7.聖地の崩落
神獣は殺され、巫女は全て奪われた。神器である鏡を持っていても、攻撃は弾き返されてしまう。こんな状況でどう戦えばいいというのだろう。
私とカリスが一歩退くと、グリフォスは首を傾げた。
「戦わないの? わたしを恨んでいるのでしょう?」
グリフォスの問いに応えることさえも出来なかった。
どうして、こんな事になってしまったのか、そればかりを考えてしまう。カリスもまた私と同様、何も言えずに怯えているようだった。
グリフォスはそんな私達を面白そうに見つめ、目を細める。だが、さらに数歩近づいたところで、ふと虚空へと視線を動かした。
「どうやら」
彼女が視線を逸らす先は、通路の向こう側。
「彼が呼んでいるようね」
彼。それが誰を表しているのか、すぐに分かった。グリフォスに操られ、騙され、愚かにも罪を犯してしまった人間の青年。
私から直接ルーナを奪っていった憎むべき敵。彼がその先に居ると言うのだろうか。では、ニフは。ニフは何処に居るのだろう。この先で、あの青年は何をしているのだろう。
盾を残したまま、グリフォスは去っていく。
愛しい人と呼んでいたあの青年の元へと向かうのだろう。追いかけようにも盾が邪魔してすぐには追いかけられなかった。
「ニフ……」
ニフはプシュケを連れて逃げたのだ。確かにそうだった。私の記憶違いなわけがない。でも、記憶違いであって欲しいほどだった。どうしてニフが此処に居ないのだろう。この先で青年は何をしていると言うのだろう。
考えたくなくても分かってしまう。ニフは彼と共に居るのだ。
ニフテリザ。彼女はただの人間の女だ。私のように魔力という強力な爪と牙はなく、剣の扱いも慣れてきたとはいっても平均程度のもの。普通の女よりも少し扱いが上手いくらいだろう。そんな彼女が、竜族どころか神獣までも殺してしまうような青年と戦って勝てるわけがない。相手はルーナを無慈悲に切り捨てた男だ。それどころか、身を守る術も無かったプシュケの従者たちさえも殺してしまった。
「落ち着け、アマリリス」
狼姿のカリスが私を見上げた。
「焦らずとも盾は消えるぞ」
その言葉の通り、盾は段々と弱まってきた。だが、もうすでにグリフォスの姿は通りの突き当たりを曲がっていく。そして、その姿が完全に見えなくなった時になって、やっと盾は消えうせた。
私とカリスは共に走り出した。
出来る事は非常に少ない。何をすればいいかも分からない。プシュケを失った今、私が動いているのは、もはや役目の為ではなかった。
ニフを迎えに行かなくては。私個人の願いの為だけに、私は動いていた。
「もっと早く走れ」
前を走るカリスが私を急かした。
「お前の仲間はまだ生きているぞ。そんな臭いがする」
「あなたは何でも嗅ぎ分けられるのね……」
「当り前なことを言うな」
素っ気なく言うとカリスはグリフォスの消えた場所へと飛び込んだ。私もすぐにそれに続き、更に長い廊下へと辿り着いた。すると、真っ先に黒い風貌の青年が見えた。
彼と、グリフォスは、長い廊下の向こうを歩いている。目指すは外に繋がる扉。立ち去る所のようだ。追いかけなくては、と意気込んだのも束の間、私はその廊下の真ん中に倒れ伏す血塗れの人物に気付いて、思わず短い悲鳴をあげてしまった。
「そんな……!」
ニフだった。カリスが真っ先に駆け寄っていく。私も慌ててそれを追った。
カリスよりも先に駆け寄りたかったが、先に辿り着いたカリスが人の姿に戻り、私を振り返って吠えた。
「来るな!」
カリスの咆哮に私の足が止まる。
「剣で切られている!」
カリスがそう言った時だった。私は息を飲んだ。血塗れのニフの手がそっとあがり、カリスの顔を確かめるようにその頬に触れたのだ。
まだ、生きている。
カリスが咆哮する。大社に潜んでいるはずの生き残りが来るようにだろう。その向こうでは、グリフォスと青年が立ち去って行くのが見えた。
だが、私には彼らを追いかけることは出来なかった。
「ニフ……」
私は血の流れていないぎりぎりの所まで近寄り、その場に座った。
生きていると言っても、早く治療しなければその命も持たないだろう。その光景が聖堂に残したルーナと同じで辛かった。
カリスはニフに触れられながら、冷静にその様子を眺めていた。人狼である彼女にとって、ニフの血の臭いは飢えを覚えさせるもののはずだった。だが、カリスは人狼の性を見せもせず、ただじっとニフの傷の様子を確認しているようだった。
「大丈夫だ」
カリスは言った。
「生き残りが近づいて来ている。お前は助かるぞ」
その言葉にニフが何かを言おうとする。血で汚れるのも厭わずに、カリスはただじっとニフに寄り添っていた。
「私か?」
カリスはニフに告げる。
「生憎、腹は減ってないんだ」
そう言ってカリスはニフに向かって薄っすらと笑ってみせた。
「不幸中の幸いだな」