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AMARYLLIS(旧版)  作者: ねこじゃ・じぇねこ
七章 ゲネシス
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9.目撃者

 部屋に戻り、私は独りきりを味わっていた。

 部屋の隅よりカリスが見つめているから厳密には一人きりではないけれど、私の心は確実に一人にされてしまっていた。ニフがもう少し回復したら、彼女に全てを告げてこの町に置いて、竜族達と共に大社に向かうことは決まっていた。

 カリスがどうするかは分からないけれど、夫殺しの私を恨んでいる彼女は所詮、仲間ではない。また私は一人に戻ってしまうのだ。

「いつまでそうしている」

 カリスの声がかかった。

「お前は我々人狼に絶望を振りまくくせに、自分の不幸には恐ろしく弱いようだな」

「私の不幸……?」

 違う。死んだのはルーナであって、私ではない。だが、カリスは容赦なかった。

「死の悲しみとは、悲しむ輩の不幸だ。クロの死も同じ。お前に彼が殺された事は、私の不幸だった」

「あなたには、今の私がどう見えるの?」

 なんとなくその問いを向けると、カリスは私から目を逸らした。

「どうも見えない。ただの魔女だ」

 カリスはそう言って、人間の姿のままで床の上に寝そべった。美しい黄金の髪が、埃っぽい床についている。けれど、そんな事も人狼の彼女には気にはならないらしい。

「――アマリリス」

 カリスの低い声がこちらに向けられた。

「もう今さらだが、私が見てきた事について話そうか」

 その言葉に、私の視線はカリスの目に吸い寄せられた。

 思考が巡り、カリスと再会した時の情景が目に浮かんだ。ルーナを切られ、混乱している私を青年から救ってくれた時、カリスは人狼としての力を失っていた。それは、グリフォスに触られてしまったからだった。

 ジズの山で何を見てきたのか、そして、ベヒモスの森で何があったのか。その全てをカリスは見てきた。

「話して」

 私はそっとカリスに促した。カリスは小さく頷き、深く息を吐くと、話しだした。

「ジズの祠でも、ベヒモスの祠でも、同じことがあった」

 彼女の言葉は単純で、分かりやすくて、とても残酷な響きを持っていた。

「同じ事――」

「ジズと空巫女も、ベヒモスと地巫女も、皆、悪魔と彼女に支配されたあの人間とに殺されていったのさ」

 それは薄々思っていた事ではあった。リヴァイアサンが殺されてしまう現実を目の当たりにして、考えないわけがなかった。けれど、はっきりとそれを見てきた狼に告げられた衝撃は、やはり生半可なものではなかった。

「どうして、そんな恐ろしいことが――」

「全てはあの女の……悪魔のせいだ」

 カリスは唸った。いや、嘆いているのだろうか。

「人間は騙されたのだ。義弟を救うために力が必要だった。そこへ現れたのがあの悪魔。私は見てきて、聞いて来て、そして今、すごく悔しい……」

「カリス――?」

 ふとカリスの様子に気付いた。

 泣いている。彼女が何のために。だがよく確認する前に、カリスは目を逸らした。遅れて聞こえてきたのは、紛れもない正直な言葉だった。

「私は止めたかったんだよ」

 淡々とカリスは言った。

「悪魔に騙されず、奴には現実を受け入れて欲しかった。こんな禁忌を冒す前に、どうにか止めてやりたかったんだ」

「カリス、あなた……」

 その先の言葉は自然とはばかられた。どうあろうと、カリスの本心にむやみに踏み込むべきではないと思えたのだ。人狼相手に、だ。魔女のさがは私からそれだけ遠ざかっているらしい。

「笑いたければ笑え。人狼である私が、これまで腐るほど人間を喰ってきた私が、一人の哀れな人間なんぞを庇おうとするなんてね」

「笑ったりはしないわ」

 即答する私を、カリスはそっと振り返った。

「でも、やっぱり、その人間を許しは出来ない。彼はルーナを殺した。私の目の前で、一時の躊躇いも無く、殺してしまったから」

 情景を思い出せば思い出すたびに、震えが止まらなかった。あの時間はこうしている間にも遠ざかっていくばかりだ。ルーナと共に過ごした日々も、遠ざかっていく一方だ。もう戻れない。もう感じることもできない。

 その実感が、私を絶望の淵に追いやる。

「恨むといい」

 カリスが言った。

「私がお前を恨んだように、お前もあの男を恨むといい」

 その言葉には皮肉など含まれていなかった。

 私の視線にカリスは目を逸らす。だが、彼女の視線は以前のような荒々しさの欠片も無かった。いつか私を殺すために共に居たはずの彼女。役目を果たす日を待ち続けていたはずの彼女。だが、そんな彼女が今だけは、人間か私と同じ血を引く魔女のように見えてしまったのだ。

「カリス」

 私は彼女に訊ねた。

「あの人間の話をもっと教えて」

 私の言葉にカリスが眉をひそめる。言葉を探しているのか、彼女はしばし床に目を這わせ、やがて、深く息を吐くと低い声で吠えるように言った。

「彼の名前は、ゲネシス」

 カリスは私を見つめる。

「初めて見た時、彼は塵の悪臭に耐えながら、人狼である私に立ち向かおうとしていた」

 カリスは語る。ゲネシスというその純粋な青年の話を。

 それは、私の知らない世界での、長い、長い、罪人の話だった。


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