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AMARYLLIS(旧版)  作者: ねこじゃ・じぇねこ
一章 カリス
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4.退屈の紛らわし方

 暫くして日はすっかり沈み、私は凍てつく寒さが訪れる前に火を起こした。

 燃え盛る橙色の炎を見つめているうちに、空では微かに残っていた太陽の光は完全に失せ、月と星が僅かに世界を輝かせるだけの寂しい夜が訪れていた。

 私はぼんやりと星の輝きを見上げながら、亡き妻の事を想った。

 妻、といったが、正確には婚約者だ。もう間もなく正式に妻になるはずだったその愛しい女は、何の前触れも無くその命を奪われてしまった。

「サファイア……」

 その名の通り、美しい目をもつ女だった。思い出せば思い出すほど、私の中に巣食う、人間として、男として、大人として、どうにも頼りない部分が増大していく。寂しいという思いと、悔しいという思いが、目に焼き付いて離れない記憶と共に、私の体内で爆発する。

 そして、次いで想い起こすのが、サファイアの遺した弟ミールの姿。

 私にとってはたった一人の家族だった。

 かつては家族なんて沢山いた。私の父母を始めたとした家族もいたし、サファイアとミールの家族だっていた。あの時、何事も無ければ、きっと今頃、生まれた村で共に農作をして子供を育てながら暮らしていただろう。

 けれど、父母を始めとした家族を立て続けに亡くした後でサファイアまでも失い、私にはミールだけになった。それでも、私は出稼ぎをして、彼の成長にサファイアと築くはずだった未来を託した。

 そう、それはそれで、幸せな未来を送れるはずだったのだ。

「奴が現れなければ……」

「奴って誰だい?」

 ふいに訊ねられ、私はふと我に返った。

 視線を動かしてみれば、私の他に焚火の熱を貰っている者がいた。私から距離を置きつつ、その姿勢は完全に力を抜いている。

 人狼。昼過ぎに私の前に現れたあの人狼が、いつの間にかそこにいた。先程まではいなかったはずだ。相手をせずに放置していたらいつの間にか居なくなっていたのだ。飽きてどこか行ってしまったかと思っていたのに、また戻ってきた。

 一体、何故。

 戸惑う私を見つめ、人狼はもう一度訊ねてきた。

「聞こえなかったか? 奴って誰なのさ」

「化け物相手に答える義理はない」

 私がそう言ってやると、人狼は大きく溜め息を吐いた。

「ケチな奴だ。別にいいだろう。私はもうお前を襲わないと決めたんだ。少しは感謝して欲しいくらいさ」

「信じてもらえるとでも思っているのか? 人狼っていうのは嘘つきで――」

 と、言いかけた時、私はふと夜風に乗った奇妙な臭いに気付いた。

 人狼の口元は汚れてもいないが、その身体には何やら奇妙な臭いがこびり付いている。生臭いというよりも、もっと穢れた臭いだ。私も何度か嗅いだことがある。仕留めた魔女の死体を薬にしてしまう時に嗅ぐ臭いだ。

「何か殺してきたのか……」

「ただの食事さ」

 私の言葉に物怖じすることなく人狼は答えた。

「お前を諦めたところで腹が減っているのは変わらないからね。お前がそつなく身を守ったせいで、一人の哀れな人間の女が命を落とした」

「無力な女を襲ったのか。お前には慈悲というものすらないようだな」

「魔女を散々殺してきた奴に言われたくないな。お前もどうせ、人間には害を成さないさがの魔女だって殺してきたのだろう?」

 それは、人狼の言うとおりだった。

 魔女であるだけで殺された魔女は多いだろう。それどころか、魔女である疑いをかけられた為に我が剣で斬られた人間もいる。それが仕事だったからだ。人間だとわかって殺さないようにしたとしても、即死しないように気を付けても、傷が深ければ死んでしまうものだ。

 私のやってきた事とこの人狼のやっている事はそう対して変わらないだろう。

 その上、私は――。

「美味いものさ、お前ら人間って奴らは」

 私をからかうように人狼は言った。

「特に若い女や子供の肉は柔らかくていい。だが、私は男の肉も嫌いじゃない。たまには固い肉も喰いたくなるからね」

「悪趣味な話だ。私にしたって何も広がらないぞ」

「おや、我々の話には興味がないか」

 人狼はそう言うと、伸びをした。

 目の前の女がついさっき人間を喰い殺してきたなんて思えない。そのくらい、今の人狼の姿は人間そのものに見えた。

「さっき喰い殺した女も、聖地を見に行くのだと言っていたなあ」

 空を見上げながら人狼は言った。

「魔女の疑いをかけられ生まれ育った村を追われ、自殺願望が芽生えていたらしい。お前たち人間の神の教えに反する自殺を、だ。その前に頭をからっぽにしたいと聖地巡礼を思いついたのだと言っていた」

「そんな女を喰ったのか」

「ああ、喰ったよ。見逃すには惜しい、いい身体をしていたからね。太過ぎず、やせ過ぎず。まるで腹を空かせた私に喰われるためにのこのこ旅をしていたかのような女だった」

 人狼は目を細め、口元を手で拭った。

「私と話すだけで心を開くくらい寂しさに飢えていた。手を伸ばせば何の疑いもなくついて来てしまうくらい温もりに飢えていた。だから、全てを満たしてやった後で、その対価として命と身体を頂いたわけだよ」

 悪びれもなく人狼は言った。その顔には笑みが浮かび、慈悲や憐れみの欠片すらも持ち合わせてはいない。やはりこの女、人間とは程遠い価値観の中で生きているようだ。

「悪魔のような奴だ……」

「悪魔? 私が?」

 驚いたような声で人狼はかしましく言う。

「それならば、お前もまた、お前に殺された奴らにとってみれば悪魔のようなものだな。身勝手な理由で命を奪われてしまうのだから」

 人狼はそう言って一人けらけらと笑う。煽っているのだろうか。退屈だと言っていただろうか。私を怒らせて、戦わせて……そんな退屈しのぎの一つでもしたいのかもしれない。だが、私はそんな人狼の要望に答える気はなかった。

 昔の自分ならどうしていただろう。この人狼の安い挑発に躊躇いなく乗っていたことだろう。だが、今の私は違う。挑発に乗らないだけの知恵がついたというわけではない。ただ、気が乗らなかった。この見栄えこそ美しけれども汚らわしい魂をもつ人狼に対して歯向かう事すら許されていないような、そんな気になってしまっていたのだ。

「なんだ、お前も詰まらない奴だな」

 一向に反応を見せなかった私に対して、人狼はぼそりと言った。

「お前も、か」

 私は透かさずそこに喰いつくと、人狼はさり気なく視線を逸らした。

「私のようにからかっている相手でもいるのか? もしや、お前が気にしている《赤い花》であったりしてね」

 からかいのお返しだった。

 思わぬ返しにやや驚いたのだろう。人狼は少々苛立ちを顕わにすると、低い唸り声と共に、深く、冷たい、溜め息をついた。

 ――分かりやすい奴。

 それでは《赤い花》を何処かで温めていると言っているようなものではないか。だが、私はそれ以上追及しなかった。追及したところで、無駄ないざこざを生むだけだ。どうせ襲ってこないのならば、むやみに刺激するものじゃない。

 焚火を眺めながら、身体の奥底に無意識に溜まりつつあった闘志を溜め息と共に外へと追い出した。

 剣を抱きながら、ゆっくりと目を閉じる。

 人狼は襲ってくるだろうか。いや、襲ってこないらしい。視線は感じるが、それだけだった。ならば、深く寝入った時に、彼女は襲ってくるのだろうか。

 それは分からない。

 腹を空かせていない魔物は獲物を狩らないと言われているが、所詮は人間がそう言っているだけだ。星の数ほど人間がいるのと同じくらい、星の数ほど魔物もいる。意味もなく人間を殺す者もいれば、無駄な行動は慎む者もいる。同じ種族であっても、皆が同じとは限らない。この名前も知らぬ雌狼しろうがどういう性格なのか、今の私に分かるはずもなかった。

 それでも、私は身体の力を抜いた。常に倦怠感が私の身体を支配している。これはもうずっと前からの事だ。いつ死んだって後悔はないという陰鬱とした思いが、私の身体に重く圧し掛かっている。

 人狼の前だとしても、眠るのは怖くなかった。

 奴が怪しい動きをすれば、すぐに起きることが出来る。野獣であれ、魔物であれ、魔族であれ、近づいて来るからにはその殺気は隠せない。

「眠るのか?」

 人狼がふと私に訊ねてきた。彼女はどんな表情をしているのだろう。それすらも確認するつもりにはなれなかった。

「なるほど。私を恐れずに眠るのか」

「襲いたければ襲え。眠りから覚めると同時にお前の首と胴を切り離すくらいの自信はあるぞ」

 私の言葉に人狼の小さく笑う声が聞こえてきた。

「威勢のいい奴だ。詰まらないという言葉は撤回しよう」

「それはどうも」

 眠りは段々と近づいて来ている。やがて、焚火の炎の揺らめきすら遠い過去の記憶の残像にしか思えなくなってきたくらいまどろんだ世界が広がり始めた時、小さな声がすきま風のように私の耳に入りこんできた。

「眠れ」

 優しさでも装ったような人狼の声だった。

「見張っておいてやるよ」

 その女の言葉が嘘か、本当か。どちらにしても、私はすでに眠りについていた。


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