9.同情
同じようなもの。
その言葉の意味がすぐには理解出来なかった。魔物の分際で、私の気持ちが分かるとは一体どういうことだろう。人狼の分際で、愛する女を亡くした私の気持ちが分かるなんて何事だろう。
だが、私はその文句を口に出す事が出来なかった。カリスの表情はあまりに切なく、人狼である事を覚えていてもなお、私の心を揺さぶってきたからだ。
「同じようなもの?」
私の問い返しに、カリスはやや俯いた。
同じようなもの。その言葉を心の中で何度か繰り返して、やっと私は一つの答えを導きだせた。死んだ女を恋しがる気持ちが分かるというのなら、彼女もまた同じような不幸に見舞われているのだ。
そうして、魔女狩りの剣に今一度目が向いた。
あの剣がある意味。《赤い花》を盲目的に欲しがるのは、誰か大切な者の死が強く影響しているからなのだろう。
そしてそれは、正解だった。
「元魔女狩りの剣士ならば、アマリリスという魔女を知っているか?」
「アマリリス?」
聞いたことがなかった。そう答えるまでも無く、カリスは私の反応でその意を汲み取ったらしい。「そうか」と力なく笑い、彼女は空を見上げた。
「人狼の中では有名な魔女だ。人狼殺しのアマリリス。魔女の性が我々人狼に向き、定期的に人狼の血肉を世界にばらまきたがる悪趣味な赤い魔女」
「赤い魔女……」
「私が温めている《赤い花》の持ち主さ。クロ……私の夫を殺した憎き女。そして、妻である私の命さえも狙っている恐ろしい女だ」
嘆くように彼女は言った。
その様子に怯えは不思議と感じなかった。同時に、何故、彼女が《赤い花》を欲しがるのかの理由も分かった。命を狙われていると同時に、彼女もまた命を狙っているのは、愛した夫の敵討のためなのだろう。
その時初めて、このカリスという狼に同情した。
愛した女を失った私と、愛した男を失ったカリス。
人間と人狼という混じり得ない関係でありながら、私は妙にこのカリスという女に親近感を覚え始めていたのだ。もしかしたら、カリスもそうなのかもしれない。
けれど、そうだとすれば奇妙すぎる。
私は人狼にとって糧に過ぎず、人狼は私にとって悪魔に過ぎないはずなのに。
「私は奴を許さない」
カリスは言った。
「一生涯共に寄り添うと誓った夫の受けた苦しみを倍にして返してやりたい。だが、相手は私をも欲望の解消に使おうとする悪しき女だ。これまでに葬った人狼の数は計り知れない。怯えを殺しながら、どうにか策を練ることしか出来ない。それでも、いつかは恨みを晴らすのだと夢見て、私は《赤い花》を温めてきた」
魔女への復讐。
それまでも、私と同じような境遇に思えた。
「けれど、私は機会を失った。ある事情のせいで、あの女をしばらく殺せなくなった。殺せない理由が生まれてしまった。その上、魔女の性から解放されたあの女は、全てが終わったら私に殺されてもいいとまで言ってきたのだ」
震えながら、カリスは頭を抱えた。
それは、人間が苦悩する姿にしか見えなかった。
「どうして苦悩するんだ?」
私はカリスに訊ねた。
「殺されてもいいというのなら、約束の時に堂々と殺してしまえばいいじゃないか」
少なくとも、私だったらそうする。ミールを石に変えた魔女が万が一、同じ事をぬかすようならば、躊躇いなくこの魔女狩りの剣で首を刎ねるだろうし、サファイアを喰い殺した人狼が私の前で謝罪を申し入れれば、問答無用で毛皮にするだろう。
だが、カリスは首を横に振った。
「分からなくなったんだ」
それは人狼にしては弱々しい、人間のような声だった。
不可解なものだった。夫を殺されて恨んでいると言っておいて、今のカリスは本当に迷っているように見えたのだ。
「何故だ? 《赤い花》が貴重だからか?」
私の問いに、カリスは目をそっと閉じた。言葉を探しているようだ。恐らく自分でも、その気持ちをまとめるのが難しいのだろう。
「違う」
やがて、カリスはその言葉を導きだした。
「だが、やっぱり分からない。女の命は欲しいはずなのに、その時が近づけば近づくほど、段々と迷いが大きくなってきている」
やはりそれは、私には理解しづらい感情だった。
そんな私の状況を悟ったのか、カリスは深く息をつき、体勢を変えた。夜風を浴びながら金色の髪を揺らし、彼女は何かを考え込んでいるようだった。
自分の中で揺れる心についてだろうか。それとも、私との会話で受けた感傷だろうか。なにものかを抱えながらカリスは黙りこむ。私はそんな魔物の横顔からそっと視線を逸らし、淡々と燃え続ける焚火を見つめた。
この温かみを誰かと共有するのは別に久しぶりでもない。
三獣への礼拝を教えてくれた女と夜に語らったのは、つい最近の事だったと思う。
かの女の風貌を思い出しながら、私はそっと静寂で占められる脳裏にサファイアの面影を映しだしていた。
死人が黄泉の国から帰ってきた。
初めて女を見た時に、私はそう思った。
「人間」
突然、黙りこんでいたカリスが口を開いた。
目を向けると、彼女は先程までの私と同じように赤々と燃える焚火から目を離さずに見つめ続けていた。
「暇だから、お前の義弟の話も教えてくれ」
やけに命令的なその言葉は、それでも何故だか腹が立つようなものではなかった。
「長い話になるぞ」
そう言って、私はカリスに淡々と語った。