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AMARYLLIS(旧版)  作者: ねこじゃ・じぇねこ
七章 ゲネシス
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3.不届き者

 悲鳴。そう、悲鳴だ。

 聞こえ始めた時は何なのか分からず、驚いて立ち止まってしまった。それはリンも同じで、怪訝そうに聖堂の外を眺めるばかりだった。

 けれど、それが悲鳴であると分かった瞬間、血相を変えて彼女は聖堂の外に出た。

 慌ててそれに続いてみると、すぐに信じられないような光景が目に飛び込んできた。鼻にこびりつくのは私にさえ分かる臭気。

 人間にしか分からない塵の臭いなどではなく、誰にでも分かるような死の臭いだった。

 リンは立ち尽くしたまま惚けてしまっていた。

 何もかもが予想を上回っていたのだろう。けれど、状況を全て理解すると、リンは怒声を上げた。黙っていれば人間の村にもいそうな娘が、猛々しく剣を抜き、神聖な大社の中で勇ましく走り出す。

 その先に居る者を見て、私は息を飲んだ。

 人間だ。人間の青年。黒い衣に身を包む、黒い髪と黒い目を持つ人間だった。返り血を浴びた人間が、剣を持ったまま立ち向かおうとしているリンを見据えている。その後ろに転がっているのは、先程まで聖堂にいたプシュケの従者。変わり果てた姿で罪のない者たちが眠っていた。更にはその周りで深手を負った竜族たちが呻いている。

 その中にウィルも居る事に気付いて、私は怖気づいてしまった。

 この青年は何者なのだろう。

 竜族を切って捨てられるような者は、もはや人間ではない。魔族でもない。魔物でもない。何にも当てはまらない。

「何なんだ、これは……」

 隣でニフが茫然としていた。ルーナも私に縋りつき、この光景をただ見つめていた。

 ここにいる不審者は青年一人だ。

 彼一人でやったというのだろうか。そんなわけはない。そんな事あり得ない。けれど、実際に目の前に広がっている光景は、そういうことだ。

「リン……」

 私は初めてその名を呼んだ。

 剣を片手に仲間を切られた怒りを顕わにする竜族の娘。そしてそれを迎え撃つ青年。青年と娘。男女という格差も、人間と竜族では逆転してしまう。それくらいの力差があるはずだった。けれど、それは通常の話。相手は竜族の男であるウィル達に深手を負わせているのだ。通常の人間であるはずが無い。

 私は慌てて魔力を溜めた。リン一人で敵う相手ではない事をようやく認識出来た。しかし、遅すぎた。悲しいほどに遅すぎた。

 リンが突進すると、声一つ放たずに、青年は剣を振るった。そのまま、リンの攻撃を跳ね返すと、躊躇いもなく追撃を与えたのだ。

 乾いた音と歯切れの悪い声が響く。

 だが、血を流し倒れ伏すリンには目もくれず、青年の視線はすでに私達に向いていた。

「来る……」

 ニフの声にルーナが怯えだす。

 私は溜めた魔力を放った。思いついたのはヒレンに教わった風の魔法。人間相手に放つのは無慈悲なことこの上ない。だが、相手はもっと無慈悲な事をしている。竜族だけではなく、無力な人間達をも斬り捨てているのだから。

 風の魔術を受けて、青年の足が少しだけ止まった。

 だが、何故だか彼の身体には傷が出来なかった。私の魔術が彼を避けているようだ。足止めも気休め程度にしかなっていない。

「ニフ!」

 私はとっさにニフに言った。

「プシュケを連れて逃げて!」

 一瞬だけニフは私を見た。だが、すぐに頷いて彼女は聖堂へと引き返した。

 大社の人間達が駆けつけてこないということは、誰もが彼に深手を負わされているか、もしくは殺されてしまっているのかもしれない。

 たった一人の、それも、人間に。

「ルーナ」

 私はそっとルーナに告げた。

「あなたもニフと一緒にいなさい」

 手を離し、行くように促す。

 けれど、ルーナはすぐに私を見上げた。その怯えた目つきに耐えられず、私はゆっくりと近づいて来る人間の青年へと視線を戻した。

「やだ。アマリリスと一緒に居たい」

「駄目よ。私は彼を足止めする。あなたはニフと一緒にプシュケを逃がしてあげて。魔物のあなたの力で二人を助けてあげて」

「でも――」

 縋りつくその手を払って、私はルーナに強く言った。

「これは命令よ」

 ルーナは戸惑いながら私を見つめている。だが、しもべである以上、私には逆らえない。やがて、ルーナは意を決したように、聖堂の中へと飛び込んでいった。

 これでいい。心おきなく戦える。

 私はもう一度魔力を溜めた。全てかわされたのは久しぶりだ。そう、あの時も、ウィルを逃がすために盾になろうとして、全てをかわされてしまった。

 戦っていた相手は、青い目の人間の女。

 ――グリフォス。

 その名前が頭を過ぎっ瞬間、私の腕が真横から強く握られた。

 ルーナではない。全く違う者が、いつの間にか私のすぐ傍まで迫ってきていた。サファイアのように目を光らせ、彼女は私の表情を見つめ微笑みを浮かべた。

 グリフォス。ずっと息を潜めていた悪魔。触れられてはいけない女に、またしても触れられてしまった。

「やっと捕まえた」

 ぞっとするような冷たい声でグリフォスは言った。

 彼女は私から目を逸らし、真っ直ぐ人間の青年を見つめた。

「行きなさい、愛しい人。あなたの相手は聖堂の中よ」

 愛しい人。その言葉を聞いた瞬間、私はカリスの話を思い出した。

 グリフォスに騙されて巡礼していた青年。義弟を助けたいが為に騙されてしまった青年。彼の事だ。いつかカリスをその剣で切りつけた。

「放して――」

 もがく私をあざ笑うかのように、青年は迷いなく聖堂へと踏み込んでいった。それを確認してから、グリフォスは笑みを堪えながら、彼女は私を引き寄せる。

「残念だったわね、アマリリス」

 グリフォスの声が頭の上より響く。

「あなたは無力な《赤い花》なのよ」

 グリフォスに腕を掴まれたまま、私は聖堂へと入った。

 入ってすぐに、祠の前で怯えるプシュケの姿が見えた。そのプシュケを庇うように、ニフとルーナが立ちふさがっている。

 ゆっくりと歩み寄るのは人間の青年。だが、彼の目にはニフもルーナも、そしてプシュケも映っていなかった。その視線はプシュケの真上にある。何を見ているのか、何が見えているのか、私は気づいてしまった。

 グリフォスはそんな状況を微笑むように見つめている。彼女の視線はプシュケから離れていない。ずっと欲しがっていた海巫女を手に入れるつもりでいるのだ。そんな事はさせてはいけない。

 けれど、私にはもう力が出なかった。グリフォスに吸われ尽くして、何も残っていない。

「逃げて!」

 私は叫んだ。

 その青年はおかしい。グリフォスもついている。そんな状況でニフとルーナが立ち向かえるわけがない。プシュケを連れて逃げるしかない。

 その時、歌声のような咆哮が響いた。私の叫びに共鳴するように、プシュケに降り注ぐ。プシュケはそれを聞いて、目を丸くしていた。

 ――逃げろ。

 そう言っているのかもしれない。

 ニフがプシュケの手を掴んだ。逃げ道はいっぱいある。聖堂の入り口は私のいる場所だけではないのだ。その一か所に向かって、ニフがプシュケを連れて走り出した。

 だが、ルーナはそれに同行しない。グリフォスに捕まっている私をじっと見つめているばかりだった。

「ルーナ! 一緒に行きなさい!」

 私が再び命じてやっと、彼女はニフの後を追った。青年が近寄るより先に、ニフとプシュケ、そしてルーナは聖堂から逃げおおせた。

 ほっとしたのも束の間、グリフォスが私に視線を移した。

「これで逃がせたと思っているの?」

 私の手を掴んだまま、グリフォスは言う。

「思い知らせてあげる。あなた達はもう負けているのよ」

 その言葉が頭の中でこだました。


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