4.魔女の縄張り
これからミールと共に住む都と私達の故郷の村との距離は、決して遠過ぎはしないが、それでも近いと言ってしまうには無視できない隔たりがある。
道は森と林、更には平原に阻まれ、徒歩ならばやはり数日はかかってしまうものだった。
特に、まだ成長途中の少年であるミールを連れての旅は、いつもの倍は時間がかかるものだった。徒歩だったのは、適当な馬がいなかったからだ。いかに金が余っていても、運んでくれる馬がいなければ意味がない。
それに、ミールの希望でもあった。自分もこれから大人になっていく以上、外の世界というものを出来るだけ沢山この目で見てみたい、と。
不可能なほど遠い距離なわけではない。
それに、三年間魔女狩りを続けてきて、私にもある程度の自信はついていた。魔性の剣を使いこなせば、魔女や魔術師は勿論の事、そうでない悪人や魔物、魔族からもミールを守れるという余裕があった。
だから、都までの平原と村から続く森の間の林が、「魔女の縄張り」と呼ばれている事を知っていても、さほどの脅威とは感じなかったのだ。
仕事は一度も失敗した事がない。
それが良くなかったのだろうか。それとも、もうどうしようもないような定めだったのだろうか。今となっては何も分からない。
ともあれ、ミールを引き連れて進む私は、魔女の縄張りを抜ける直前で、奇妙な出来事に見舞われる羽目になってしまったのだ。
それは、少々の休みを挟んでから、再び都を目指して歩きだそうかというちょうどその時の事だった。
いきなり、ミールが耳をそばだてて立ち止まったりしなければ、私は周囲に起こった異変にすら気付かなかっただろう。
「どうした、ミール?」
声をかけても、ミールはすぐには振り返らない。戸惑いつつ、抗えないような異変が彼の意識を攫おうとしていた。
魔女の縄張り。
その言葉を思い出し、私はすぐにミールの腕へと手を伸ばした。だが、その動きを見計らったかのように、ミールは突然、静かに歩み出したのだ。
「ミール」
すぐに呼びとめ、再び手を伸ばしたが、何故だかミールの身体には届かない。その腕をつかみ損ねた上に、さほど俊敏な動きでもないのに、行く手を阻むことさえ敵わなかった。そんな馬鹿な、と思ったところで状況は一つも変わらない。
「ミール、待ってくれ!」
結局私はミールの傍について共に進むことしか出来なかった。
何が起こっているのか。
混乱の中でも大体は分かってきた。こんな怪しげな現象を起こせる者は魔物か魔族。そしてこの場所の名前は魔女の縄張り。
剣の位置を確かめ、私は周囲へと目を光らせた。
ミールの動きを操っている誰かがこの近くに居る。縄張りを侵した我々に怒っているのか、それとも、そもそも人を襲う類の悪魔なのか。
どちらにせよ、私が黙っていていい相手ではないはずだった。
「姿を現せ」
歩み続けるミールの傍に寄り添いながら、私は林の中に叫んだ。
だが、周囲では私の声が響き渡るのみで、ミールを操っていそうな者は姿を現さない。いくら神経を磨ぎ澄ませても、何も感じられない。巧妙に隠された気配を探れるような力がなければ、捉える事は出来ないのかもしれない。
ミールは震えていた。
自分の足が止まらないのが恐ろしいのだろう。完全に意識が混濁しているわけではなく、むしろ意識ははっきりとしたまま、何者かの意に逆らえぬまま歩んでいるのだ。
何とかしないと。
だが、ミールの動きを止めるのは不可能だった。未だにミールの身体に触る事すら出来ていないのだ。そうしているうちに、林の奥へと辿り着き、いつしか私とミールの行く手には豪勢な城が見えていた。その城に向かっている。それに気付いた時、私は焦った。行かせてはならない。そうとしか思えなかった。
魔女の縄張りに存在する城。該当するのは一つしかない。
そこは正当な主を失ったと言われている閉ざされた場所。数百年前に主は呪われ、生まれた子は次々と死に絶え、城を継ぐべき者の一切は消え失せ、使用人も去り、やがては深い霧に閉ざされてしまった。
その後、しばらくして、主を失った城については不吉な噂がたつようになった。
人間に害を成す魔女が城を支配している。元々、主が呪われたのも、城を欲しがった魔女が横取りをするためだと。そして今も、悪しき魔女は城より世界の片隅を支配し、普段は閉ざされた魔術の霧の向こうへと城ごと姿を隠しているのだと。
そう、この城は今や何処にあるかも分からない、辿り着くのも難しいと言われる、幻の廃墟なのだ。
そんな場所に、私達は、いや、ミールは吸い寄せられている。
「魔女よ!」
私は叫んだ。
「姿を現せ!」
焦りは隠せなかった。怯えも隠せなかった。
何かよくない者、それも、普段私が狩り続けてきた魔女や魔術師とは比べ物にもならないほど強大な者が、我々の前に現れようとしている。
魔女狩りの剣の存在感が虚しいほどに、私は緊張していた。
ただ剣を振るうだけでは倒せないだろう。ただ知恵を働かせるだけでは敵わないだろう。そんな魔女が、ミールを、ミールだけを引き寄せようとしているのは何故か。
魔女の性という言葉が頭を過ぎった。
強大な魔術を引き換えに、何かに強く依存してしまうのが魔女や魔術師の性質。本人にすら制御は困難とされるその性質は、苦しいほど強い欲求を生みだし、それを満たすために対象となるものに執着する。
その多くは他者の命を奪うこと、もしくは、他者の自由を奪うことだ。時に人間も対象としてしまうからこそ、魔女は粛清されるべき存在なのだ。
ミールもきっと、魔女の性の為に引き寄せられている。
何か言葉にするのもおぞましいような欲求を満たすためだけに、美しいこの義弟は魔術の餌食になってしまっているのだ。
そうはさせない。させてはいけない。
「ミール!」
私は叫び、ミールの前へと出た。
もう城はすぐそこまで来ていた。だが、ようやく私はミールの行く手を阻む事に成功した。その手をしっかりと捕まえ、私は城に向かって更に大きく叫んだ。
「お前の思い通りにはさせない!」
その時、吠える私に対抗するかのような荒んだ風が、城の方角より吹きつけてきた。