4.緑の大社
「すごいなあ……壁に蔦がぎっしり……」
私の横でニフが感嘆の声を漏らす。
無理も無い。ベヒモスの祠がある大社は、何処も彼処も緑で覆われている。初めて来た者が見れば、きっと礼拝する事も忘れて目を奪われてしまうだろう。
まるで植物が侵入し、伸びていく事までも考慮して作られたかのような大社。
この大社がこうなっている理由は、本来森の中を好む地巫女を想って、ベヒモスがそう作るように命じたからだと言われていた。
それが本当だとしたら、代々の地巫女はベヒモスに心から愛されているのだろう。
大社を覆う蔦は、その殆どに瑞々しい魂が宿っている。雨水が彼らを枯らす事はなく、また大社がそのせいで倒壊してしまうという心配もないらしい。
詳しい事はよく分からない。
けれど、大社の中を案内するベヒモスの末裔である一角達が、そうなるように建てたのだと自慢げに語っていたのでそうなのだろう。
ともあれ、この大社にいれば、植物と会話が出来る蜻蛉の子ならば、寂しくもないのだろう。一角達によれば、地巫女の付き添いで大社に越してきた蜻蛉の子達も、毎日、大社を覆う蔦と会話しているらしい。
「彼らが何を話しているのか、私たちには全く分からないのですよ」
苦笑しながら一角の一人が言った。
きっと蜻蛉の子に執着する人々だって、彼らが植物と何を話しているかなんて想像も出来ないのだろう。取るに足らない事だと思っている者もいるかもしれない。
「ねえ、アマリリス」
ニフがふと私に話しかけてきた。
「植物と会話する魔法ってないの?」
「あるにはあるのだけれど……」
植物と話す魔術がないわけではない。敢えて習得しない魔術師が多いだけで、魔女の中にも植物と話す事が出来る者は存在するのだ。けれど、私もヒレンもその中の一人ではなかった。お互い、ただなんとなく、会得しようと思わなかったのだ。
「私には出来ないの。だから、想像もできないわ」
「そっか。でも、この蔦も会話できるって考えると何だか凄く不思議だなあ……」
まるで少年のようにニフは笑う。
柔軟な姿勢は相変わらずだ。もしかしたら彼女は子供の頃、人間の信仰する宗教の説法に対してあまり真面目ではなかったのかもしれない。
その結果、彼女は同じ血を分けた仲間たちではなく、私達と寝食を共にすることになってしまった。けれどもしかしたら、これはニフという人間にとっては良くない事なのかもしれない。
彼女もいつか、人間の仲間の下で人間としての幸せを手に入れて暮らすべきなのかもしれない。
「この先です」
ふと私達を案内していた一角達の足が止まった。
目の前にあるのは閉め切られた大扉。一角の強い力によってようやく開け広げられると、途端に、緑の光が目に飛び込んできた。
強い光に怖気づきつつも、段々と目を凝らしていくと、そこには前にジズの大社で見たような大広間があった。
壁中が緑で、天窓からの日光が神々しく入りこむ部屋。
その中央にて、彼女達は待っていた。
カザンと同じように。だが、若干その雰囲気は異なる。カザン達、狐人が何処か大人びた雰囲気だったのと違って、目の前にいる蜻蛉の子達は、その誰もが少年少女のように可愛らしい雰囲気を持っていた。
その中央で、礼装を着せられた若き巫女がこちらを見ている。
彼女こそ、今の地巫女。
「ようこそおいで下さいました」
地巫女が口を開いた。
「長旅でお疲れのことでしょう」
そう言って彼女は愛らしく笑った。
その面持ちは、まさしく蜻蛉の子。魔物、魔族、そして人間を問わず、あらゆる者の心を惑わし、狂わせ、そして残酷な事をさせてしまう魅力。
華やかさと儚さを伴った姿に、私は恍惚としてしまった。
「温かなお出迎え感謝いたします」
真っ先にプシュケが礼をした。
「わたしはプシュケ。マルの生まれ変わりで、新たな海巫女としてリヴァイアサンの元に参るものです」
「ええ、プシュケ。この日の事を我が主ベヒモスはずっと待っていらっしゃったの。それはリヴァイアサンも同じことでしょうね」
目を細めながら、地巫女は改めて優雅に礼をした。
「名乗り遅れました。あたしはダフネ。初代の地巫女ティエラの生まれ変わりとしてベヒモスに仕える者です」
ダフネ。その名前が私の頭に刻まれる。
ヒレンが見ることの出来なかった新人の地巫女こそ、今、目の前に居るダフネだ。あの時は捧げられたばかりで右も左も分からないらしいと言われていた彼女だけれど、今はもうすっかりベヒモスの供物として振る舞っている。
プシュケよりも少しだけ先に捧げられた彼女。
いつかプシュケも、新たな巫女を祝福する時が来るのだろうか。
「こうしている間にも、遠き海でリヴァイアサンは待ち焦がれるでしょうね」
ダフネは柔らかく言った。
「すぐに身を清め、ベヒモスの御前に向かいましょう。その間に――」
と、ダフネの視線が私達へと向いた。
「ぜひとも《赤い花》とそのお連れのお話を聞かせていただきたいわ」
不意をつかれた私は、ルーナの前だと言うのに少々怖気づいてしまった。