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AMARYLLIS(旧版)  作者: ねこじゃ・じぇねこ
二章 ミール
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6.天涯孤独

「ミール……」

 私はもう一度、声をかけた。

 だが、返事はない。吐息すら感じられない。握り続けている手は急激に冷たくなっていく。最初、その姿に異変はないように感じられた。けれど、時間が経つにつれて、ミールの身体は静かに、そして急速に、時間を止めてしまったかのように動かなくなっていった。

 その目は見開かれたまま。髪もまた風に遊ばれやしない。その手からは力が抜け、どんなに強く握っても先程までのように握り返してはくれない。

「ミール……!」

 返答はない。返答する気配も無い。私の声が届いているのかも分からない。

 ミールは、石になっていた。冷凍でもされてしまったかのように、時間だけを止められてしまったかのように、動かなくなってしまっていた。

 小さく笑う声が聞こえ、私は目を見開いたまま魔女へと視線を戻した。

「何をした……」

 私の声に魔女は更に目を細める。

「ミールに、何をしたんだ……」

 答えはせずに、魔女は再び手を挙げる。

 その途端、ミールの全身が淡い光に包まれ、露のように消えてしまった。握っていた手が虚しく(くう)を掴んだ。

 ミールを奪われた。その事実を理解するのには少しだけ時間がかかった。分かった時にはもう何もかもが遅く、ただ私の耳には耳障りな笑い声が聞こえてくるばかりだった。

 今一度睨みつけると、魔女はやっと声を放った。

「安心して」

 最初は愛らしく見えたその顔立ちも、今や醜いものにしか見えない。

「これからはわたしがあの子を可愛がってあげるわ」

「化け物……」

 自然と口から漏れた言葉は、私の行動を誘発した。

 剣を持って逃げることしか考えていなかったが、ミールを失った事で恐れと緊張、そして怒りが暴走しはじめたのだ。

 気付けば私は走り出し、魔女に斬りかかっていた。

 しかし、魔女は目に捉えるのも難しい動きでそれを避け、私の背後へと移動した。人間には出来ない動き。それでも、私は怯まなかった。目の前でミールを奪った彼女に一太刀加えることしか考えられなかった。

「ミールを返せ!」

 剣の切っ先が魔女を狙う。

 けれど、魔女には届かない。

「ミールを返してくれ!」

 涙が出てきそうになった。悲しいからだろうか。いや、少し違う。怒りが治まらず、心が引き裂かれそうだった。

 たった一人の家族。サファイアの遺した義弟おとうと

 これまでずっと頑張って来られたのは、彼のためだったのだ。若く、優秀な少年の未来の為に、私は命を張って戦ってきた。

 幼い頃より教えられた正しさを信じ続けて、魔女を狩ってきたのだ。

 それなのに。それなのに――。

 私の剣を避け続けていた魔女が、突然光を放った。その光は私の腹に直撃し、耐えきれない苦痛を与えてきた。まるで鈍器で殴られたかのようだった。思わず怯み、地面に伏せる私を、魔女は冷たく眼差しと共に立ち尽くしていた。痛みをこらえつつ見上げてみると、魔女は無表情のまま私を見下ろしていた。

「返して」

 先程までとは打って変わって、彼女の声からは感情が消えてしまっていた。

「ナキを返して」

 ――ナキ。

 私の脳裏に少女の姿が過ぎった。命乞いをした白髪の少女が。魔女としての力は弱く、その抵抗すらも人間でしかない私を追い払えなかった。その結果、彼女の命はこの剣に吸い取られ、身体は解体されて薬となった。かの薬は既に売人に引き渡され、金に代わっている。ミールと共に暮らす生活費となるはずだった金に。

 ナキ。そんな名前だったのだろうか。

「返せないでしょう?」

 魔女は無感情のまま声を放つ。

「だから、ミールも返してあげない」

「返してくれ……」

 罪があるとすれば私であって、ミールではない。

 仕返しをされるべきは私であって、ミールではないのだ。

 けれど、分かっていた。魔女の性というものがどういうものなのか。穢れた欲望の前では、どんな正義も、どんな正論も効力を失い、ただ力のみが全てを左右するのだ。

 私は敵わなかった。

 目の前の魔女に、敵わなかった。それが全てなのだ。

「ナキを愛していたわ。長く生きているとね、親しい人どころか知り合いさえもどんどん減っていくのよ。そんな中で、ナキは長く生きていた友達だった。彼女は心優しくて、自分の力で他人を傷つけるのが恐ろしいと思うような子。だから、わたしはいつも彼女を見守ってきたの」

 あなたが、と、魔女は顔を覆った。

「あなたが来た時も、見ていた。守ろうとした。守ろうとしたのよ。けれど、出来なかった。遠過ぎたの。傍にいてあげればよかった。それかいっそ、このお城に閉じ込めてしまえばよかった。この数日間、何度も、何度も後悔したわ。身を引き裂かれるくらい」

 ――だから。

 獣のような目が光っている。そっと座り込み、私の顔を覗きこむと、冷たい手が私の頬へと伸ばされた。

「あなたにも同じ想いをさせてあげる」

 微笑みつつ、彼女は立ち上がる。

 痛みの薄れた私が動き出す前に、彼女はあっさりと背を向け、自分の城へと戻ろうとし始めた。

「待て」

 私は必死に呼びとめた。

 慌てて立ち上がると、目が回りそうになった。だが、それでも一歩、二歩と踏み出して、私は魔女を追いかけようとした。

「待ってくれ」

 行かせてはいけない。

 そうは思っても、彼女を追いかけることが出来なかった。ゆっくりと歩いているようにしか見えないのに、魔女の姿はすでに私から遠ざかり、彼女の城もまた霧の向こうへと消えようとしていた。

「行かないでくれ」

 私は懇願していた。

 懇願するしかなかった。ミールの居場所を知っているのは彼女だけ。そして、ミールに掛けられた魔法を解けるのも恐らく彼女だけなのだ。

 全ては彼女が握っている。恨みを晴らすのならば私にして欲しかった。ミールは解放して欲しかった。どうしても、そう頼みこまずにはいられなかった。

 だが魔女は、私にそんな虚しい説得をさせる暇すら与えてはくれなかった。

「ミール!」

 もう目にすら出来ない少年の名を呼んだ時、魔女の姿が完全に霧に包まれた。同時に、城も包まれていき、何も見えなくなった。すぐに追いかけてみても、霧は深まるばかりで、何も見えなくなってしまった。そして、ようやく周囲が再び見えた時には、私の周りは木々だけになってしまっていた。

 消えてしまった。魔女も、城も、そしてミールも、何もかもが私の未来への希望と共に消えてしまったのだ。

「返してくれ……」

 吠えることしか、出来なかった。

「返してくれ!」

 嘆くことしか、出来なかった。

 しかし、どんなに喚いても、城が再び現れる事はなかった。


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