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AMARYLLIS(旧版)  作者: ねこじゃ・じぇねこ
二章 ミール
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9.人間の女

「巡礼を教えた女についてまだ聞いていない」

 夜も更けてきた頃、ぼんやりとカリスは言った。

 もう寝ついているとばかり思っていたが、見れば、彼女はしっかりと目を開けたまま、ただ空を見上げていた。

 私は溜め息混じりに答えた。

「まだ聞きたかったのか」

「別にいいだろう? 義弟の話をしてくれたのだから」

 少しの遠慮も見せないらしい。

 本当におしゃべりな狼だと思った。そもそも魔物とじっくり話すような機会なんてないものだけれど、こんな人狼が他にも存在するのだろうか。

 希有にしか思えない女人狼の顔を見つめながら、私は言った。

「――話せるほど私も知らない」

「知っていることだけでいいんだ」

 カリスは喰い下がる。

「何処で知り合い、どんな姿をしているのか。断片だけでもなんとなく知りたい」

 その言葉の端々に譲る気のない感情が見え隠れする。そのあからさまな態度に、私は思わずカリスに訊ねた。

「何故、そんなに知りたがるんだ?」

「何故、そんなに教えたがらない?」

 即座に問い返され、私は言葉に詰まった。

 あまりにも不自然に語りたがらないと思われてしまっているだろうか。それはそれで面倒なのも確かだ。

 だから、仕方がない。

 引きさがるのは私の方だった。

「教えたがらないわけじゃないさ。まあいい。彼女に出会ったのはミールを失ってすぐ後の時だ。場所は霧に包まれる城の近くだ。ミールを石にした魔女に詳しかったんだ。討伐の前に礼拝するように促してきた」

「その女の外見は?」

 躊躇いも無くカリスに問われ、私は再び言葉に詰まった。

 女の容姿が浮かび上がった瞬間、様々な思い出と言葉が想い起こされて頭が混乱してしまいそうだったからだ。

 人は死んだら戻って来ない。

 土に返った身体は甦ったりしない。

 それなのに、女の姿を見た私は、真っ先に「甦り」という伝説を思い出してしまった。古い禁忌の魔術で、死者を恋い偲ぶあまり、復活を試みた魔術師の話だ。確かに術は成功するが、甦った想い人は当人であって当人ではない。その魂もまた、別物に過ぎなかった。魔術師は失望し、甦った想い人と共に破滅の道を辿るのだ。

 死者に縋っても、悲劇しか呼び寄せない。

 それでも、私の前に現れた女を見た瞬間、私はその言葉すら忘れてしまいそうになった。

 似ていたのだ。サファイアに。いや、当人にしか思えなかった。美しい青い目も、その肌も、髪も、全てが本人のものにしか見えなかった。

 人間であって、人間ではない。

 サファイアであって、サファイアではない。

 そうは分かっていても、彼女の言葉に耳を傾けずにはいられなかった。

「美しい女だ」

 カリスに対して、私はそうとだけ答えた。

「そして、何よりも懐かしい」

 私の答えにカリスは何を想っただろう。ただじっと私の目を見つめ、内面を探るように眼を揺らしていた。

「懐かしい……」

 確認するようにカリスは呟く。

 そして、しばし己の思考へと引きこもった後、ぽつりと言葉を漏らした。

「ただの人間でしかないはずのその女が、どうして魔女の事に詳しいのだろうな」

 それは私の反応をも探っているような問いかけだった。

 だが、私を動揺させるには少しだけパンチが足りなかった。私は動じることなく、カリスに対して答えた。

「霧に包まれる城に詳しい人間は珍しくない」

 私の言葉にカリスは微かに眉を動かす。

「そこに住まう魔女についても様々な噂が流れている。何か大きなものがいることだけは皆、分かっているものだ。そこに信憑性があるかは別としてね」

「じゃあ、何故信じる? 信じたところでガセだったら無駄なだけじゃないか」

「信じざるを得ない理由があったからだよ、狼」

 狼。そう呼ぶと、心成しかカリスの表情が渋く歪んだ気がした。自分はと言うと、相変わらず私の事を「人間」としか呼ばない癖に勝手なものだ。

 そんな私の内心が顔に出たのか、カリスは私から目を背ける。

「信じざるを得ない理由?」

 低い声が夜の風にじわりと浸み込む。

「そんな理由がただの人間の女にあったのか」

「あったんだよ。少なくとも私にはね」

「気になるなあ、人間よ」

 嘲り笑うようにカリスは再び私を見つめた。

 その目は人間離れした煌めきを有し、人間であると騙らねばならないという使命感からすっかり解放されている。殆ど手に入れた獲物に対して見せるという表情がこれなのだろうと薄っすらと納得した。

「何が気になるんだ、カリス?」

 名を呼んだせいか、カリスは満足げに目を細める。

「理由とやらに決まっているじゃないか。お前にとって放っておけない理由とは一体なんだろうなあ」

「お前はどうでもいい事を気にするのだな。狼という言葉よりも野次馬という言葉の方がお似合いだ」

「どうでもいいかどうかは私が決める」

 カリスはきっぱりと言った。

 遠慮するとか、そういう気遣いを期待するのは間違っている。相手は腐っても人狼なのだ。人間の都合など考慮するわけがない。

 だが、そうは分かっていても、それ以上語る気にはなれなかった。

「悪いが、ミールの事を思い出して落ち着かなくてね」

 私は彼女に告げた。

「その事については、またいつか機会があったら話してやるよ」

 案の定、その言葉にカリスは大いに顔を歪ませた。不服を隠す気もないらしいから、きっとしつこく訊ねてくるだろう。

 そう思ったのだが、予想に反して、カリスはそれっきり口を閉ざしてしまった。

 その場を去るわけでもなく、不満を口にするわけでもなく、ただ同じ場所で、同じ空気を吸い、同じ星空の下で、同じ炎の温もりを感じながら、そこにいるだけだった。

 人狼も寂しさを覚える時があるのだろうか。

 喰おうと狙っていた相手に情が移ることもあるのだろうか。

 答えを知りたいわけでもないが、そんな疑問が私の頭の中で、ただ目的も無くもてあそばれる車輪のようにくるくると回り続けていた。

 そうしている内に時間は過ぎ、いつしか私もカリスも夜闇の向こうに広がる夢の世界へと誘われていた。


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