2.魔女狩りの話
塵は止まずとも戦うべき時はある。
もしも塵のせいで一切動けないことがあったとしたら、私はとっくの昔にこの世を去っていただろう。だが、魔物や魔族の中には、そんな私の事情も察する事が出来ない愚鈍な者もいる。人間というものは塵の中で一切動けないと思いこんでいるのだ。
だが、この人狼はどうだろう。
私に対して「動けるのか」と確認した彼女は、力任せに突っ込んでくるような魔物ではなかった。今の私に出来る攻撃は限りなく少ない。走って彼女を捉えにいくなど不可能で、接近するのを待つしかない。それが、塵の中での人間の戦い方なのだ。けれど、この人狼は私の思惑通りには動いてくれなかった。
何度も近づいては離れ、私の動きを確認している。
私は根気強く隙を作らないように剣を振るった。この攻防が続く限り、最後は体力勝負となるだろう。魔物と言っても相手は人狼に過ぎない。強大な魔族や魔物ならば勝ち目はないが、人狼ならば問題はない。それも、相手は雌だ。気をつけるべきは、隙を作らない事と、その身軽さのみ。
それを分かっているのだろう。人狼の動きも段々と荒くなってきた。
塵が止めば私はもっと動けるようになる。対して人狼は眩い日差しにでも当たれば目が眩んで怯むことだろう。
この勝負、負けるとは思えない。
人狼を何度も剣で追い払いながら、私は塵の消滅を願い続けた。その願いが神に届いたのだろうか。唐突に、塵は止み、白と黒の世界は消滅した。現れるのは青空と日射し。足元に積もる塵も段々と消え失せ、人間を悩ませる臭気も薄れていった。
日の光に当たると、予想通り人狼の動きがやや鈍った。
その瞬間を逃がすわけにはいかなかった。走り出し、剣を構える。魔女でないのならば即死など狙えない。それでも、深手を負わせれば戦えなくなり、やがては死ぬだろう。容赦などする予定はない。美しい黄金の毛皮を剥ぐ勢いで、私は人狼に飛び掛かった。
「来たな」
人狼が私を見つめる。
何かするつもりだ。私は全てを感覚に委ねた。
人狼の姿が歪み、狼姿から人間の姿になるのが見えた。大きさと急所の位置の急な変化に戸惑う者も多いだろう。だが、私は戸惑いもしなかった。考えることなど一つも無い。ただ目で見た瞬間身体は動き、人狼の女の爪と牙をすべて避け、剣を払って人狼の懐を狙った。だが、掠りもしなかった。
人狼は華麗な跳躍で私から距離を取り、体勢を低くする。お互いに無傷だった。流れる血は一滴も無い。
塵はすっかり消え、青空と太陽、そして彩り豊かな自然の世界が辺りには広がっていた。町と町の合間にある自然豊かな大地。あちらこちらに岩の突出する緑の平原。これぞ人々が愛し、魔物達が厭う世界。その世界の真ん中で、黄金の髪を風になびかせながら人狼の女は険しい表情を浮かべた。
「なるほどね」
髪をそっと手でときながら、人狼の女は笑みを浮かべた。
「お前を相手にするのは面倒なようだ」
呆気なく彼女はそう言うと、威嚇し続ける私を無視して脇の岩影へと向かった。何をするつもりかと思えば、彼女はそのまま岩影に寄りかかり、澄ました顔で私に視線をやった。私の持つ剣を再び見つめると、己の腰に手を当てて剣を抜きだすと私に見せつけてきた。
現れたその剣を目にした途端、私の中で奇妙な驚きが生まれた。
人狼が手に持つもの。それは、魔女狩りの剣だったのだ。
「これが分かるか? お前のものと同じ魔女を狩る剣だ」
「何故、それを?」
考えられるのは三つ。
ただ拾っただけか、誰か私の同志を殺して奪ったか、もしくは人間のふりをして正式な魔女狩りの剣士となったのか。
だが、人狼はすんなりと答えた。
「死人から頂いて来たのさ。必要だったからね」
「――必要?」
「私はある魔女を憎んでいてね。人狼に執着する厄介な奴だ。奴と関わり続ける上で必要だったのさ」
「だった……」
私はふと人狼の言葉に疑問を感じたが、すぐに振り払った。人間として、人狼などと話すものではない。奴らは嘘つきで本当の事を言える心など持っていないのだ。人狼の言葉を信じれば、ゆくゆくは胃袋の中に納められてしまうだろう。そのくらい、人間は人狼と相容れないものなのだ。
けれど、少なくとも今、彼女が襲ってくる気配はなかった。ただ暇を言葉で埋め尽くしているだけのように見えた。私は注意深く人狼を見つめたが、戦う気のない、だらしないその姿を見ているうちに、その警戒も段々と薄れていった。
人狼はそんな私の様子を見ると、深く息を吐きつつ口を開いた。
「お前は本物の魔女も殺したことがあるのか?」
「ある」
私は人狼から目を離さずに答えた。
「剣で斬って即死するのが魔女だ。その死肉は劇薬となり、魔女や魔術師でない者さえも死に追いやる力を宿してしまう。魔女かどうかは死体から血を抜けば一目瞭然だ。毒を含む真っ黒な血が大地を流れていき、その身体はようやく金持ち共が求める神秘の薬に生まれ変わる」
「作ったことがあるのか? その神秘の薬とやらを」
「ああ、沢山ね」
私は答え、その場に座った。
剣を持ったまま、人狼からも目を離さずに、少しだけ息を吐いた。やはりこの人狼はもう戦う気がないようだ。それに、どういうわけか魔女狩りに興味がある。襲ってこない以上、答えてやってもいいような気がしていた。
「その中に、《赤い花》はどのくらいあるものなんだ?」
人狼の問いに私は眉をひそめた。
《赤い花》と言っただろうか。
「そんなもの見たこともない。滅亡したとさえ言われているくらいだ」
魔女狩りの剣を託されて数年経つが、彼女の言う《赤い花》など気配すら感じた事がなかった。私が子供の頃等は、まだ狩れたらしい。そう証言するのは私よりも十歳以上年上の剣士たちだ。傍から見ただけでは《赤い花》等分からない。けれど、その胸に秘められし臓器の香りと形は、一見して他の魔女の心臓と違うのだという。
捕まえて捌いて、《赤い花》だった時の興奮は計り知れない。
何故なら、その神秘の薬は極上のもの。呆れるほどの大金をつぎ込んで購入する者が多くいるかららしい。
しかし、そんな《赤い花》も今は息を潜めている。昔は《赤い花》を継いでいる可能性の高い子供等も捕えられ、売りさばかれていたらしいが、今はめっきり見なくなったのだといわれている。
私の答えに人狼の女がやや目を揺らがせた。
「そうか……」
肩を落としているのだろうか。
「もしかしてお前も《赤い花》が欲しいのか?」
「いや違う。ただどのくらい血が広がっているのか知りたかっただけさ」
力なく言うその姿は不可解だった。まるで、《赤い花》が今も何処かで血を広げているかのような言い草。
気付けば私はその人狼の事を真面目に推察していた。




