2.塵の中の説教
話。それが何なのかは大体想像がついた。
このタイミングで現れたのだから、塵が降る直前だって私の事を見ていたのだろう。塵が降るまで共に居た女。そして、今も恐らくこの近くに潜んでいる女。彼女の気配を探るように、カリスは少しだけ周囲を窺う。
「あの女は誰だ?」
カリスに短く問われ、私は口を閉ざした。
答えられないのは塵のせいにしておきたい。だが、そうもいかないらしく、黙っているうちにカリスのきつい眼差しが再びこちらを睨みつけてきた。
「答えられないのか?」
そう問いただし、私の目を覗きこむ。人間と全く変わらない姿をしているのに、その仕草はまさに獣そのもののようだった。
「ならば、私が当ててやるよ」
カリスはそう言って、眉をひそめる。
「グリフォス。そう言う名前なのだろう?」
グリフォス。その名を耳にし、私の身体から力が抜けていった。
間違いなかった。グリフォスというのが、彼女の名乗った名前だ。けれど、私はそのグリフォスに違う名前を重ねてしまっていた。
彼女は似ているのだ。いや、似ているという言葉では足りない。そのものであると言った方がいいほど、彼女は似ているのだ。
「――サファイア」
私がそう呟いたため、カリスは目を見開いた。
しかしそうしたのも束の間、カリスはすぐに私の胸倉をつかみ、乱暴に引き寄せた。美しい女の容姿からは想像もできない程の力に、私は少しだけ苦痛を感じた。
だが、それを顕わにする気にはなれなかった。
「人間、もしやお前、あの悪魔に死んだ恋人の面影を重ねているのか?」
そう問われ、私は押し黙った。安直に頷けなかった。重ねているも何も、そのものと言いたいほどなのだから。
黙ったままの私を前に、カリスは牙を剥くように顔を歪めた。
そんな彼女に、私は答えた。
「似ているんだ」
口にした途端、カリスの表情が更に歪められた。
「サファイアによく似ているんだ」
「似ているからなんだ」
カリスの脅す様な声が静寂なはずの塵の世界で響く。悪臭も重なり、その威勢に対抗する気力が保てそうにない。
「よく聞け、人間。あれは悪魔だ。人間の身体を借りただけの悪魔なんだ。あれが起こそうとしているのはこの世の破滅に等しい事。私があの憎き《赤い花》を断腸の思いで諦めることを全て無駄にしようとしている、私にとっても最悪の敵なんだ」
最悪の敵。
そんな事は、分かっていた。
「あの女に巡礼を唆されたのか? そうなんだな?」
乱暴に問いただされ、私は静かに答えた。
「ああ、そうだ」
悪臭を堪えつつ、私はカリスに言った。
「ミールを取り戻す為の巡礼を教えてくれたのは彼女、グリフォスで間違いない。お前にとって悪魔であっても、私にとっては単なる案内人に過ぎない。お前が何と言おうと、巡礼は止めない」
「巡礼を止めさせたいのではない」
イリスは答えた。
「あの女に従うのを止めて欲しいんだ。グリフォスの言葉に従えば、必ずよくないことが起きるぞ。人間、これはお前の為でもあるんだ」
「……私の為?」
笑おうとしたが、悪臭がひどくて笑えない。だが、私の内心が伝わったのか、カリスは更に険しい顔をした。
「真面目に聞け。お前の為というのは本当だ。いかに人間を騙す我々でも、嘘を吐かぬ時というものは弁えているつもりだ」
その狼の必死さは痛いほどに伝わってきた。誇り高く人間を見下す人狼が哀れなものだ。だが、それほどまでに言われても、やはり私の心は少しも動かされなかった。
「悪いが、カリス。どう説得しても、私の意思は変わらない」
はっきりとそう言うと、カリスは戸惑いを見せた。頑なな心のせいだろう。
しばし口籠り、何か言葉を模索していたが、やがて掴んでいた私の胸倉から手を離していった。それとほぼ同時に、塵が止み、辺りにて当り前の景色が戻ってきた。
見上げた先にあるのは、白と黒の世界ではなく、月と星の輝く夜空。その下で、カリスは私を悲しそうに見つめていた。
「そんな顔をするな」
私はカリスに言った。
「不服なら、私を殺せばいい。殺されたとしても、私の意思は変わらない」
「――そんな事はしない」
カリスは力なく言った。
私の言葉に傷つきでもしたのだろうか。しかし、不可解だった。人狼であるはずの彼女が、人間でしかない私の一言動にここまで悲しそうな表情を見せるなんて。
カリスは私から目を逸らし、その場に座り込んだ。
「あの女を信用するな……」
勢いを失ったまま、カリスは再び言った。
「どんなに辛かろうと、恐ろしい力を持つ悪魔に頼ってはいけない」
「カリス」
名を呼ぶと、カリスはそっと両目を閉じた。その横顔は、まるで自分自身に何か辛いことでもあった人間のようにも見えた。
月夜の下で、私はカリスを見つめ続けた。そんな私の視線を感じつつも、彼女は私を見ようともしてくれない。
不安と怒りで怯えているのだろうか。
だが、今すぐにカリスがその場を去るという事はなさそうだった。
「しばし、私の話を聞いてくれるか」
私がそう問いかけると、カリスは無言のまま、深く頷いてくれた。