9.塵の降る夜
夜。沈黙に包まれたまま私達は就寝した。
カリスは治療の最中で気を失ってしまい、私達の客室の片隅で転がっていた。ルーナは無言で私の傍に縋り、ニフは無言のまま私から距離を取っていた。
二人ともきっと私に対して怒りを覚えているだろう。
それは当然、予想していたことだった。彼女達が何を言おうと、私はその決定を変えるつもりはなかった。今後嫌われたとしても、どうしても、二人が生き延びる可能性が高い方に賭けたかった。
夜も更けた頃、私はふと目を覚ました。外では塵が降っている。
眠りについているニフは夢の中でうなされ、ルーナは逆に熟睡していた。
別室ではきっとプシュケと彼女に寄り添う人間達もまた不快な感覚に苦しんでいるかもしれない。
私は一人起きあがり、部屋を見渡した。
音を立てないように窓辺に近づくと、大雪のように塵が積もっているのが確認出来た。ここまで降るのは久しぶりかもしれない。
「嫌われたな、アマリリス」
静かに声をかけられて、私は振り返った。
物影で寝そべっていたカリスが起きあがっていた。顔色は悪くない。息切れもさほどないらしい。彼女は無表情のまま私を見つめていた。
「まあ、当然の事だ。仲間の信用を裏切ったのだからな」
「あなたがばらしてしまったせいじゃない」
私が答えると、カリスは鼻で笑った。
「公平にしただけだ。何も知らずにその女が後で悔やむよりいいだろう? 人狼なりの気遣いという奴だよ」
「お節介ね。おかげで今後やりにくくなってしまうじゃない」
「お前の都合なんて知らないさ」
「私の都合だけじゃないわ。あなたとの約束も簡単に果たせなくなってもいいわけ?」
私の問いに対して、カリスは不満そうな表情を見せた。
「というと?」
「約束を果たす前に、ルーナやニフに私が説得されないとでも思った?」
「お前の僕は説得もしなければ、不平不満も言わないだろうさ。哀れにもお前の魔術の奴隷となってしまっているからね。本心ではお前に死なれたくなくとも、お前の意思ならば止められない」
「ニフはどうなのよ」
「知ったこっちゃないね。だが、そいつに関しては私も注意しておくよ。お前との約束を邪魔するかもしれない」
カリスはそう言うと、伸びをして、やや顔を歪めた。
まだ痛いらしい。そうだろうとも。ルーナが手当てをしたとはいえ、彼女の傷口は非常に深かった。人狼でなくただの狼か人間だったら、間違いなく死んでいただろう。
「動かない方がいいわ」
「そういう訳にもいかないんだ。お前とゆっくり話す時間も殆ど残されていない」
カリスは険しい表情を見せる。
「――どういう事?」
「グリフォスだよ。奴がまた人間をせっついている臭いがする。ひとまず様子を見てくる。戻って来てから、私の見てきたおぞましい話をさせてもらうよ」
「分かった。もう無茶はしないで」
私が言うと、カリスは笑った。
「お前にそう言われる日が来るなんてな。じゃあ行くよ」
カリスはそう言って、物影に消えてしまった。
気付けば外では塵が止んでいた。雪のようにあんなに積もっていた塵も、もうすっかり消滅していた。グリフォスも、グリフォスが急かす人間も、塵の苦しみから解放されたのだろう。
――そして、ニフも。
うなされていた声が止まっている事に、私は今気付いた。
きっと苦しみから解放されたのだろう。そう納得して再び寝ようとした時、ふと、ニフの寝台から声が聞こえてきた。
「嫌いになんかなってないよ」
それは、とてもはっきりとした声だった。
「起きていたのね」
ニフのいる方向を見つめると、彼女もまたこちらを見ていた。
「塵の臭さで眠れなかったんだ」
そう言うニフの表情は、私からはよく見えなかった。
外ではすっかり塵は止み、白と黒の世界が終わって月光が辺りを照らし始めている。その光を背に浴びながら、ニフは私を見つめているらしかった。
「カリスはやっぱり君の命を奪う気なんだね」
「ええ。私は彼女の夫を殺したから。最愛の人を殺されたその恨みは簡単には消えないでしょうね」
「――もし、アマリリスが殺されたら、私もカリスに対してそんな殺意を抱くだろうね」
ニフの言葉に私は黙した。
これまで多くの人間達が人狼を恨んできた。家族や友を殺されてきたせいだ。その恨みは深く、一生消える事はない。
たとえ私の意思であっても、ニフはカリスを恨み続ける気なのだろう。人食い鬼にピュアとまで言わしめたこのニフが。
「殺したいほど憎む相手に、守ってもらいたくなんてない」
ニフは絞り出すように呟いた。
「ルーナが止められない分、私は止めるよ」
「ニフ……」
「ルーナだって、私と同じなんだ。一緒に居る時に話しているのはアマリリス、君の事ばかりなんだよ。ルーナは心からアマリリスの事が好きなんだ。だから、私はルーナの代わりにその約束を邪魔するから……」
そう言って、ニフは両目を拭うような動作を見せた。
やはり逆光のせいではっきりとは見えない。
「ただの人間だからって、侮らないで」
そう言って、ニフは横になった。
「おやすみ」
抑揚のない声に、私は静かに答えた。
「おやすみ、ニフ」
辺りには再び沈黙が訪れた。