土から海。そして東北タイへ
私の息子は、中学生のあるときから私だけではなく妻とも口を閉ざし、仲の良かった私の父親の畑にも行かなくなった。その原因もわからぬまま、ただ時だけが過ぎた。好きな酒は逃げるための道具になり、妻ともぎくしゃくした関係が続いた。
息子が高校三年になり、その行先を案じ、酒をほとんど飲まなくなった妻が、夕食時に缶ビールを片手に、私のそばに寄ってきた。そのとき、リビングの扉の音が、ビールを開栓する音を打ち消した。
「神奈川にある大学を受験しようと思うんだけど、いいかなあ……」
息子は椅子にも座らず、いきなりその口を開いた。震え声ではあったが、しばらく見ることが出来なかった息子のきらびやかな目を妻と私は見過ごさなかった。
「もちろんだよ」
妻と言葉が重なった。
その息子が無事に大学を卒業し、ここ山形に帰ってくると、私と妻に素敵なプレゼントを用意してくれた。
「感染症のこともあったけど、この四年間、一度も帰ってこなくてごめんなさい。家族が嫌いになったわけではなく、弱虫の自分が嫌になって、少しでも強くなれたらと…。でも本当にありがとう。大学生活で、考えてもみなかった貴重な体験をすることが出来たんだ。その出来事を思うままに小説のように綴ってみた。恥ずかしいけど読んでみて! 南陽市文学賞に応募してみようかと思うんだ」
あずまやに還る ―東北タイ・イサーンの村へ―
片平 鉄
◆土から海へ
僕の住むアパートの二階の窓越しには海が広がっている。砂浜に行き交う人々の姿がはっきり見える。土には感じない派手さがあり、日々それなりに変容する海だが、海は土とは違って、なかなかその素顔をみせてくれない。
「三・一一のような大地震が来たら津波が怖いな」
今日、泊りに来る大学の友人、杉野昇は、ここに来る度に口にする。東日本大震災被災地の映像をテレビ画面で何度も観てはいたが、僕には海が吠え、怒りに満ちた顔になることを想像することが出来なかった。
「本当にお前は変わった奴だ。海の方が分かりやすい。土の素顔ってなんなんだ?」
この言葉もよく昇から聞かされる。
土曜日で大学もなかったので、小さな扉の冷蔵庫から缶ビールを取り出し、新玉ネギの蒸し焼きを作りながら口にした。
新玉は大家の荒井一郎さんから頂いたものだ。住み始めた頃は、大学のある横浜から離れているこの横須賀のアパートを選んだ自分を荒井さんは少しばかり警戒していたのだろう。黒縁のメガネの右側のヨロイを軽く前後に動かしながら、下からこの窓をちらちらと覗きこんでいた。
実家は山形県南陽市。爺ちゃんから届く食べきれないほどのお米や果物を荒井さんに届けているうちに、荒井さんも自身の畑で取れた野菜をおすそ分けしてくれるようになった。
小さな頃から、爺ちゃんの畑の手伝いが日課だった。友だちとたむろすることが嫌で、一人爺ちゃんの畑に遊びに行き、手伝いながらその土の香りを嗅ぐことが好きだった。ときおり近くの雑木林に似た匂いを感じることがあり、それが土の素顔だと思っていた。犬のように四つん這いになり、その匂いを嗅いでいるところを中学の同級生に幾度となく見られ、それがいじめの原因になった。爺ちゃんがいない時を見計らって、畑の土を投げられ、その土が口と目に入り込んでも涙を流すだけで、反抗出来ない自分自身をあざけり、虚無感を覚えた。以来、畑にも行かなくなり、両親とも話をしなくなった。
いらだちを抑える毎日を繰り返し、やがて高校三年になったとき、自分自身の小さな黎明期を求め、横浜の城郷大学に進学することを決意した。そして住まいはこの三浦半島の片隅を選んだ。土から逃げ、これまでに縁のなかった海に何かを求めた。
大学に入学するや否や新型の感染症が世界を席巻した。直ぐに始めた居酒屋のバイトも時短営業や休業で、スタッフの数を減らしていたので、僕は数ヶ月で辞め、三年が終わる頃までは、駅前の弁当屋で働いていた。その居酒屋のバイトで昇と出会い、僕の初めての親友となった。
今年の桜は、入学式シーズンを待てずに開花し、四月に入った頃には、既に散り始めた。その桜のシーズンを境に陽性者や死者の数は不思議と漸減し、そのニュースもめっきり減った。
この三年間、目の前にある海の向こう側にはどんな世界が広がっているのか、ただそれだけを考えていた。就職活動もしていない。経済学部に所属していたが、まったく興味が湧かず、英語を勉強することと、爺ちゃんの畑に行かなくなった頃から書いている日記だけは欠かさなかった。
隣の部屋の奥さんはフィリピン出身のチータさん。たまに部屋から出て、砂浜に横たわる大きな流木にポツリと座る僕を見つけては話しかけてくれた。チータさんは日本語が堪能だが、僕が英語を学んでいることを伝えると、ゆっくりとした英語で話しかけてくれるようになった。おかげでこの三年間で、日常会話以上の英語を話せるようになっていた。
チータさんが住むフィリピンのネグロス島は、フィリピンの中で、最も貧しい地域らしい。大学二年のある日、リモート授業がほとんどだったが、使用可能な図書館にふらりと入ると、たまたまネグロス島のことを書いた文献を見つけた。
フィリピンは約七千七百の島で形成され、チータさんの故郷であるネグロス島は、フィリピンで四番目に大きな島。それでもその大きさは新潟県とほぼ同じ面積。
一九世紀半ばにサトウキビのプランテーションがすすめられ、島の経済はサトウキビ産業に依存した。一九八〇年代、砂糖の国際価格が暴落し、農園労働者であった島に住む多くの人々が職を失い、ネグロス島に飢餓が襲った…。
スマホが鳴った。昇からだ。
「はい、もしもし」
「テツ、ごめん、まだ家だ。朝から宴会を始めたムーさんたちに誘われて一緒に飲んでいたんだ」
背後からはタイの音楽や騒がしい声が聞こえてくる。
「で、テツ、お願いがあるんだ。ムーさん以外の二人は夜勤明けで、このまま酔って寝てしまうだろうから、ムーさんだけそっちに連れて行ってもいいか? 海が観たいんだって」
「ああ、もちろん構わないけど」
昇の家の手前のアパートにはタイからの出稼ぎ者が三人で暮らしている。好奇心旺盛な昇は、直ぐにムーさんたちと友だちになった。
一時間もすると、外階段の鉄骨の音が響いた。扉を開け、二人が玄関で靴を脱いだ頃には、部屋中にタイ料理の匂いが広がった。
ムーさんは、荷物を置くやいなや窓を開けて海を眺めた。
「スンゴイな」
続いて、キのアクセントを強め、
「キレイだなー」
とムーさんが言うと、昇がニヤニヤ笑い出した。
「ムーさんは敢えてキレイと言ったけれど、タイ語でキレイは、醜い様を意味するんだ。女性の前では使っちゃダメだね」
ひと言ひと言が途切れ、文章にはなっていないようだが、昇は結構な数のタイ単語を覚え、通じ合っている。
「そうだ、せっかくだから目の前の砂浜にシートを敷いて宴会をしよう!」
三三歳になるムーさんは、もうお酒が入っているせいもあり、無邪気な笑顔を浮かべてはしゃいている。
僕が作った新玉ネギの酒蒸しやメジナの煮付けには、急遽、唐辛子をふんだんに振りかけた。他には地元の釜揚げヒジキとシラスを混ぜたおにぎりを用意した。
ムーさんは、ソムタムという青パパイヤのサラダやネームと言う豚肉やその皮を発酵させて作る酒肴、そして、ラープガイという鶏肉をミンチ状にしてハーブ等と合わせた料理を持参してきた。
シンハーと言うタイのビールは、昇が横浜の伊勢佐木町のタイスーパーで、買い溜めをしていた物だ。
「何も作っていないけど、このビールが一番重たくて高価だな!」
と恩を着せる。
昇は横浜の実家に住み、居酒屋を辞めてからは毎日のように煮干しそば屋でアルバイトをしているので、飯にも困らないし、小遣いも貯め込んでいる。
昨夜、その店主から、持病の通風が酷いから明日は臨時休業する事になった、とお詫びの電話があり、急遽僕に連絡をして来た。
暫くするとチータさんが僕たちを見つけ、
「フィリピンの庶民料理シニガンスープを飲みませんか?」
と声をかけて来たので、よろこんでいただくことにした。チータさんは足早に家に戻り、きらびやかな指輪で飾られた両手で鍋を持ってきた。リュックにはお椀と飲み物が入っていた。
「これがフィリピンビールのサンミゲールで、こっちはトゥバと言ってサトウキビを原料にしたお酒よ」
流暢な日本語で話を続けた。
「旦那はゴルフの接待で、実家のある埼玉県秩父まで行っちゃったの」
旦那さんは大手の商社に勤め、今は横浜の事務所に赴任しているが、チータさんを配慮し、フィリピンの友人が多い横須賀を住まいに選んだ。隣の棟にはチータさんが一番親しくしている友人がいるので、この質素なアパートに住む。
「旦那がいないから、今日の夜から明日の昼ご飯はこのスープを飲もうと、野菜やお肉をたっぷり入れて多めに作ったの。酸味のあるタマリンドという果実を調味料として使うのが特徴なのよ」
いつのまにかタイ料理通になっている昇がチータさんのその言葉に応えた。
「タマリンドはタイ料理の食材としても使いますよ。甘めの品種のタマリンドをタイストアーで買って食べたことがありますが、なんていうか、杏子みたいな味がして美味しいです」
国際的になった所に大家の荒井さんが現れた。
「お、宴会かい? テツ君の友だちともう一人は?」
「昇の友だちのムーさん。フロムタイランド!」
「おー、タイかい。もう亡くなってしまった妻と三回ほど旅行に行ったよ。バンコクとアユタヤ。三回目は南部のプーケット島にも行ったよ。タイの人は優しいよね」
メガネのヨロイをまた前後に動かしたと思ったら、目にうっすらと涙を浮かべていた。恥ずかしさを隠すために後ろ向きになったのかと思いきや、家に戻り、茹でたそら豆と沖縄焼酎の泡盛を持ってきた。
「泡盛はタイ米から作られているんだよ。ムー君飲んで」
「アロイ(美味しい)。ラーオカーオとイッショ」
昇が加えた。
「今朝、僕も飲んで来たけど、タイのコメ焼酎のことをラーオカーオって言うんですよ。確かに泡盛と同じような香りがするんです」
「チョンゲーオ」
「チョンゲーオっていうのは、グラスをくっつけるという意味で、乾杯を意味します」
「タムジョーク」
とムーさんがタイ語を続けると、昇は、
「アライナ(何)?」
と聞き直した。
「ボクがすむイサーン、いなかコトバ。カンパイ」
ムーさんがネームを摘もうとしたら、昇が一人ニヤニヤ笑っている。
「共喰いだね」
タイでは、大抵、本名ではなくあだ名で呼び合う。ムーとはつまり豚のこと。
「このソムタムは辛いよ。ムーさんの住むイサーンの代表料理なんだって。青パパイヤにトマトやニンニク、唐辛子、ライム、ナムプラー(魚醤)などを混ぜ、臼の中で叩いて作るんだ。前に聞いたけど、田んぼや畑で農作業をするときは、朝、餅米を蒸して持って行き、ソムタムは火を使う必要がないから、農地の脇の休憩所で作りたてを食べるんだって言っていたよ」
チータさんがスマホからフィリピンの音楽を流し始めた。フィリピンの人たちはとても陽気で、こうした宴会には歌がつきものだ。
朝から飲んで陽気になっているムーさんは、満面に笑みをたたえて立ち上がり、両手を揺らして踊り始めた。チータさんも柔らかい腰つきで後に続く。
その後はもう全員が踊らなければならない状況が作られ、なんと荒井さんまでが、
「バンコクで観たタイ舞踊を思い出すわ」
と言って、女性のように両手をそらして楽しそうに踊り始めた。実直で黙々と畑を耕す地主として知られ、地元の会合後にスナックに行っても、一切カラオケは歌わないことで有名なのに。
釣具を片付けて帰路につく人や犬の散歩に来た夫婦、近所の子どもたちが時折こちらを意識していたことだけはうっすらと覚えているが、その後の記憶はない。
「テツ、テツ、起きろ」
昇が僕の肩を叩く。慌てて窓から昨日の宴会場辺りを見てみると、跡形もなく片付いている。そしてその向こうの波打ち際に、ムーさんが一人歩いていた。
荒井さんの自宅に飛んでいくと、荒井さんとチータさんが二人で、後片付けをしてくれたことが分かった。
「すいませんでした」
と深く頭を下げると、荒井さんはいつものように、右手で眼鏡のヨロイを上下に動かした後に、両手をそらして踊る格好をしながらニコッと微笑んだ。
「楽しかったよ」
その後、チータさんにもお礼を告げに行くと、
「まだ残っているから食べて!」
とシニガンスープを再び分けてくれた。
部屋に戻ると、ムーさんも散歩から戻ってきていた。三人は、玄関の脇に置きっぱなしのおにぎりをほおぼり、温めたシニガンスープをすすった。程よい酸味が僕たちの目を覚ましてくれた。
食べ終わり、鍋を洗ってチータさんに返しに行こうとした時、チャイムが鳴った。扉を開けると目のクリッとした愛らしいチータさんが、胸元をみせ微笑みながら、
「コムスタカ(お元気ですか)?」
とフィリピン語で挨拶をしてきたのが妙に色っぽく、僕はドキッとしてしまった。
今度はポットに入ったコーヒーを持って来てくれたので、
「チータさんも一緒にいかがですか?」
と誘った。照れ臭さのあまり僕は思いつきで、
「あ、そうだ!」
と壁に貼ってある世界地図の画鋲を外し、畳に広げて皆の視線を集中させた。
「えーっと、先ずは持ってきてもらったコーヒー、コーヒー」
コーヒーカップは二つしかなかったので、僕と昇は湯呑みで頂いた。ムーさんは用意した砂糖とミルクをこれでもか、というぐらいたっぷりと入れた。
「ここがネグロス島ですよね」
「そうよ。私の生まれ故郷。お隣は観光で有名なセブ島よ」
今度はムーさんが地図に指を刺した。
「ボクのイナカ、ウボン」
東側にはメコン河が流れ、その対岸はラオス。ムーさんは少し寂しげな顔をして、昇の顔を見た。
「もうちょっとで、ここにかえる」
「えー?」
海からの風が窓を叩いた。
「テツ、ごめん。ラーメン屋さんのバイトがあるからもう行かないと」
コーヒーを飲み干して、その日は解散した。
◆出稼ぎとは
あくる日、授業はなかったが、ムーさんのことが何故か気になり、まずは学校の図書館に向かった。ネグロス島のことを調べた頃を思い出し、タイの文献が並んでいる一角を隅々まで見ていたら、『東北タイ―イサーン―での生活』という本を見つけた。ムーさんが話していたイサーンだ。窓側の席に座り、一時間ほどその本をむさぼるように読んだ。イサーンと呼ばれる東北タイは、タイでは最も貧しい地域と言われていると記されていた。
タイの国土面積は日本の約一・四倍あり、イサーンは人口、面積ともにその三分の一を占めている。かなりの割合だ。
二十世紀中頃からタイの近代化が始まり、イサーンはその国家の青写真に巻き込まれることになる。外貨獲得を目的とした輸出指向型農業を奨めるために人々の生活の基盤になる森林が伐採され、キャッサバやサトウキビ、ゴムの木の栽培が奨励されるようになり、生態系が崩れた。大規模化された農業は、農薬や化学肥料、大型機械などの支出がかさみ、生産者価格も国際競争の中で叩かれ、そのしわ寄せは借金となって農民にのしかかっているという。ネグロスもイサーンも日本など他国に輸出するための換金作物を作っているのに、人々の生活は困窮している……。
受付でその本を借りる手続きを済ませ、昇が働いている煮干しラーメン屋さんに向かった。
「あ、テツ君! いらっしゃい。昇君はいま買い出しに行っているよ」
とマスターが勝手にビールの栓を抜き、僕の前に突き出した。グラスに注ぎそれを飲み干すと、興奮が多少和らいだ。お店がバタバタするといかつい顔を見せる時もあるマスターだが、今日は何故か少し伸びた顎髭が愛らしい。
「はい、まずは和え玉をサービスするからつまんで!」
「有難うございます」
いわゆる替え玉だが、和え玉には煮干し粉などで味付けされていて、それだけで良いアテになる。ここのラーメン屋は特徴的で、小麦ではなく国産米麺を使用している。
「新潟に住む知り合いの農家は、コメ作っても飯食えない、なんて冗談っぽく言ってはいるが、日本はコメ文化衰退の危機にあるんだよ。物価は上がっても生産者米価は三十年前よりも下がっている。農家の平均年齢はまもなく七十歳を超え、後継ぎもなく、何百万円もする農機具が壊れたら、稲作をやめる農家たちがほとんどだそうだ。日本からコメが消え、農家が消え、村が消えようとしている…。彼は仲間たちと生き残るために、三年前に米麺製造の加工場を立ち上げたんだ。それまでこの店では小麦の麺を使っていたんだが、思い切って米麺に変えたんだよ。ちょっとでも貢献したいと思ってね」
マスターの話が途切れたところで昇が戻って来た。
「オッス! 今日、ムーさんは夜勤か?」
「なんだ、テツじゃないか。俺のことを差し置いて、いきなりムーさんのことかよ」
「ごめん、ごめん」
「ムーさんは朝早くに出かけて行ったから、夕方には戻ってくると思うよ」
「今日、泊めてもらってもいいか?」
「大丈夫だよ。土日の借りを返さないと」
「そう言えばマスターは、痛風大丈夫なんですか?」
「なんでテツ君が知っているんだ?」
「臨休された土曜日に、昇がうちに泊まりに来たんですよ」
「そうか、また余計なことまで喋りやがって。ハッ、ハッ、ハッ」
「すいません…」
「はいテツ君、そば出来たよ。昇の賄いと同じものだ」
「ありがとうございます」
マスターが真剣なまなざしで再び口を開いた。
「俺の作ったこの出汁は命の賜物だ。生命の一物全体に感謝し、いただきますと言って食べてくれよな」
「はい。この細長いのはなんですか?」
「マテ貝って言うんだ。ご常連がたくさん捕って来てくれたから、今日の限定メニュー。いい出汁が出てなかなかだぞ」
ムーさんに早く会いたい気持ちからか、慌ててスープよりも先に麺を啜ってしまったので、あらためてレンゲでスープを啜った。
「アサリとはまた違った豊潤さがあり、独特な風味が最高です。香り付けに少しだけ入ったバターがいいアクセントですね」
「さすが料理上手なテツ君」
二人のどんぶりには一口のスープも残らなかった。
「ご馳走様でした。また来ます!」
「はーい、テツ君ありがとう。昇はまた明日お願いね」
昇の家は店をさらに上がった高台にある。一度荷物を昇の家に置いた後、外でムーさんの帰りを待っていると、美しい夕焼けを背景とした富士山のシルエットが現れた。
「僕を歓迎してくれているのかな」
とその風景を暫く眺めていると、
「サワディーカップ(こんにちは)」
とムーさんが手を振った。今日は仕事帰りで酔っているわけではないが、この見事な風景の前に、あの宴会の日以上に、あどけない表情を浮かべている。フジヤマは、僕ではなく、ムーさんに会いたがっていたようだ。
シルエットが消えかけ、僕たちはムーさんの部屋にお邪魔した。同居している仲間は夜勤。誰も料理をしているわけではないのに、部屋に入った途端、タイの香りが漂って来た。
二、三杯のビールを飲むと、驚いたことに、ムーさんが突然英語で話しかけてきた。
「これまで黙っていてごめん。テツがチータさんと話している時に、ついつい口から出そうになったけど、懸命に堪えたよ」
通訳が僕に代わった。
「で、でもなんで?」
「実は僕の親父は、三カ国に出稼ぎに行った経験があるんだ」
富士山のシルエットを観ていた時の陽気さは消え、かぼそい声に変った。
「最初の出稼ぎ先はサウジアラビア。そして日本、最後は台湾で二年…。日本では、最初は大阪の建設現場で働いたが、一か月働いても給料をもらえなかったんだって。その後、何か所か仕事先を転々として、落ち着いたのがこの横浜。いま日本にいる海外からの労働者は、中国やベトナムの人たちが目立つだろ? その頃はタイからの出稼ぎ者がけっこう多かったようなんだ」
「そう言えば中国語を話す人たちは、もうかなり前から街に増えていますが、最近はベトナムの人も良く見かけますね。向かいのアパートに住んでいる外国人もそうですよね?」
「僕がいま働いている車の塗装会社もほとんどがベトナムからの人たちで、向かいの人も同じ工場で働いている。実は親父もこの工場で働いていたんだ」
「え! 何年前のことですか?」
僕は、ムーさんのグラスにビールを注ぐが、興奮していた手がそのグラスを倒した。慌てて雑巾で拭いて注ぎ直した。ムーさんは仏歴を西暦に直して話しを続けた。
「サウジアラビアから帰国して暫くは村にいて、一九八九年十月に僕が生まれ、一九九〇年四月から一九九三年十一月まで日本。その半年後には台湾に行ったと聞いている」
ムーさんの声が多少震え、目に涙を浮かべた。
「親父は台湾の建設現場で事故死したんだ…。つまり僕は親父の事はほとんど知らない」
今度は昇が、三人のグラスにビールを注ぎ、それをグイっと飲み干して尋ねた。
「でもムーさんまでがなぜ出稼ぎなんですか?」
「僕が小さかった頃までは役牛として田を耕す水牛がいて、どの家も高床式の家の下は水牛の寝床になっていたんだ。父が日本から帰国するとすぐに水牛を売り、その家を取り壊して新築を建てたんだ。僕は水牛が大好きだったようで、大声で泣いて、その後は両親としばらく口を聞かなかったみたいなんだ」
タイから持ってきたと思われる藍染の布で涙を拭いた。
「僕がバンコクにある大学を卒業することが出来たのもその出稼ぎのおかげだけど」
と表情を緩めた。
「タムジョーク(乾杯)」
飲み始めて一時間も経過していないにも関わらず、やけにタイ語が懐かしく思えた。
「大学で英語も勉強して、その後は日系企業に就職したんだ。会話はずっと英語だから日本語は、この通りぜんぜん出来ないけどね。でも日本に来る前にその会社を辞めた。村に帰ろうかと思って」
「もったいないじゃないですか?」
「いや、村が好きなんだ。僕は出稼ぎとは一体何なのか、ってずっと考えてきた。村にいると現金収入が難しいので、借金を返すために出稼ぎに行く。苦労して稼いだ金で借金を返すと、今度は家を建てたり、バイクや車を買ったりする人もいる。村の人たちは、大金を稼ぐことを覚え、村の地道な生活に戻れなくなる。元々、金に頼らなくて生きていけた村の豊かさが、どんどん消えて行ってしまっている」
「日本にも出稼ぎの問題はありました。僕の爺ちゃんは、第二次世界大戦で日本が敗戦するちょっと前に生まれ、その後の高度経済成長の時代を経験しています。農林漁業から他産業へ、田舎から東京や大阪なとの都会に出稼ぎに行く人が多かった時代です。僕が中学生のとき、手伝っている畑の脇にしゃがみ、爺ちゃんが語ってくれたことがあります『出稼ぎに都会に行った人がその劣悪な環境に耐え抜いてきたからこそ、日本の発展があったことは間違いないけれど、爺ちゃんは村から人が減り、家族が離れ離れになり、日本全体が変わっていってしまうことにある怖さを感じたんだ。だから、貧乏だったけど村に残ったんだよ…』爺ちゃんが懸念したように、いま村には人が少なく、全く活気がありません」
「そして、いま都会の労働者は僕のような外国からの労働者に変わってしまったんだね」
「はい。村でも大規模な農業を営む農園では外国からの出稼ぎ労働者が働いているところもあります」
「そうなんだね。僕自身もバンコクの大学を卒業して、そのままバンコクで働いた。ただこの日本には単身赴任しているけど、同郷の妻とは、バンコクでは一緒に暮らしていたんだ。知らない親父の想いを少しでも知ることが出来たらと思い、一度だけ親父が楽しかったと言っていた日本に出稼ぎに行ってから、村に帰ろうかと決意したんだ」
「お父さんにとって日本は楽しかったのですね」
「父親からではなく、母親から聞いた話なんだ。仕事は過酷だったようだけど、この工場にいたときに僕が昇とテツに出会えたように、仲のいい日本の友だちが出来たんだって。そのことを母は毎晩のように聞かされたって言っていた。僕は日系企業で働いているのに、日本に行く機会はなかったのだけど、直属の上司が横浜出身ということが分かって、親父が横浜に出稼ぎに行っていたことを話すと盛り上がり、その上司がバンコクの日本料理屋に誘ってくれたんだ。そこで話していたら、なんとこの横浜の工場の社長と知り合いだったことが分かったんだよ」
「それは本当に奇遇ですね!」
「うん。その後、話はとんとん拍子にすすみ、僕が会社を辞めるというのに、社長に話をつないでくれたんだ。そして、そのことを知った村の親友二人は借金を抱えていたから、一緒に俺たちも連れてってくれないか、と相談を受けたんだ」
「このアパートに一緒に住んでいる二人のことですね」
「出稼ぎに疑問を感じていながら、出稼ぎを斡旋してしまったよ」
と顔をほころばせた。
「今日、二人と話せてすっきりしたよ。親父の出稼ぎがあったから、大学で英語を学べたことに複雑な思いだったんだ。バンコクの会社以外では、ほとんど使ったことはない。それに、本当は日本語をもっと勉強したかったから英語は使わないことに決めていたんだ。でも工場の仕事が忙しいことを言い訳に勉強が進まずにいた。そしたら昇の方が一所懸命にタイ語を勉強してくれて、本当に嬉しかったよ」
寂しくなるのが怖いからか、僕と昇は、ムーさんにいつ帰るかを聞けないでいると、ムーさんが口火を切った。
「感染症も収まったから八月には帰る。近日中に社長に話すよ。この部屋の二人は、借金を返すことに必死だから、彼らが残れば工場は大丈夫。こんな中途半端な気持ちで来ている僕はかえって足手まといだよ」
三人は再び乾杯をしながら、大きな笑みを浮かべた。すると昇が突飛なことを言い出した。
「ムーさんの帰国に合わせて、僕たちをムーさんの村に連れて行ってくれないか?」
「昇、僕たち二人は海外旅行に一度も行ったことがないんだよ」
「テツ、だからこそだよ。案内人付きで、タイの田舎に行けたら最高だろ」
「なに勝手なことを言っているんだよ。ムーさんに迷惑だ」
「インディートーンラップ(ウエルカム)。是非、来て! 村に行ったら僕の宝物を見せてあげるよ」
◆東北タイ・イサーンへ
出発までの二カ月はあっという間に過ぎた。
ムーさんと僕はバンコク行きの機内。昇は急遽不参加になった。出発前にムーさんの住むアパートの区画と勾配のある坂との間の段差につまずき、骨折をしてしまい、今回の旅を断念した。
昨夜はほとんど寝ることが出来ず、機内でも同様だった。目の前にある海の向こう側にはどんな世界が広がっているのか〟機内からの風景なので、まだまだ実感は湧かないが、その世界を少しずつ掴んでいるんだぞ、と自分に言い聞かせた。その風景が海から陸に変わり暫く経つと、うとうとしていたムーさんが、いつの間にか個人モニターに映る地図を見て話しかけて来た。
「テツ、間もなくだ」
「到着時間まではまだ時間がありますよ」
「いいから外を観て」
窓を開けることが出来ないから、僕のアパートの風景の勝ちだ、とつまらない優越感を持ちながら、暫く外を眺めていると、蛇のようにくにゃくにゃとした細長い褐色の何かが長く続いている。
「メコン河だよ」
「え! ムーさんの家の近くに流れているあのメコン河ですか?」
「そうだよ。僕の家は、あの雲の向こうだ」
「ここで降ろしてくれればムーさんの家はすぐなんだね」
「でもそうはいかないよな」
二人は肩をたたき合い笑った。
僕は、いつの間にか寝ていたようだ。着陸の音で目が覚めた。
その日のうちに国内線に乗り継ぎ、タイの時刻で二十時には、ウボン県の空港に着いた。
短髪で気の優しそうな奥さんのデーンさんとその兄さんのソムサックさんが、出迎えてくれた。ムーさんはデーンさんに久しぶりに会うというのにほとんど顔を合わそうとはせず、照れを隠すかのように僕の面倒をみた。
車が街中に入ると、その脇に川が流れていた。
「ムーン川だよ。流域面積はイサーンの川で一番広く、メコン河へと注ぐんだ」
僕たちはその川沿いの食堂で遅めの夕食を済ませ、村へと向かった。右手にひと際目立った建物が現れた。
「あのきらびやかな建物はなんですか?」
「あれは県庁だよ」
その明かりを最後に電灯が少なくなり、真っ暗な道だけが残った。
あくる日の朝、ニワトリの鳴き声で目が覚めた。ちょっと肌寒いぐらいだった。部屋の扉を開けると、目の前にはソムサックさんの荷台付きの日本製の四輪駆動が止まっていた。
周囲の家は、高床式やその下をレンガの壁で囲っている家もあった。ムーさんの家だけがやけに立派だった。
家の脇には、デーンさんとソムサックさんともう一人女性がいた。あ、ムーさんのお母さんだ。昨夜、村到着後に、既に挨拶していたことを思い出し、再び両手を合わせた。
水浴びをしてからお粥を頂いていると、物珍しそうに、村の人たちが僕の周りに集まってきた。本来であれば、ムーさんの帰国を祝う日であるにもかかわらず、外国人の僕がそれを邪魔してしまっている。
ムーさんがそっと僕の背に触れ、耳元で小さく呟いた。
「村には帰りたくて仕方がなかったんだけど、やっぱり久しぶりに帰るということは、緊張するものなんだ。カミさんともまだろくに話をしていないよ。あの日、昇が僕の帰国に合わせて一緒に行ってもいいか、って言ってくれた時は、正直その気持ちが嬉しかっただけではなく、僕の照れを隠すのにもちょうどいいかもな、なんて勝手に思っていたんだ」
集まって来た人たちを差し置いて、ムーさんは僕を村の端まで連れていった。
「こんなに広い大地なのに、家々が密集し、この外を見てみると家は一軒もなく、田んぼや畑が一面に広がっているだろ」
「はい、確かに」
「昔は、このあたりだけではなく、イサーンの人々の生活は森と共に成り立っていたんだ。森は資源の宝庫だったが、常に危険と隣り合わせ。野獣たちから身を守らなければならなかったこともあり、家々を密接させて団結していたんだよ。テツ、あの大きな雲の右端の下に、少しだけ木々が見えるだろ。あそこがうちの農園で、今日の宴会場だ。一番右の木がタマリンドの木だよ」
お寺の向こうの農道にたくさんの荷物を背負いこんだソムサックさんの車の姿が見え、農園に向かって走っていた。
「見てもらいたいと言っていた宝物も農園にあるんだ。僕たち二人は散歩がてらこの寺を抜けて、歩いて向かおう」
ムーさんは、お寺の本堂ではなく、敷地の左寄りにある休憩所のような建物に目を向けた。
「この建物の事、覚えておいてね」
「あ、はい」
ムーさんの農園に着くと、何人かの男女が既に料理の準備をしている。男たちは、魚の頭を包丁の背でたたいて絞めていた。
「ナマズだよ。そこにある農園の池で養殖しているんだよ。テツ、そして、その脇に建っているのが、僕の宝物〝あずまや〟だ」
その建物には壁はなく、茅のような草で敷かれた屋根が四本の柱で支えられていた。右奥の柱には何本かの細い竹が結ばれ、そこに瓢箪や魚籠、投げ網などが几帳面にまとめて下げられていた。
「村々の中心には、サーラーと言われるあずまやがあり、村の人たちの憩いの場であり、会議場にもなった。親戚以外の来客があったときは、宿泊所の役割も担ってきた。お寺にもあり、それがさっき見た建物。僕が小学校の時に、村の中心のサーラーが取り壊されて、新しい公民館が出来ることになったんだけど、僕は子どもたちのたまり場にもなっていたその古めかしいサーラーが大好きだった。そしたら爺ちゃんが、これは村で決まってしまったことだから仕方がない。代わりに田んぼの脇にムーのためのサーラーを作ってあげるよ、と約束してくれたんだ。元々田んぼには“ティヤンナー”というこのサーラーと同じような役割を持つ、昼食をとったり休憩したりする場所があったのだけど、ちょうどその小屋がボロボロになっていたので、それを取り壊して、村にあったのと同じようなデザインのこのサーラーを建ててくれたんだ。もちろん僕も手伝った。爺ちゃんは、ここで色んなことを教えてくれたよ。魚や虫の取り方だけではなく、そこにぶら下がっているような道具の作り方もね。大学に行って新しいことを学ぶことが出来たけど、爺ちゃんから教わったことに比べるとなんか薄っぺらに感じちゃって」
山形の爺ちゃんを思い出す。
「僕の爺ちゃんも農作業だけでなく、釣りや簡単な大工作業も教えてくれました。婆ちゃんからは料理も教わりました」
今日の進行役はソムサック義兄。僕たちのためにわざわざ村長も駆けつけ、その挨拶から始まった。
しばらくするとバイシースークワンという、良き魂を呼び起こすイサーンやラオスの伝統行事が始まり、村の長老と村長が僕とムーさんを囲み、手首に白い糸を結んでくれた。その後も村の人たちが次々にその糸を巻き付けてくれた。ムーさんのこれからの発展と僕の旅の安全を願ってくれた。
サーラーの前のゴザには料理が並べられ、海を前にした宴会を彷彿させる匂いが漂っていた。青パパイヤのサラダからは、あの時よりも強烈な匂いを感じる。
「プラーデックという魚の塩辛や塩漬けの沢蟹が入っているんだよ。これが本物のソムタム。そして、ビニールに包まれていた豚肉のネームはこの葉っぱの中。確かあの時はニワトリのラープだったと思うが、今日はナマズのラープ」
もち米を片手で丸め、おかずを漬けて食べるイサーンの食事スタイルは、既に日本で経験していた。 米焼酎のラーオカーオでほろ酔い気分のところにムーさんが話しかけてきた。
「昨夜、町で見たきらびやかな県庁のことをサーラー・クラング・チェンワット(県の中心のあずまや)って言うんだ」
小声に変わった。
「きらびやかな県庁、父親が出稼ぎで建てた家、ソムサック兄貴の立派な車よりもこのサーラーが一番好きなんだ。もう少し落ち着いたら、僕はこのサーラーの脇に小さな家を建ててデーンと一緒に住むつもりなんだ」
◆生きるための農業
二週間の旅行もあっという間にその半分が過ぎた。
「テツ、ごめんな。せっかく旅行で来ているのに、僕の村ばかりにずっといて、農作業まで手伝わさせちゃって」
「いえいえ、毎日が新鮮で、同じ場所にいたなんて意識は全くないです。爺ちゃんの影響で、農作業が大好きなんで、興味津々、夢中になっちゃいました」
「僕が勝手に師匠としているウトンさんがここから約五〇キロ離れた隣県に住んでいる。明日、そこに行こう。彼は日本の農民たちとの交流を長く続けていて、僕が日本にいたときにもウトンさんは山形を訪れ、僕も同行させてもらったこともあるよ」
「え! 山形は僕の故郷ですよ」
「テツは山形県出身なんだ。それは偶然だ」
次の日、ムーさんが運転するバイクでその村に向かった。途中、昼食をとった以外は休みなく、ゆるやかな起伏のある台地を走り続けたが、目的地が近くになると勾配のある登り坂になった。これを超えたところにウトンさんの村があるという。
下り坂の向こうにお寺が見えた。ウトンさんは、そこで僕たちを待ち構えていた。
「ムー、元気か? 日本で会ってからもう一年は経っているよな。隣の子がテツ君だね」
「はい。サワディーカップ」
と二人は手を合わせて挨拶すると、ウトンさんは日本語で、
「コンニチハ。オゲンキデスカ。モシモシ?」
と一人ゲラゲラと笑った。ヒョロっとした身体で、口髭が品格を感じさせ、哲学者のような容姿だ。
昨日、この辺りに大雨が降り、土がぬかるんでいたので、バイクを寺に置いた。村はこのお寺の前の三叉路を左に行くが、ウトンさんは、農地の中に家を建てて暮らしているので、僕たちは右の道を歩いた。
田んぼの脇をしばらく歩くと、木々が増えてきた。もうここが既にウトンさんの農地のようだ。彼はかなりせっかちのようだ。左手には小枝を持ち、ぐるぐる回しながら足早に歩きながら話を始めた。
「この辺りは元々豊かな森だったんだ。今から約六〇年前に伐採され、換金作物が植えられるようになった」
ムーさんが慌てて英語に訳してくれている。
「サトウキビとかキャッサバですよね。大学の図書館でイサーンに関する本を見つけて読んできました。ここまで来る途中もそれらしき作物がだだっ広く植えられていました」
「それなら手っ取り早い。この僕の農地は真逆の発想で、昔あった生態系を蘇らせ、持続可能な生活を取り戻すことを目指している。この農法を複合農業とか森林農業、自然農業って、僕たちはよんでいる。五月ぐらいから約半年間雨期が続き、残りの半年は雨が降らず、干ばつが起こる。その乾期にも多種多様な野菜や果樹を育てられるよう、あそこに見える池で水を確保する。また、池で飼っている魚は、家族の重要なたんぱく源になる。換金作物を作っても借金を抱えてしまう現実があるなら、収入を増やすことばかりを考えるのではなく、まずは自分たちの食べ物を確保し、支出も減らしていく。これを〝生きるための農業〟とも言うんだ」
ウトンさんは僕の肩をたたき、話を続けた。
「この農園の池は小さな機械を使って苦労して掘ったんだけどね、昔の先人たちは、そんなもんではなく、鍬だけを頼りに黙々と農地に穴を掘り始めたんだ。村に電気が敷かれ、換金作物でお金が入り、明るい未来がやってくる、ともてはやされている時代に。その変わり者たちは、自分たちが食べる分の米だけは作り、わずかに残された自然からおかずとなる食材を探し、あとはひたすら鍬を握った。一般の農家の換金作物は換借金作物になっちまったことを考えると、強い信念を持った先見性があったんだよな」
野菜畑の土の上には刈り取った雑草が敷かれていた。
「これはマルチって言って、強い日光や激しい雨をやわらげるだけではなく、雑草が生えるのを抑え、有益な微生物や虫の住処にもなり、小さな生態系を作り上げてくれるんだ」
爺ちゃんの畑と一緒だ。
雨期真最中で、池の水は奥の田んぼにまで溢れ出ている。
「池のお魚たちが田んぼにも入り込み、稲に栄養分を供給してくれるんだ」
池の脇には錆びついた自転車が固定されていた。ウトンさんは左手の小枝を投げ捨て、その自転車に乗って漕ぎ始めた。そのとたん、畑の脇にあるパイプの所々の小さな穴から、池から吸い上げられた水が出て畑に撒かれた。
「凄い! なんだが興奮して来ました。いま大学では、言葉遊びのようにSDGs(持続可能な開発目標)という単語が飛び交っていますが、全く興味が持てなかったんですよ。でも、ウトンさんから発する言葉は、うわべだけの派手なSDGsではなく、質素な、本物のSDGs、最先端な考え方です」
足元にニワトリが近づいて来た。
「これは今晩の俺たちの飯だ」
ウトンさんは愉しげにほほ笑んだかと思いきや、サーっと左手でその鶏の足を掴んだ。
母屋に近づくと、鶏の羽を広げられないように交互にして、足を紐で結んだ。首の毛をむしった箇所に包丁をあて、流れ出る血を器にたらした。
鶏は寂しそうに眼を瞑った。
階段から女性が降りて来た。
「オクサン、プラニー」
ウトンさんの奥さんのようだ。小柄で目が丸く、赤みがかった頬っぺたが印象的だ。二人の子どもは結婚して、別の村に住んでいるという。
水浴びをして少し休んでいると、ウトンさんが、なにやら目の前にある壺の中の液体をすくった。
「サケ、サケ」
ドブロクだ。甘酒のようだが、確実にアルコールを感じる。そのまま食事となった。ウトンさんは、もち米を手で丸めて、何かの料理と一緒にムシャムシャと食べ始めた。
「この漬け汁には炒って細かくしたタガメが入っているんだ」
ムーさんが説明してくれた。メインのトムヤムスープには先ほどの鶏が丸ごと入っている。頭はもちろんのこと、器に垂らした血も全て。調味料となっているレモングラスやコブミカンの葉、生姜などは、全て農園で取れたもの。そしてナムプラー(魚醤)まで手作り。
昇が働いているラーメン屋のマスターの言葉〝生命の一物全体に感謝〟を思い起こす。
ウトンさんの雄弁が続く。
「目の前の命を頂くことは、その生き物の悲しみを味わうことになる。でもな、見えない地域の資源ばかりを摂取すると、それは資源の奪い合いになり、やがて戦争につながり、人の命までも奪うことになるんだよ」
ウトンさんの眼光が僕に突き刺さる。
「テツ君は山形出身なんだってな。ムーから聞いたよ」
「はい、ウトンさんが山形の農民たちと交流があることも聞いております」
「この言葉を聞いたことあるか? 何年か前にケンさんという友人に書いてもらったものだよ」
ウトンさんが手にした色紙には“身土不二”という四字熟語が、大胆に書かれていた。
「初めて聞く言葉です」
「ケンさんから教えてもらったんだけど〝SHIN〟は身体を意味し、〝DO〟は土、〝FU〟は不、〝JI〟は二つを意味する。人の身体と土は一つで、二つに分けることが出来ないということだ。微生物がこの二つを結び付けている。つまり、自分が住む地域の資源で作られた食べ物を摂取していれば、健康が保たれるということだ。テツ君はタイに来てお腹の調子はどうだい?」
「タイに着いてから、数日たったときにちょっとだけ下痢になりました」
「俺は何度か日本に行っているが、やっぱりタイにいる時より、お腹の調子が悪くなるよ。体内の微生物が日本の微生物に会ってびっくりしてしまうんだな」
笑いながら、またドブロクを口にした。
「小さい頃、おばあちゃんもよく三里四方の食べ物が一番身体に合うんだよ、って教えてくれました。だから僕が神奈川に行くって言ったら、食べ物のことを凄く心配してくれて、その影響で一人暮らししても、家の近くの直売所で、野菜や魚介類を購入して、自分で作るようにしています」
「日本に帰ったら、ケンさんに会いに行ってよな。長井市に住んでいる」
「実家のそばなので、絶対に行きます!」
◆希望
あっという間に二週間が終わろうとしている。
出発前日の夜明け前、ムーさんがバイクをメコン河に向けて走らせた。対岸はラオス。水墨画で描かれたような山々が連なっている。悠々と流れるメコン河に、朝日か生んだコントラストが加わり、神秘的な光景が創られている。
「ラオスとイサーンに流れる川の全てはこのメコン河に辿り着くんだ。人は水を頼りに生きている。テツが海の直ぐそばに住んでいる理由もよくわかるよ。僕もこのメコンを見ると、心が落ち着くんだ。テツは卒業したらどうするんだ」
ムーさんが、予想通りの問いを投げかけて来たので、僕は即答した。
「山形の実家に帰ってあずまやを建て、生きるための農業を始めます」
「え?」
「大学生活の最後に、こんな素晴らしい体験が出来るなんて夢にも思ってなかったです。いつも目の前の海の向こうには何があるか、なんて考えていたけれど、それは単なる逃げの気持ち。逃げてばかりいても何も生まれない。山形に帰って建てるあずまやが僕の帰る場所です」
ムーさんは目の前の神々しいメコン河を細目で見つめて沈黙した。その顔は確実に僕のその言葉を歓迎してくれていた。
次の日、ソムサックさんやデーンさんたちとは村で別れ、ムーさん一人がウボン駅まで見送りに来てくれた。バンコクまでは寝台車で向かうことにした。
「山形に帰ってあずまやを建てたら、写真を送ってよな。こっちの生活が落ち着いたら、僕もまた日本に遊びに行くよ」
「僕のあずまやで宴会をしましょう」
「チョークディー(幸運を!)」
ムーさんは笑顔で、必要以上に大きく手を振ってくれた。
列車は予定より一〇分遅れてゆっくりと動き始めた。夕食はこの席でも注文出来るが、両替したバーツをほとんど使っていなかったので、ちょっと贅沢に食堂車へと向かった。
グラスに注いだビールに口をつけると、ようやく旅をしているという実感が湧いて来た。明日には日本に帰るというのに。
ムーさんとのひとときは、夢とうつつを行ったり来たりしているかのように思えたが、全てがこの地球上の現実だった。
トムヤムスープを注文したが、口に入れたとたんに後悔した。人工的に作られた味なのだ。ウトンさんの家で食べた地鶏のトムヤムスープが既に懐かしい。
暫く車窓に広がる夕焼けを眺め、山形の実家の風景と重ね合わせていた。
外が真っ暗になって来たので席のある車両に戻ると、鉄道員がバタバタと椅子を寝かせてシーツを敷き、ビニールに包まれた掛け布団と枕を次々に置いていった。今晩の寝床だ。
案外と寝心地が良く、こんこんと眠った。
◆平盃
間もなく新しい年がやって来る。
昇は、親の反対を押し切り、来年の四月から煮干しそば屋に就職することになった。卒業旅行として、ムーさんに会いに行く準備をしている。僕も誘われたが断った。
隣の部屋のチータさんは、秩父の旦那さんの実家に引っ越していった。チータさんとはこの四年間、たくさんの事を話したけれど、チータさんがなぜ日本に来たのか、旦那さんとはどこで知り合ったのかは、結局聞くことが出来なかったし、本人もそのことには触れなかった。屈託のない笑顔を見せる反面、遠くを見つめるような目で海を眺めている時は、寂寥感に苛まれているようで、今もそのことが気がかりでいる。
僕は、大家の荒井さんと一緒に居酒屋のカウンターに座っている。荒井さんが、二人だけの忘年会に誘ってくれたのだ。
「卒業したら、本当に山形に帰るのか?」
「はい、いきなり農業だけでは生きていけないと思うので、町外れの工場の食堂で働きながら、少しずつ生計を立てていきます」
荒井さんに勧められた純米酒の燗酒がやけに口にあう。このシコゴマ漬けというアテも美味い。地元で取れたシコイワシを酢で締め、ゴマ、生姜、一味で漬け込んでいるという。
「テツ君がタイから帰ってきて、あずまやの話を聞いた時は、ジーンときたよ。そして自分が責められているような気になった」
「どういうことですか?」
「私は農業から逃げた。今でも畑にいる時が一番ホッとするが、以前は田んぼもやっていた。ほとんどの農地を捨て、アパート経営で家族を養った。正しかったかどうかはわからないが、二人の子どもたちも幸せな家庭を築いているようだから、それはそれで良かったと思う」
「僕の家は、じいちゃんの世代まで、農業だけでなんとか食い繋いで来ましたが、親父は農業を継がず、役場で働いています。両親は僕に公務員かサラリーマンになってもらいたかったようですが、山形に帰る、って言ったら、爺ちゃん、婆ちゃんも喜んでくれるぞ、って承諾してくれました」
「そんな信念の固まったテツ君になんのアドバイスも出来ないが、一言だけいいか? もう一口このお酒を飲んでみてくれ」
僕は平盃に注がれたその日本酒の燗酒をじっくりと味わった。
「香りや甘さだけが際立つお酒は、それだけで完結。言い換えればそれ以上のものでもない。でもこのお酒にほのかな酸味を感じないか? 様々な旨みの中でこの酸味がとても大事になる。人間の背骨にあたるな。この酸味がしっかりしていないとふにゃふにゃになり、その個性が台無しになるんだ。甘ったれた人間には誰も魅力を感じない。しかし、しっかりとした背骨を持った人には、人が集まる。テツ君が求めるあずまやもそういうものじゃないか?」
照れ笑いしながら、目の前の一枚板のカウンターをゆっくりと撫でていたら、荒井さんがまたメガネのヨロイを触ろうとしていたので、僕は、そのしぐさを邪魔し、乾杯を求めた。
「タムジョーク!」
息子が戻り四年の月日が経った。父の畑の半分を譲り受けて野菜作りを始め、田んぼは父と共同作業。私も週末は手伝っている。畑の前にはムーさんと約束した小さなあずまやを建て、そこで野菜を販売し、自身が働く工場の食堂にも出荷している。来年からは、長井市のケンさんという方から教わった平飼いの養鶏も始めると意気込んでいる。
『あずまやに還る』は、いくつかの入選作でまとめられた冊子になって市の図書館に置かれている。
たくましくなって帰ってきた息子。その巣立っていく姿をこんなにも近くで見ることが出来るなんて、この上ない幸せだ。
明日、ムー君と昇君が遊びに来るという。




