5.炎を囲みながら
炎を起こす間、カリスは口を開きもしなかった。けれど、闇夜に紛れてしまうことはなく、常に私から一定の距離を保った場所に居座り続けていた。
私を導く者の正体に気付いた彼女は、これから先も私への監視を緩める気はないのだろう。だが、そんなカリスを必要以上に警戒する気にはなれなかった。
情が移ったとはこのことだろうか。
出来るならば、私はカリスと刃を交えたくなかった。ただの魔物としか思わなかった当初の感覚なんて戻ってはこないのだから。
炎を起こすと、カリスは少しだけその揺らめきを目にした。
だが、やはり何も言わずに寝そべっただけだった。何かを考えているのだろうか。ただ時間を過ごしているだけというわけではないようだ。
聖獣と巫女への危害を懸念した狼。
カリスはきっとこの世に暮らす殆どの生き物と同じく、聖獣への忠誠を誓い、その神聖さを讃える者の一人なのだろう。
だからこそ、私が悪魔の指示に従っている事を恐れている。
「これからも、お前はついて来るつもりか?」
私のふとした問いに、カリスの目がちらりとこちらを向いた。
「知ってどうする」
拒むような声と眼差し。それはむしろ、正しい答えを自白しているようなものだった。
「どうもしない。ただ気になっただけだ」
私は答え、さらにカリスに訊ねた。
「私が悪魔とやらを連れて聖獣の元へ礼拝するのを恐れているのだろう?」
「まっとうな生き物として当然の事だ」
「お前には分かるのか? グリフォスがどんな性質を持っているのか」
「分からずに従っているのか?」
「さあね」
私は答えつつ再び問いを返す。
「でも、お前はどうなんだ?」
「奴は欲望の為に海巫女を喰い物として狙っていた。それを私は知っている。だから、お前に関わって欲しくないんだ」
強く諭す様な口調で、カリスは言った。
「知っている?」
私は透かさず追求する。
「どうして、知っているんだ?」
「それは言えない」
カリスは即答した。
「だが、お前に伝えておこう。悪魔の目論見は失敗に終わる。そう神々が定めているからだ。鍵となるのは《赤い花》。お前を導くあの悪魔が恐れる存在。その性で私を絶望に陥れたように、お前の希望も打ち砕いてしまうことだろう」
「《赤い花》……」
その言葉を反芻し、私はふとカリスがかつて語ったアマリリスという女の話を思い出した。珍しい心臓を持つ魔女。人狼にとっては恐ろしい魔女。魔女狩りの剣士にとってはひと目でいいから見てみたいとも思う珍種。
その《赤い花》が鍵。
「それは、お前が温めているという《赤い花》のことか?」
私の問いにカリスは口を閉ざす。
ただ目だけはしっかりと私を見ていた。
「お前が手に入れようとする憎き女のことか?」
見えない心を掴むように問いかける。しかし、私を見つめ返すカリスの心は鉄のように固く、氷のように冷たいものになっているようだ。
「そうだとしたら、どうする?」
カリスの問いに、私は目を伏せた。
悪魔の目論見を打ち砕く存在。それは、グリフォスが私に力を貸せないという事になる。もしもそれでミールを取り戻せないとなれば、私は恐らくその《赤い花》を心底恨む事になるだろう。
「その時は、魔女狩りの剣士に戻るだけの事だ」
怒りに任せ、剣に物を言わせれば、珍しい《赤い花》をお目にかかる事になるだろう。
「やはりそうか」
カリスは納得する。
「グリフォスがお前を選んだのは、お前が悲劇に見舞われ、心も壊れかけてしまった孤独な剣士だったからなのだろうな」
そう言って、カリスは獣の目のまま私を見据えた。控えめに燃え続ける炎の向こう側に、美しい女の姿がぼやけた状態で見える。
「巫女と神獣の安全を侵してはいけない」
カリスは言った。
「お前の為に忠告させてもらうぞ。悪魔を連れこみ、ジズと空巫女を危険に曝すようなことになれば、お前はむしろミールから遠退くかもしれないのだぞ」
「遠退く?」
問い返すと、カリスは深く頷いた。
「ジズは我々魔物たちの主。もしも我らがこの世の則を犯すような真似をすれば、すぐに天罰が下る事になっている。だから、どんなに荒くれた魔物でさえも、ジズの神殿を犯す様な事はしないのだ」
その目は純粋に煌めいていた。
空の聖獣を崇拝し、その力を根底より信じている証拠なのだろう。
「ジズを怒らせてはいけない」
念を押すようにカリスは言った。
「お前の為だ、人間。ジズの怒りを買って巻き込まれるお前を見たくないのだ。天罰が下るのは悪魔だけで十分。義弟を諦められないならば、石化を解く方法がこの世の何処かに眠っているかもしれないじゃないか」
強く諭すようにカリスは言う。
けれど、そんな姿を見ても、私の心は少しも動かされなかった。
「悪いが、説得しても無駄だ」
炎の温かみを感じながら、私はカリスに視線を返した。
「もう決めたことだ」
その視線と言葉で十分伝わったのだろう。カリスは悲しそうな表情を隠すことなく浮かべると、そのまま目を逸らしてしまった。
その姿にすら、私は痛みの一つも感じやしなかった。