5.地巫女の話
プシュケと彼女の連れである人間達が一角と蜻蛉の子達に連れられてしまうと、私とルーナ、ニフはダフネに見つめられたまま黙していた。
私とニフが膝をついているものだから、ルーナもそれに倣っている。ただ、ルーナは何故、私達が膝をついているのかよく分かっていないようだ。
「どうか、楽にしてくださいな」
ダフネが穏やかな声で私達に言った。
「ここにはもう礼儀にうるさい人達は居ないわ」
彼女の言葉にその場に留まっていた蜻蛉の子達と一角達が笑みを漏らした。きっと、プシュケを連れて言った中にそういった者が居るのだろう。
私は軽く捉え、ニフとほぼ同時に立ち上がった。ルーナも遅れてそれに倣う。
「あなた達の訪れも楽しみにしていたのよ」
「身に余る光栄です」
ダフネの言葉に私は口を開いた。
しかし、ダフネは首を横に振った。
「お世辞はよして。あたしは偉くもなんともないのよ。膝をつき、仰ぐべきは、むしろあたし達の方。あたし達巫女と、主である神獣は、《赤い花》とそのお連れに救われるといわれているのよ」
「――あたし達?」
ルーナが首を傾げた。
「《赤い花》の伝説では、海巫女のマルを救ったのでしょう?」
「ええ、そうよ」
ダフネは穏やかに応える。
「でも、それだけではありません。いつかの時代の空巫女も、どこかの時代の地巫女も、海巫女と同じように《赤い花》を継ぐ者に救われたことがあるのです」
ダフネはそう言うと、緑の広間を照らす日光を仰いだ。
「我が主ベヒモスはそう教えてくれたわ。彼らは気高い花。あたし達、巫女と神獣の時代は、いつも《赤い花》によって救われるのだと」
私はそっと床に目を落とした。
きっとかつての時代の《赤い花》は、私よりもずっといい心臓を継いだ者ばかりだっただろう。聡明で勇敢な魔術師や魔女ばかりだったことだろう。
「どうして……」
ニフが呻くように言葉を漏らす。
「どうして人間達は、その《赤い花》を狩り尽してしまったんだろう……」
私はふとニフを振り返った。まるで同じ血を引く自分を責めているように彼女は俯いていた。
「狩り尽してしまうなんて、思わなかったからでしょう」
ダフネは静かに答えた。
「《赤い花》はたくさんいたのよ。世界の各地にいたの。昔は人間も無力だったから、《赤い花》を継ぐ者は殺されずに済んでいた。けれど、魔女狩りの剣が開発されて、状況が変わってしまったの。そうベヒモスは言っていたわ」
私は記憶を辿る。
貴重と言われるようになっても、《赤い花》を狙った狩りは無くならない。
ヒレンの父の安否は分からなかったそうだけれど、私の母は目の前で捕まった。魔女狩りの剣士が母の正体を見破り、心臓を欲しがったのだ。
母は必死の思いでその剣士に懇願した。
その時の会話は頭の片隅に今も残っている。
――この子は違うの。父親似だから《赤い花》なんか継いでないわ。
――卑しい嘘つき女め、俺は騙されないぞ。だが、そこまでして子を助けたいのなら、大人しく降伏しろ。そうすればこの娘は殺さないでやろう。
剣士の顔は忘れてしまった。
幼い私には魔物のようにしか見えなかった。今思えば、彼はきっと人間ではない。バルバロのように金目当てに人間に紛れこんだ、魔物か魔族だったのだろう。
その直後、母は別の場所へと連れ去られた。
私は剣士の連れによって近くの町へと売られてしまった。奴隷として人間に買い取られるかと思ったけれど、私を買い取ったのは人間の振りをした魔女だった。
彼女は私の正体を見破り、大金をつぎ込んで救ってくれた。その時に出会ったのがヒレン。彼女もまた魔女によって保護された一人だった。
数日後、私は母の死を噂で知った。取れたての《赤い花》が富豪によって競り落とされたと聞かされた。
ふと記憶の波に呑まれていることに気付いて、私は我に返った。
「どんなに数は減っても、《赤い花》は《赤い花》。森羅万象の神々はいつだってあたし達のピンチを救ってくださるの。海巫女を狙う悪魔がやってきても、伝説と同じように、あなた達を遣わした」
ダフネは穏やかに笑う。
「これこそが、奇跡なのよ」
その容姿はひと目見ただけで虜にしてしまうような可愛らしさに、陽だまりのような優雅さを兼ね備えている。それは蜻蛉の子の持つ特徴そのものだけれど、ダフネはその中でも一際目立つ雰囲気があった。
きっと彼女が地巫女ティエラの生まれ変わりだからだろう。
私はそう思いながら、ダフネの言葉を静かに受け止めた。
過去の《赤い花》がどんなに優秀であろうと、伝説の通りに行動してしまったのは私以外の何者でもないのだ。ルーナとニフを連れて、森羅万象の神々とやらが期待する通りに動き、悪魔の邪魔をすることこそ今の私の務めなのだろう。
その為に、カリスだって憎しみを堪えて協力しているのだ。
――カリス。
ふと彼女の事を思い出し、暗い気持ちになった。
――今、あの人狼はどうしているのだろう。