7.狼の仕返し
カリスの気配を追い求めて彷徨っているうちに、私達は、それなりに栄えた町へ向かう途中の林に辿り着いていた。出会うのはカリスではない人狼ばかり。
だが、欲求を満たすのに問題があるわけではなかった。
どの人狼も美しく、私の欲を満たすのには十分過ぎるほどだ。
けれど、それでも、殺しの恍惚から醒めてみれば、すぐにまたカリスの面影が頭を過ぎる。ルーナを食べようとしていた時に見たきりのあの姿を思い出して、喉が渇くような辛さを感じてしまう。
手に入れたい。あの人狼が欲しい。
それは揺らぎない欲求で、私がルーナを引き連れて放浪している最大の目的となっていた。けれど、今までの人狼とは違って、気配は途切れないくせにカリスの姿は見つけられなかった。
カリスは何処にいるのだろう。
いつも私達を見ているような気がするのに、私が捜しても出てこない。
私を見張ることで逃れられると思っているのだろうか。それとも、やはり、私に対する復讐を忘れていないのだろうか。
もしかしたら、私から逃れつつも、ルーナの事を諦めていないのかもしれない。
魔物達にとって、ルーナはこの上ないご馳走のようだ。やはり、私にとっての人狼と同じなのだろう。
だが、それだけではない。
困ったことに、ルーナはすっかり私の武器であると同時に、弱点にもなっていた。ルーナを奪われることが怖い。日が経つにつれ、私は僕を持つという事がどういう事なのかをじわじわと実感していた。
そして、この林の中で、決定的な事が起こった。
私もルーナも迫りくる脅威に気付かなかった。
気配を殺すということは、確かに人狼の得意技だ。でも、私はそれよりも人狼の気に聡いと自負していた。確かに、私と戦ったことのない人狼ならば、私にすぐ見つかってしまうだろう。
だが、相手がカリスとなれば違った。
いつも気配を漂わせているのは、わざと私を引き寄せていたからなのだろうとその時になって初めて気付かされた。
木の影よりカリスが現れた時、その直前まで私もルーナも気付けなかったのだ。
気付いた時にはもう遅く、ルーナはあっさりとカリスに捕まっていた。私は状況を忘れて少しだけ、カリスに見惚れてしまった。
だが、すぐにその魅惑から立ち直った。
ルーナの悲鳴が聞こえてきたからだ。
「やだ! 放して!」
暴れるルーナを抑え込んで、カリスは注意深く私を見つめていた。
「面と向かって会うのは久しぶりだな」
少しだけ懐かしい声が耳に届いた。
「知っているだろうけれど、ずっとお前達を見ていた。こんな下級魔物を餌に狼狩りとは、考えたものだな」
「その下級魔物をあなたも欲しがっているのでしょう?」
私が訊ねると、カリスは鼻で笑った。仕草のひとつひとつが欲求を刺激する。ルーナが囚われてなければ、今すぐにでも捕まえたいくらいだ。
高ぶる気持ちを抑えつつ、私はカリスに訊ねた。
「どうして皆、ルーナを欲しがっているのかしら?」
「さあ、何故だろうね。私が分かっている事は、このルーナとやらをお前は見捨てられないという事だけだ」
カリスが面白そうに私を見つめる。
嫌な予感が的中した。やはりずっと窺っていたのだ。私からルーナを奪い取る瞬間を。
こうなった以上、カリスは躊躇わずにやるだろう。私がクロに対して慈悲を持たなかったように、彼女もルーナに対して同情なんてしないだろう。
「アマリリス。お前に選択肢をやろう」
カリスが口を開く。
「こいつの死に方を選ばせてやるよ。もしもお前が抵抗せずに降伏すれば、こいつを苦しませないと約束する。しかし、もしも降伏しなければ、こいつは生まれてきた事を後悔する事になるだろう」
「どちらにせよ、ルーナを助けてくれるわけじゃないのね」
私が言うとカリスは笑みを浮かべた。
「当り前じゃないか。こんなに美味しそうな獲物を見逃すわけがないだろう?」
カリスの言葉に、私の顔にも笑みが浮かんだ。
「あら、あなた、私と少し似ているみたいね」
私が一歩踏み出すと、カリスの表情が変わった。
意識して抑えていないと今すぐに飛び掛かってしまいそうだ。そのくらい、私の欲求は高まっている。カリスの身体に触れて、ゆっくりと命を奪いたい。魔女としてのどうしようもない性が溢れだしそうだった。
「アマリリス……」
ふと泣きだしそうなルーナの声が聞こえ、ふと私の心に冷静さが戻った。
下手に動けばルーナを失いかねない。彼女が僕となった以上、私は彼女を守らなくてはならない。それは、人狼を殺したいという欲求と同じくらい強い使命感だった。
ルーナを助けなくては。
しかし、目の前にいるカリスを殺したい。
喉が渇いて水を欲しがるように、私の精神の根本的な部分がカリスの命を欲しがっているのだ。彼女の温もりを味わいながら、その命が終わる瞬間を感じたい。
全てを手に入れたいという欲求が、ルーナを見捨てそうになる。
けれど、僕を見捨てる事は魔女にとってこの上ない罪だ。魔女が魔女でなくなってしまうほどの禁忌でもある。
私は全身の力を抜いて、カリスに言った。
「抵抗しなければ、ルーナを苦しませずに食べるって言ったわね」
「ああ、お前の腸をゆっくりと抉ってからだ。クロの味わった苦しみを全てお前にぶつけてやる。そうしたら、ルーナは苦しませない」
「クロの味わった痛み……ねえ」
私は呟きながら、カリスの前で膝をついた。
降伏の証だ。
「そんなの、私に感じられるかしら」
カリスはそんな私を見つめている。まだ警戒しているらしい。私の行動には絶対に裏があるものと思っているのだろう。けれど、カリスが一筋縄ではいかない分、捕まえた時の快感が増大するだけのこと。
私はじっとカリスを見つめ、待ち続けた。
カリスはルーナを捕まえたまま、傍まで来ると、乱暴に私の髪を掴んだ。強く引っ張られ、しぶしぶ私はカリスを見上げた。美しさに恍惚としてしまうのは、欲求のせいだ。この欲求さえなければ、睨みの一つでも利かせられたかもしれない。
私が抵抗しない事を確認すると、カリスはルーナを手放して、私を抑えこんだ。
「最期に今まで殺してきた同胞たちへの懺悔でも聞きたいところだな」
カリスの言葉に私はくすりと笑みを漏らした。
「懺悔? あなたは今まで食べた人間達への懺悔でもするの?」
「そういえばしないな。だが、喰う前に糧になる感謝はしているぞ」
カリスの爪が私の喉に食い込む。
このまま掻っ切るなんて慈悲深い事はしないはずだ。
クロの無念を晴らしたいのなら、出来るだけ死なないような傷で追い詰め、生きたまま喰らい続けるつもりだろう。
もう片方の手が私の腹部を探っている。何処をどう捌くか、どう攻めていくか、考えているのだろう。出来るだけ、長く、苦しませながら、私を生かすにはどうしたらいいのか。
そうして最愛の人の仇を取るつもりなのだ。
「魔女の肉はまずそうだが、残さず喰ってやるから安心しろ」
耳元でカリスが囁いた。
ルーナが怯えている声がしたが、私は気にしなかった。怖くなんてなかったし、殺されるなんて思いもしない。
何故なら、カリスは既に私の術中にいるのだから。