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虹彩の娘 2

 

「白い精霊種?」


 ニイの問いに、老婆は怪訝そうな声を上げた。手元の小さな鍋は、相変わらずチチを煮立てているようで、独特の香気が部屋の中で充満していた。


 宿に戻ると、まだ老婆は起きていた。顔をあわせた途端、物好きめとその表情はかなり呆れた表情を向けられてしまった。

 ニイは時計を確かめた。極光を見に行くといったまま出かけ、随分長い時間が経過していたようだ。毎日見慣れている現地民からすれば、極光など珍しいものではない。物好き、と思われるのも仕方がないだろう。


 外套も脱がないまま老婆にまず尋ねたのは、白い精霊種のことであった。

 ただし、具体的な容姿は述べず、色だけで問いかけた。


 小鍋からかき混ぜていたさじを抜き取り、老婆が味見をする。納得いったようだ。粘性の高いそれをカップに流し込み、おもむろにニイに差し出した。

 きづかい、なのだろう。わざわざ改めて温かい飲み物を煎じてくれたのだから。

 ただ、人によってはこの香茶を出される方が苦痛かもしれない。

 ニイは差し出される温かい飲み物を受け取りながら、

「そういったものの伝承などはありませんか」

と言葉を付け加える。正直、温かい飲み物はありがたかった。カップを傾けてもなかなか落ちてこない。先程のものよりもさらに煮詰めているようだった。

「それが本当の濃さじゃよ」

先刻のものは来客用ということか。実際、先程のものよりもこちらの方が数倍香気が強くなっている。

「そのほうが長く温まるが、癖が強い」

老婆が鍋を片付けながら、独り言のように言う。

 ようやく口に含んだ香茶は、まだ熱を持っていた。どろりとした粘性を持つため、ゆっくりと喉から降りていき胃を熱くする。今なら辿った熱で内臓の位置が自分でも指し示すことが出来るだろう。腹の底からじわりと身体を熱くするこの茶は、なるほど、この地方の必需品だと納得がいく。

 嚥下した熱にようやく人の世界に帰ってきたような気になり、ニイは緊張がほぐれるのを感じた。

「それで、精霊種のことですが」

 それてしまった話題に戻る。

 しかし、老婆は首を横に振った。

「国精霊様ぐらいじゃよ。ここは精霊種にも滅多に逢わない土地じゃ。精霊種も見捨てているのかもしれぬ」

 ニイはそれに対しては何も言わなかった。


 世界に精霊種がいない土地など、実は無い。

 精霊種は時間の制約を受けないが、滅ぶ事はある。その場合、開いた縄張りに次の精霊種が流れ着くのだ。その仕組みは有限種にはわからない。精霊種に聞いたところで、空いたから、なんとなく、といった答えにならない答えしか返って来ないのだ。どうやって彼らが増え、そして移動しているかは判らない。


 どの土地でも主がいる。


 たとえば精霊都市は、大きな縄張りを持つ比較的おだやかな精霊種の庇護を受けている都である。国精霊もその類に含まれる。そのあたりの精霊で一番か、束ねる役目を負っているものがそう呼ばれるのだ。有限種と精霊種は、一定の距離を保ったまま共存をしていた。

 旅をするとき、旅人達が重要視するのは、各土地の精霊種である。ヘタな相手の場所に踏み入れるとこちらの命が危ぶまれる。情報は高額で売り買いをされていた。


 ここに来る直前に読んだ、資料を思いだす。

「この国の契約精霊は、ニクスですよね?」

「おお、そうじゃ。雪のニクス。気高き雪豹の方じゃ。わしらも滅多にお会いする事は無い」

 国精霊とは気軽に会うことなど出来ない。


 ニクスに属するものも、豹の形をとる。広域の精霊種の影響は凄まじい。同じ土地にいる下位のものは否応無しに影響を受ける。ニクスに繋がるのなら、人の形ではないのだ。


 そもそも精霊種が形をとる場合はただ一つ。有限種と交渉する際、だ。


 ともかく雪豹の形というからには、白を含む精霊種だと推測できる。ただし、ニクスに出会ったという記録も、ここ二十年は見当たらない。

 幾つかの推測を並べ立てながら、ニイは慎重に問いを重ねた。


「……ここは旅人は頻繁に来る土地ですか?」


 その言葉に老婆はおかしいことを聞いたと笑い始める。わけもわからず笑われるニイはいささか気分を害したが、何も言わなかった。


「隊商以外はお前さんが十年ぶりじゃな」


 老婆の答えに、ニイは考え込んだ。

 そのまま暖房に使っている暖炉を眺める。パチリ、と火の粉が爆ぜた。白ばかり目にしてきたニイには、炎の色が例えようも無く優しく見える。やはり、氷雪の景色は人を拒絶している。人に近しいのは炎ではないだろうか。


 この北限は厳しい気候のせいか精霊種もいない。

 それはこのましいが、やはり寒いのは耐えられない。ある程度調査をして、さっさと帰るほうが得策だ。

 そう結論付け、飲み物をすすった。

 僅かな時間でそれは半ば冷めており、ニイは思考に耽っていたことを後悔したのだった。




 翌朝。


 嵐を待つニイであるが、本日も実に素晴らしい快晴であった。彼が嵐を待つのにはわけがあった。イリスの手がかりと思われるものが文献に一つだけ表記があった。


 十五年前のとある冒険家の手記だ。


『――私は死を覚悟していた。吹き付ける暴風と身体を芯から凍らせる雪に、耐え難い眠気を感じた時である。

 そのとき、不意に嵐がやんだ。そして、私は虹のきらめきを見たのだ』


 そんな風に彼は感動をつづっている。しかし、近年まで凍死間近での夢であると片付けられていた。だが今回のイリスの羽の発見により、評価が変化していた。しかし、この記述だけに頼るのも問題だ、とニイは思う。確かに史料としては根源に近いが、資料としては疑問が残る。あまりにも記述が曖昧であり、散文的であった。さらに言えば、あとから思い出しつつ記入している節がある。

 参考にもならないが、念のため。そういう位置づけで考えることに決めた。

 手がかり、という意味でいえば、昨日邂逅した精霊種からの情報を得た方がはるかによいだろう。

 ともかくも、約束の二日目である。


 空の端まで見渡せるほどの美しい空だ。

 北限の昼は短い。

 ニイは再度出かけることにした。昨日の精霊種はまだ尋ねてきてはいない。


 結局朝から聞き込みをしたものの、集落の中でも、やはり白い精霊種についての情報は全く無かった。そして、国精霊以外の精霊種の情報すら手にいれることができなかった。

 古代生物の目撃情報はちらほら手に入ったが、それも見間違いやガセに近い情報源のものしかなかった。


 一応は、働かなければならない。


 精霊種には時間という概念が薄い。

 いつ訪れるかなど待たずともよい。そのあたりは人間と同じに考えるとこちらが痛い目にあうのだ。また今度、と精霊種が約束したとする。ただ、その「今度」は精霊種により、一秒後かはたまた何百年先か、全く違ってくるのだ。

 それに関しては昨日の精霊種は明らかに人間慣れをしていた。


 彼女は、明日、と言った。


 それにニイはひっかかりを覚える。精霊種が、「明日」だという。全く持って人間臭すぎる。彼女達に、日々の区切りなど無いはずなのに。

 ただいくら不審だからといっても、一応、口頭契約とはいえ先方がこちらの意向を尊重してくれている限りは、こちらも応えなくてはならないだろう。

 

 おかしい点はまだある。明日という単語を知っているくせに、待ち合わせなどは全く指定されなかった。精霊種は時間よりは場所にこだわるはずなのに、だ。


 ともあれ、連絡も取れぬ相手を待つ道理は無い。

 ニイは装備を整える。手足に保護魔術をかけなおし、外套をきっちりと着込み、武器を手にとた。

 彼の武器は回転式の魔術銃だった。

 弾には属性の付与された魔力が入っており、発射の際に重心に刻まれた文言が詠唱のかわりとなって魔術を発射するのだ。前半の文字が刻まれたハンマーが、弾の後ろにある後半の文字を叩き、飛翔の詠唱を完成させ、砲身から魔力を押し出す。今まで何度もこの武器に命を救われてきた。

 寒さで自由にならない指で、昨日清掃は済ませた。

 この寒さでハンマー部と唱雷管の間に氷でもあれば使い物にならないかと思っていたが、そのようなことも無かった。

 込めた弾には熱、光系の術式をセットしている。

 正直、魔術銃は値段のわりには威力が低い。だが、魔術の適性がほとんど無いニイにとってはこれ以上の火力は自分では生み出せない。

 威力の低さは詠唱が発射のみという早さでカバーするしかないのだ。惜しむらくは、一発が高級すぎるということぐらいか。

 命綱ともいえるそれを、腰のホルダーへいれ、きっちりと止めた。



 先に古代生物を観察するべきか。

 老婆に教わった地図を元に、氷原を雪狼のソリで移動する。今のところイリスの目撃情報は全く無い。

 

 それにしても、不気味なほど生命の気配を感じない。

 氷と、アイスブルーの空ばかりが続いていた。相変わらず精霊種の気配も無い。


 ソリから降り、荷物から地質調査用の道具を出す。地面の属性を測定するものだ。普通に考えると氷、水以外は反応しないはずだ。しかし、万が一それ以外の精霊種がいれば、それにも反応を示すはずである。見た目は虫眼鏡のような形状をしているが、光を吸い取り、本来の属性を色で表示するというグラスだ。周りの金属部はあっという間に冷気で白く濁る。

 名目上とはいえ、古代生物の調査に来たにも拘らず、集落を離れれば生命の気配自体を感じないのはどういうことだろうか。

「……何もいないんじゃ、調査の意味が無い」

 ぼやきながらも薄いガラスを覗き込む。

 表示されているのは一面の薄青だった。水属性を示す表示ばかりだ。

 ためしに空を覗いてみたところ、風属性、水属性、そして弱弱しいながらの光属性の色が現れた。

「順当な結果だな」

見た目どおりのそれに、ニイは諦めて片付ける。あの精霊種の色も見てみたいが、おそらくあれも、見た目どおりの結果に終わるだろうと予測している。つまり、水、だ。

 冒険者の手記であれば、このあたりで虹とやらを見たはずだが……何も無かった。

 

 別の手を打つべきかと顎に手をやり、しばらく考えた。

 ソリの雪狼が動かないニイをみて、退屈そうに寝そべっている。


 そのとき。


 雪狼が全身の毛を逆立てて、跳ね起きた。

 大気にチリッとした緊張感が雑じる。


「これは……」


 土地が、緊張をしている。

 それは、この土地の主とも言える精霊主に、何らかの異変が起こったというしるしでもあった。土地と精霊種は繋がっているのだ。

 

 ニイは荷物を乱暴に片付け、雪狼のソリに飛び乗る。

 方角は分かっている、そちらへソリを向け、すぐさま駆けはじめた。

 頭の中を警鐘が鳴っている。

 腰に手をやり、冷たい金属の手触りを確かめてから、ぎり、と唇を噛締めた。 

  

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