8.暴かれた約束
声の主はニフだった。
この獣の町を去る前にと探索をするルーナに付き合わされて出ていったのだ。それが、ルーナと共に戻ってきた。
私が返答する前に、扉は開かれた。カリスは焦ってはいたが、遂に、物影に隠れる事は出来なかった。入室するニフの後ろで、ルーナが身を強張らせている。ルーナに気を悟られるほど、今のカリスには余裕が無い。
そしてニフは、入室してすぐに、私が対面している者の姿を見て目を丸くした。
私は開き直って、ニフに頼んだ。
「今すぐに手伝って」
何か言いかけるカリスを制し、ニフだけを見つめる。
「深手を負っているの。でも魔女の私には触れない傷なのよ。お願い、毒消しと清潔な布を何処かから貰ってきて」
私の懇願に、真っ先に動いたのはルーナの方だった。僕として動かされてしまったのだろう。私が魔女の性から解放されていても、私は主であり彼女は可愛い僕であることは変わらないのだ。
残ったニフは茫然とカリスを見つめていた。
だが、ゆっくりと私に近づくと、カリスを注意深く見守った。
「どうして、こんな事に……」
手を伸ばしかけ、カリスが素早く威嚇した。
「触るな。私の正体を知っているのだろう?」
唸るカリスにニフは怖気づく。しかし、すぐにまた恐れを消した。
「前に、アマリリスが言っていた」
ニフはカリスに対して告げる。
「私が人食いに攫われた時、捜してくれたのはあなたなんだって」
その言葉にカリスの唸りが止まった。意外そうな視線でニフを見つめている。
その隙に、ニフは素早くカリスに近寄った。
私の触れられない怪我を確認しているようだ。カリスはその間、じっと耐えていた。人間の臭いが彼女にとってどういうものなのかは分からない。だが、カリスは根気強く自分を抑えているようだった。
「私は……」
不意にカリスが口を開いた。
「お前が思っているような者ではない」
ニフに対して向けられているらしい。
「お前と、そして、あの下級魔物に、心底恨まれる予定の者だ」
「カリス――」
私はカリスを制した。彼女が何を言うつもりなのか分かったからだ。だが、カリスは私の言う事など聞いてはくれなかった。
怪訝そうなニフに対して、カリスは真っ直ぐ睨みつけるように視線を向けた。
「私は約束しているのだよ」
「カリス、黙りなさい」
「全ての役目が終われば、アマリリスの命は私のモノになる。その代わり、お前とルーナには手を出さずに守ってやるとね」
「カリス!」
私が叱咤した時、背後から視線を感じた。
ルーナだ。このタイミングで戻ってきたらしい。手元には消毒液の瓶と白い布が抱えられている。だが、彼女は立ち尽くしたまま、目を見開いてカリスを見つめていた。
「私を助ければ、アマリリスは死ぬ事になるんだぞ」
カリスはそう言って、ニフの手を払った。
ニフは手を払われたまま、ルーナと同じように茫然としていた。私は二人から目を背けた。いつか言わなくてはとは思っていた。だが、こんな形で伝わってしまうなんて。
「嘘でしょ」
ルーナの声が響いた。
「ねえ、アマリリス」
縋るような視線を見つめることが出来なかった。
「嘘って言ってよ」
私は目を逸らしたまま、答えた。
「本当よ」
溜め息混じりに、答えた。
「カリスの言う通り、私は役目を果たしたらこの身体をカリスに捧げるわ」
その途端、ニフが振り返った。
目に浮かんでいるのは怒りだろうか。私に掴みかかるように迫ってきた。避けることも出来ず、私はそのままニフを受け止めた。
「どうして」
ニフは唸った。
「どうして、そんな恐ろしい約束を……!」
ニフの言葉を噛みしめながら、私は落ち着いた声で答えた。
「終わらせたいの。このままこんな事を続けていても、いつか私の気は狂って、あなた達を失ってしまうかもしれない。だから――」
「そんなの勝手だよ!」
私の言葉を遮って、ニフは叫ぶ。
「自分だけが強いと思っているの? 私とルーナの事を信じていないって言うの? そんな事をして、私達が満足するとでも思った? 仲間の仇に見守られて安全に暮らして、それで私が幸せになれるとでも思っているの?」
「分からないわ」
私は素直に応えた。
「でも、私はあなた達に生きていて欲しい。それにはね、私が守り続けるよりも、カリスが守り続ける方がずっと確かなのよ」
「私は、アマリリスにだって――」
ニフは言いかけて俯いた。感情の揺らぎに押し潰されて、その続きはなかなか出てこないようだった。
沈黙の中、ルーナの足音が聞こえてきた。ゆっくりと近づいてきたルーナは、静かにカリスの前に座り、私の指示で持ってきたものを並べた。
「わたしもいや」
ルーナは言った。
「そこまでして生き延びたくない。アマリリスがピンチになったって、わたしとニフなら守れるよ……」
呟きながら、消毒液を布に浸し、カリスの傷にあてる。すでに意識が混濁しているカリスの表情が歪む。だが、ルーナは気にせずに、治療を続けた。
「でも、わたし、アマリリスの決定には逆らえないもの」
その言葉は、私の身を抉るようだった。
「アマリリスがこの人を助けてっていうのなら、助けないわけにはいかないの」
ルーナはそう言いながら、そっと涙を流していった。