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AMARYLLIS(旧版)  作者: ねこじゃ・じぇねこ
七章 ゲネシス
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6.第三のパン

 よろめくリンに連れられて向かったのは、血塗られた聖堂の中だった。

 入ってすぐにリンはリヴァイアサンの亡骸に寄り添い、すぐにその祠に収められていたものを引きだした。それは美しい鏡だった。盾のように見えるが、その裏側は光を反射している。今は血塗られた赤が映っていた。

 リンはそれを持って言った。

「これは巫女の鏡です」

「巫女の鏡?」

「説明は後でします。とにかく、この鏡に触れてください。狼の方、あなたもです」

 私は言われるままに巫女の鏡と呼ばれたそれを受け取ると、狼姿のままのカリスにも近づけた。カリスはやや警戒を見せたが、問題は見られないということを確認すると、そっと前脚でそれを突いた。

 それを見ているうちに、私は段々と自分の中で魔力が戻っていくのを感じた。

 カリスも同様のようだった。

「これは――」

 口を開いたのはカリスだ。喋れる事に自分でも気づき、すぐに狼姿を解いて、人間の姿へと変わった。これでようやく分かった。カリスもグリフォスに触れられていたのだ。

「これは我らが巫女と同じ力を持つ神器。限られた者が持つ事を許される、大切な鏡です。同じようなものが他の祠にも眠っている事でしょう」

 リンはそう言うと、私に膝をついた。弱々しい彼女の身体からは、よく見ればまだ、出血しているのが分かった。

「お願いします。それを使って、私達をお救いください」

 鏡を手にし、私はリンを見つめた。

 迷っている暇はない。背後で倒れ伏しているルーナ。彼女を殺した仇もまた、プシュケとニフを追って去っていったのだ。

「分かった……これはお借りします」

 私はそう言って、走り出した。向かうはグリフォス達の消えた扉の向こう。

 その先がどうなっているかなんて知らなかった。恐らく、プシュケとニフも知らずに逃げているのだろう。せめて、袋小路になっていないように願うばかりだった。

「愚か者が。私を置いて行くな」

 すぐにカリスが追いかけてきた。

 狼姿をしているが、先ほどとは違って言葉を取り戻している。減らず口を叩きながら、彼女は私の前へと躍り出た。

「鼻の悪いお前に代わって、先導してやるから感謝するがいい」

「有難いわね……」

 私は力なく答えた。彼女の煽りに構うような気力がなかった。焦りと共に虚しさが心の中を占めている。プシュケとニフを守らなくてはという思いと拮抗するように、殺されたルーナへの想いが溢れて押し潰されそうだった。

「馬鹿め。死んだ者はもう帰らない。涙を流したところで時間の無駄だ」

 カリスはそう言うと、あっさり先へと進んでいった。

「泣いてなんかいないわよ……」

 私はすぐにそれを追いかけた。言い訳なんてカリスは聞いちゃくれない。でも、それでよかった。カリスはただ臭いを追う事に専念し、私はただカリスを追うことに専念した。

 広大な大社の通路だが、さほど長くはなかったようだ。

 私とカリスはすぐに、その場所へと辿り着いた。

 真っ先に見えたのはグリフォスの背中。追い詰めた獲物を見降ろし、立ち尽くしている。その表情は見えないけれど、きっと余裕の笑みを浮かべているのだろう。次いで見えたのは、その正面で床の上に座るプシュケの姿。震えた眼でグリフォスを見上げている。

 青年は、そしてニフは何処へ行ったのだろう。

「グリフォス!」

 私は叫んだ。

「待ちなさい!」

 ルーナを奪ったのは青年だ。だが、その青年を操っているのは恐らくグリフォスだ。彼女がいなければ、ルーナは死ななかった。彼女がいなければ、ヒレンもまた死ななかった。

「絶対に許さないわ……」

 鏡を抱えたまま、私はグリフォスを睨んだ。

 グリフォスはそんな私をちらりと振り返ったが、薄っすらと笑みを浮かべただけで何も言わなかった。

 一歩、二歩とプシュケに迫っていく。

「待てと言っているのが分からないのか!」

 私よりも先に動いたのはカリスだった。狼姿のままでグリフォスに突撃していく。その動きに引っ張られて、私も魔術を放った。鏡があれば、そしてプシュケにどうにか近づけば、グリフォスの力なんて怖くもなんともない。

 だが、カリスの突撃も、私の放った風の魔術も、グリフォスを捉える事は出来なかった。それは、以前戦った時には全く見せてこなかった、未知の力だった。光の盾のようなものがグリフォスたちを覆い、カリスの突進と風の魔術を弾き返したのだ。

 床に着地してすぐに、カリスが茫然とその盾を見つめた。盾はグリフォスとプシュケを覆うように存在していた。何度も、何度も、カリスは突進する。私もすぐに傍に寄り、鏡を当ててみた。けれど、光の盾が消える事は、なかった。

「プシュケ!」

 私はその名を呼んだ。

 死が迫ってきている。目の前で、守るべき巫女の命が摘み取られようとしている。どんな魔術も、どんな力も、この盾を崩す事は出来なかった。

「駄目! やめて!」

 全てを嘘だと思いたかった。ルーナの死も、人間達の死も、リヴァイアサンの死も、そして目の前のこの状況も、全てを嘘だと思いたかった。

 だが、現実だった。

 グリフォスがそっとプシュケを抱き寄せる。振り向いたその目が、私とカリスを冷たく捉えていた。

「あなた達が信じて縋った伝説も」

 その言葉はプシュケに向けられていた。

「古ぼけたものに過ぎなかったわね」

 グリフォスによって美しい衣が剥がされ、透き通るような瑞々しいプシュケの肌が顕わになる。そしてグリフォスの手がゆっくりとその肌に触れた瞬間、プシュケの悲鳴が辺りに響き渡った。

 それは、以前見た光景によく似ていた。忘れたくても忘れられないおぞましいもの。

 再び私に襲いかかってきたのは音の記憶。プシュケの悲鳴と共に、かつて聞いたヒレンの悲鳴がかさなって聞こえてきた。

 止めようにも、もう止められない。ヒレンの時とは違い、傷もなければ血の一滴も飛び散らなかったけれど、グリフォスの触れる手の下で、プシュケの命がどんとん崩されていくのがよく分かった。ゆっくりと食しながら、プシュケを愛おしそうに抱きしめ、その耳元で何かを囁く。

 その途端、プシュケの身体が大きく痙攣した。

 グリフォスが手を放すと、プシュケの身体は床に堕ちる。開かれたままのその目が何かを捉える事はもうなく、吐息も、意識も、魂も、すべてが刈り取られた後だった。やがて、プシュケの亡骸は崩れて落ち、灰となって風に攫われていった。

 それはあまりにも一瞬の事だった。

「美味しかった」

 灰になったプシュケを見送りながら、グリフォスは虚ろな声で言う。

 その目が再び振り返った瞬間、カリスも私も怯えてしまった。

 盾は消えない。だが、消えていたとしても、私もカリスも近づけなかっただろう。プシュケを残酷に食した彼女は、現実離れした気配を湛えながら私達をただ見つめていた。

「柔らかくて、甘くて、とろけるようで、いい香りがして」

 グリフォスがゆっくりと歩み寄って来る。

「獣なんかには勿体無い珍味だったわ」

 高らかに笑う彼女に立ち向かえる勇気はなかった。


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