので」
「そうなんですか……」
このショッピングセンタで、刺されたとは言わないんだ。
言わないことで、沙希はちょっとだけ好感を持った。脳裏になぜか、ドラクエのレベルアップの音が流れる。
「では、次にお越しくださる予定をだいたいで教えていただければ、次の注文の目安になるんですが」
「そうですね。怪我の回復が順調なので、あと二週間もすれば、行けるかと」
「わかりました。お待ちしております」
そこで受話器を置いた。
よし、これで病院に本を持っていくという必要はないな。
ほっとすると同時に、しまったと、思わず口にしてしまった。
川西さんに、病院へ行く必要がないと説明しなくてはいけなくなってしまった。でないと、毎日のようにかけ続けてしまうのではないだろうか。
もうすでに病院に携帯を持ってきているようだし、次に電話したら、即出てしまうかもしれない。困った。
こういう時、嘘はつき通せないものだな、と思ってしまう。そのままバレないような頭脳があれば、と思った瞬間。
脳裏に電球が光った。漫画みたいだが、本当に浮かんだ。
逆立ちしなくても、指につばをつけて両手の人差し指を頭上で回さなくても、ひらめいた。
よしよし。とりあえず、嘘は通せそうだ。
いいのかどうかは別として。